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陽のあたるリビングで  #短編小説

実家へ行くと、いつもの青いはんてん姿の父がいた。
「何かすることある?」
「じゃあ、これをパソコンで、打って。」
父の好きな歌の歌詞だった。

自分のと設定が違うパソコンで、思うように入力できず、ちょっと手間取る。

余命宣告されている父。入院先の病院から、少しでも本人の好きなところで過ごせるように、無理をいって、自宅に帰ってきた。
今日は母が美容室に出かけるので、代わりに私が父のところに来たのだ。

残された時間がわずかと知り、できるだけ父のそばにいたいと思った。
だけど、病院へ行っても、父の友人がひっきりなしに訪れる。私は席をはずし、いつもロビーで待つばかりだった。

やっと今、ふたりきりになれたのだけど、かといって、何も話す言葉が出てこない。
父が自分を愛してくれていることは、よくわかっていた。これを読むように、と遺言がわりのノートを先日見せてくれた。おまえたち娘や孫がいて幸せだと書いてあった。父の心配事は、結婚して、夫に大事にしてもらっているかということ。

妹が子供達の運動会を夫にまかせ、病院へ来たときは、ひどく怒った。オレのことより、母として子供達の運動会を見に行くべきだと。親としては、自分の世話にくるよりも、子供本人の幸せをまっとうして欲しかったんだろう。

「私は、お父さんの子供で、とても幸せだよ」
病院で見舞客が帰り、家族だけになった時に、やっとのことで伝えた。でも、恥ずかしくて顔は見ることはできなかった。父は黙っていたと思う。そんなこと知っている、と思っただろう。

キッチンのテーブルで、頼まれた歌詞をカチャカチャとパソコンに打ち込む。
父は陽のあたるリビングのベッドで、静かに過ごしている。

時間は、あっという間に過ぎ、
すぐに母が帰ってきて、私は子供を保育園へ迎えに行く時間になった。

結局、歌詞は全部打ち込めなかった。父が続きをやり、好きな言葉に色をつけたり、字体を変えたりして印刷し、家族に渡してくれた。この歌は、父からのプレゼントなのだという。

今思えば、あのリビングでの無言の時間が、一番濃い時間だったのかもしれない。