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FC展開ではない2号店3号店の採用のお悩み

沖縄は昨年で復帰50周年。そんな中、先代から続くラーメン屋さんやいわゆるAランチBランチみたいな食事を出すたくましい歴史をお持ちのお店の採用相談を受けた際、
同じような話を何度か聞いたことがあります。

それは、ある時期に「沖縄初の〇〇」だったから、お客さんが一気に増えて、その時に弟や親戚を集めて仕事をさせ、その後2号店3号店はその人たちに任せていった。
年に1度はそのメンバーで、親戚の集まりだか模合だか、とにかくパーティーを盛大にやったもんだ…。

古き良き沖縄を連想させるこのエピソード。一見フランチャイズに見えるけど、実は違うんだよーという会社さんで何回か聞いたことがあります。
これが沖縄の高度経済成長期だったのだろうけど、気になるのは明確なFC展開ではないので、本家も3号店も、一店舗としての経営でしかないこと。
兄弟や親戚とやっていたし、ドタバタと一気に忙しくなったので権利やノウハウに価値をつけている発想と時間がなかったのかな~と推察しています。

一方で、博多でフラッと立ち寄った同時期に創業のこだわりの喫茶店。中年男性3人のバリスタが美しい所作とこだわりの道具でおいしいコーヒーとモーニングを出してくれました。


伝票の裏を見ると全6カ所。デパートやケーキの専門店、セントラルキッチンと思われる焙煎室や通販部も展開されている様子。

カフェで中年3名が働いて、喰っていけてるビジネスモデルは沖縄でみかけないし、フラッと立ち寄った雰囲気の良いカフェがしっかり続いている老舗企業であることに、商人の町博多の歴史の地層を感じました。

でも、沖縄の復興を支えたお父さんたちが劣っていたわけではないと思っています。
あの時は、あのやり方しかなかったろうし、それでよかったと思うんです。

でも、今は違う。自分たちになかった発想や専門知識、他地域では当たり前なノウハウを積極的に取り入れて、自分たちのビジネスの第二エンジンに使う。
異業種、異世代、異エリアの人材を部分的に取り入れる企業が長く続いていくのだろうと感じている4月最終週です。

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