見出し画像

不登校が人間関係に与える影響。ベストフレンドそれは自分。

さて、二人の子どもが、ほぼ同時期に不登校を選択した我が家ですが、周りの反応はいろいろでした。子どもたちが不登校を選択するプロセスを確認すれば、まあそうなるよね、と受け止められるかと思いきや、なかなかそうはいかないんですよね。おじいちゃんおばあちゃんと同居の方、いかがでしょうか。

祖父母、親戚、わたしの友人知人。

子どもたちの友達、習い事の先生方。

特に激しい反応を見せたのは夫の父でした。夫の両親は揃って教員でしたから、信仰心(もはや信仰と言っていいと思うの)が非常に厚いのですね。長男が不登校をし始めた頃、気分転換と少し勉強を教えてもうのもいいかなと、数日間預けたのですが、おじいちゃんからの攻撃は激しかったです。長男が家にいる姿が不安を掻き立てるのでしょう。嫌味ばかり言ってきたそうです。ある日、長男を電車で連れ出し、以前住んでいた家の前まで連れていき、「ここでお前のお父さんは目を真っ赤にして勉強したんだ!(夫はまあまあ難しい試験に受かって仕事している人)学校行かないなんてどういうつもりだ!」と怒鳴ったそうです。路上で‥。息子は顔を真っ赤にして怒っているじいじを放置し、電車に一人で乗り、帰ったそうです。怒っている人は、困っている人、恐れている人です。(お父さんをヒーローに仕立てるのは勝手だけど、あいつそんな真面目に学校行ってたか?私は知っている。)学校と、目を真っ赤にして勉強することは別の問題です。

おじいちゃんは不安でたまらなかったのだと推察します。

それ以来、おじいちゃんとは会っていません。また、おばあちゃんも元教員ですから、心配しつつも学校への信仰は絶対で「登校拒否は治るからね」と言っていました。お互いにとって悲劇ですよね。それに、不登校は病気ではありません。

それから、私の知人の一人、心理の関係でしたが「転居のタイミングと不登校が重なっている」と言いました。家がかわったから学校に行かなくなるということでしょうか。また、友人の中には「やっぱり、お父さんがいないとダメなんだよ」(事情があり居を一にしていない)と言う人もいました。これは数人いました。たとえプロセスを知ったとしても、不登校を選ぶことは問題だと考えるんですね。学校以外の場面では問題がないので、これらの見立ては、ずれています。

あれやこれや評価を下されもやもやした時、一貫性があるかどうかを検討するといいと思います。例えば、ギフテッドにADHDのに診断名がついたとき、その特性がどんな場面でも一貫して出現するのかを確認してみることです。医療は経営の面もありますので、経営を意識すれば(以下省略)。

話を戻します。

長男は、学校では、資質に問題のある件の加害教員はともかく、それ以外の先生方や友達と非常に楽しそうに関わることができていた印象です。だからこそ、担任から廊下でガチギレされたり、一人だけ呼び捨てにされているなどのいやがらせが2年間にわたって続いていたなど、想像だにできなかったとも言えます。

それが不登校から蜘蛛の子を散らすように友達の気配がなくなりました。それでも、不登校になってから心配してメールで連絡をくれた一人の同級生がいました。子どもケータイに短い文章でしたが、長男を心配し、思いやってくれていました。それを見た時、私は泣きました。当時は、長男が学校関係の人に会う気力がなく、同時に、どう思われているんだろうという不安もあっただろうし、再会することはなかったのですが、わたしはお礼を伝えたいです。長女は低学年でしたから、友達と個人的に連絡を取り合う手段もなく、それきりになりました。忌み嫌う、あるいは、どう声をかけたらいいのかわからない、のかもしれません。そして単に、わたしに人徳がないだけかも(多分これ)。

身内も含め、不登校をネガティブに捉える人々に生じる違和感や不安は、そこはかとなく言動や行動に現れるため、こちらに伝わりますし、時には、不登校を否定するという形ではっきりと伝えてきます。特に大人による、異質なものから受けた不安を解消するために発せられるネガティブな評価を浴び続けることで、子どもたちが、自分自身を信じられなくなってしまうことを、私は防ぎたいと思いました。不登校の初期は特に重要でした。ネガティブな評価を下す視線や言葉から子どもを守るための盾になるのが、不登校の親の役割だと考えています。

例えば、教育委員会が不登校の子どものために設置している”適応教室”。そのネーミングから、学校には何の落ち度もないとでも言いたげな上から目線を感じざるを得ません。県内にもいくつか”適応教室”という呼称をいまだに使用している地域がありますが、それだけで時代錯誤丸出しであります。そこに通うたびに「適応できていない自分の方が問題なのか」とすり減っていく子どもはいると思います。細かなことですが、ひとつひとつ抗議をしていくことが大事だと考えています。

不登校を好意的に受け止めてくれる人たちもいます。習い事の先生などは、不登校と伝えてもネガティブに捉えることはありませんでした。むしろポジティブに捉える傾向は、芸術の界隈で特に顕著だった印象です。アカデミックな界隈では、先生は先生でも、博士以上の方々は、おおむね好意的に受け止めてくださいました。多様性の受容と、コツコツと勉強することは、ひょっとしたら関係があるのかもしれません。夫の同業者(勉強頑張った系)では、子どもが不登校している家庭が珍しくないそうです。「あるある、やだって言うよね〜」て感じの受け止められ方です。”そんなふうにしたかった”という声が、好意的に受け止めてくれる大人から結構ありますが、もしも不登校をしていたら今の彼らがどうなったか、能力を開花させることができたのかどうか不明なのと、昔は今よりもっと不登校が選択しにくかったですから、「そうですか、ありがとうございます、そうは言ってもここまで大変でしたし、大変は大変ですよ」と返します。ちなみに私の両親は、勉強を全然がんばらなかった人たちですが、孫の選択を全面的に指示しています。

大切なことなのですが、不登校をすすめられないケースもあります。給食が重要なライフラインだったり、学校が見守りの役割を担っている状況の子たちです。いじめがあるなど、行かせるわけにはいかないケースもあり難しいのですが、別室で給食を食べるなど、インフラとして利用しながら学校と繋がっていてほしいです。この辺りのことは別の記事で書きます。日中の居場所がないなど、家庭ごと事情は色々ありますから、不登校が至高と結論づけるには至りません。

話がずいぶんあちこちに外れましたが、このように、不登校をすることで子どもを取り巻く人間関係はガラリと変わります。優しかった人が鬼のような形相を見せることもあります。我が家としては、思いがけず生まれた時間ですから、ポジティブな反応を返してくれて、なおかつロールモデルになってくれそうな、色々な種類の大人に会う機会をつくることを意識しています。

そして何より、”ベストフレンドそれは自分”、自分とチームを組んで死ぬまでやっていくわけですから、自分を大事にすることが大事です。自分をダメだと思った時、そんな評価を親友に下す?親友が同じ立場にいたらどんな言葉かけをする?自分を大事にするということは、その積み重ねだと思います。生まれてから死ぬまでずっと一緒なのは自分ただ一人だからです。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?