我こそ、正義なり! という気持ち。
最近睡眠不足で困っていたのですが、
今日は思いっきり寝ることができ、
久々にクリアな頭と、元気なカラダでご満悦な祝日です。
さて、
我こそ、正義なり!
この気持ち、わたしの中にあります。
自分が正しいと思いたい気持ち。
それは誰しもが持っているものだと思います。
でも、日頃いちいち意識しているわけでもないですよね。
わたしの考えが正しい!と思いたい。
という気持ちを自分が強く持っているなって、
それが急に浮上してきて、
そのことについて考えているこの3日間。
人の話に聞く耳を持つわたしは確かにいるし、
それで考えを変える場合もあるんだけど、
「これは絶対にこうだ!」と思っている時には、
頑ななまでに自分の考えに固執している頑固なわたしもいる。
でも、その「頑固なわたし」を人に見せるのは、
あまり素敵なことじゃないと思っていて、
なんとなく物分かりがいい風情を漂わせる。
そんなわたしもいる。
そういう時は、人の話に耳を傾けつつ、でもやっぱりわたしの考えが正しいよなぁ、って心の中で思っていて、それでいながら自分の考えを激しく主張するでもなく、うんうんって相手の話を聞いています。
そんなわたしも悪くないけど、でも少しだけ、相手に対して誠実じゃない感じもします。うんうんって言いながら、実は賛同していない。いや、それ自体は悪いことではないんですよ。そんなこと、日常にいくらでもあると思うし、言われたこと全てを受け入れないといけないわけじゃない。「あなたの考えはそうなのですね」それを聞いたからといって、自分の考えを変える必要はない。
そんな中、ここ数日、自分を受け入れるということをやっていて、じゃあ、
「頑ななまでに自分の考えに固執している頑固なわたし」このわたしも、受け入れていったらいいんじゃないかと、ふと思いました。
きっとわたしは、頑固なわたしを受け入れていないから「頑固さを漂わせるのは素敵じゃない」って思っているんだろう。自分の頑固さを受け入れて、「頑固さを漂わせるのは素敵じゃない」っていう感覚がなくなったら、相手の考えと違う意見を持っている時に、上手に自分の考えを伝えることができるんじゃないだろうか。
そんなことを考えたのは、とあるYouTubeの動画で、それを見事にやっている方がいたからなのですが。とても柔軟な考え方をしていて、相手の話もしっかり聞くし、でも、自分の意見というのもしっかりあって、相手と対立するという構図にならず上手にその意見を伝えて、そして、相手にどう思いますか?って聞くという。すごくカッコいい!!わたしもこういう風にコミュニケーションを取りたい!と思ったのでありました。そしてその方は、自分の優秀さも、そうではない面も、自分のあらゆる面を割とそのままに受け入れていて、自分って良くも悪くもこういうものだという「自分の人間像」を俯瞰して見ているんだろうなという気がしました。
人間て、そんなに器用な生き物ではないので、時に空気が悪くなったり、口論になったりしながら意見を交換することもあると思うのですが、でもそうなると、だんだん感情が先に立ってきて、ごちゃごちゃしてしまい、意に反して相手を傷つけてしまったりすることもあると思うのです。それはそれで、その人そのものがむき出しになって、より分かり合える場合もあるかもしれないけれど、でも、できれば穏やかにコミュニケーションを取れた方が、話しているテーマに対して、前向きに話し合えるんじゃないかなと思います。
「いかに自分を伝えるか」は、わたしの今年のテーマの一つのなのです。過去のわたしは、いろんな気持ちを閉じ込めたままにしておくことが多かったので、それをもっと出していきたいなという気持ちと、せっかく浮かんだアイデアを、もっとみんなと共有した方が楽しいんじゃないかな?と思ったから。
ここに書けて、書き始めのふわっとしたものが、ちょっと形になりました。最後まで、読んでいただいてありがとうございます!
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