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学生時代の友情

 学生の時の友達は、ずっと友達なんだ。大人になると、利害関係とか出てくるから、なかなか本当の友達はできないんだ。
 ほら、お父さんは大学の時のNさんとずっと付き合い続いてるでしょ?

 私が学生の時、よく母親にそんな話を聞かされた。確かに41歳になった今、高校や大学で親しかった友人とは、ひさしぶりに会っても昔と同じ信頼関係がある。お互いその時好きだった人や、悩んでいたことなど、恥ずかしいこと知り尽くしているし。

 父にとっても、学生の時の友情は特別だったらしい。父が大事にしていた1枚の写真がある。
 小さな下宿部屋で、男子学生7,8人で撮った写真。ギターを抱えた青年もいる。大爆笑というわけではないが、みんなが笑ってこちらを見ている。
 -高校の体育祭さぼって、朝から酒·····
みたいなコメントもつけられている。フォークソングが流行っていた頃、ギター持ってみんなで歌ったりしたそうだ。悪ぶった学生は、ゲタを履いて高校へ行く。ちょっと厭世的なのがカッコよかった泉谷しげるの世界?
 父は下宿をして高校に通っていた。下宿のおばさんに毎日お弁当を作ってもらっていたが、これが少なくて! カバンに揺られて学校へ着くと、より弁って言って半分になっていた、と父が言っていた。
 結婚を決意するほどの大恋愛もしていたらしい。おまえのお父さんはよくモテて、と父の同級生が言っていた。その恋愛は結局ダメになって、自殺しかねないほど落ち込んだという。高校でも大学でも毎年引越して下宿先を変えていた。なんでだろう?と母はいうが、私は彼女が変わる度に部屋を変えたんじゃないかと推測する。(父と母は大学時代の終わり頃に出会った。)

 その後、数十年、マメに連絡しあっていたわけではないが、おじさん達になっても高校の同級生数人で集まって飲み会をしていた。
彼らは現在は教師だったり、公務員だったり、工務店や居酒屋を営んだりしている。

 そして、父の病気が見つかった時、真っ先に自分の葬儀委員長を頼みにいったのが、地元の工務店を経営しているYさんだった。Yさんも、まさか冗談だと思ったらしいが。
 その後自分の余命を悟った時、今度は同級生のお坊さんに自分の葬儀や今後のことを頼みにいった。

 私は少しでも長く入院中の父のそばにいたかったが、願いはかなわず、ひっきりなしに父の友人達が訪れ、ロビーで待っていることが多かった。葬儀委員長やお坊さんと今後の打ち合わせをしていることもあった。
 ある時は、友人達が伊勢エビの刺身を持って訪れ、病室(個室)でわいわい宴会状態、その部屋だけ高校時代に戻ったようだったと母が言っていた。看護師さんでさえ入れない空気だったという。

 「お父さんて、こんなに人望あったんだね。知らなかった。」と母にいうと、「そんなにマメでもないし、いい加減なんだけどね。飲み会断ってることも多かったし。」
「高校の時だって、そんなに長く(友達と)付き合ってたわけじゃないと思うよ。ただ地元から出てきて下宿して、ちょっと寂しくて純粋で、たまたまこの下宿部屋に集まって、心が通じあった瞬間があったんだろうね。」
「その友情が、40年以上続いてるってこと?」

 告別式が終わると、親近者はそれぞれの車で火葬場へ向かう。しかし、葬儀委員長のYさんがなかなか火葬場に現れなかった。みんながやきもきし始めた頃、Yさんが、父の好きなタバコとウィスキーを持ってやってきた。
「これを棺に入れてやらないと。」
それを買いに行っていたのだった。どぼどぼっとウィスキーを父にかけていたように思う。
父のことで一番涙を流してくれたのはYさんだった。

 四十九日など一段落した頃、私は一番聞きたかったことをお坊さんに聞いた。父のその下宿の写真を持っていき、
「この写真で、どれが誰ですか?」
父の同級生の面影がうっすらわかりそうで、どれもわからなかったからだ。
「それは、ちょっと言えない。」
彼は笑っていた。恥ずかしすぎるか、父の書いたコメントが支障ありすぎるようだった。