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仏教とエスパー

仏教がマイブームである。

キッカケは突然に。
気を抜けばクヨクヨしている自分に疲れていた日々の中、ふいにジブリのことを無性に調べたくなってきた。
最近コナンの青山さんのプロフェッショナルを観たり、ブレイキング・バッドで麻薬作り引退するする詐欺の主人公を見て、宮崎駿を思い出していたことなどに起因すると思われる。たぶん。

宮崎駿と言えば鈴木敏夫である。
身近な他人に振り回されている境遇が遠からずな気もしてきた。
だが、クヨクヨしている気配は全くない。
どころか、いい感じに肩の力が抜けている。
そう、まさにこれ。これを求めていた。こうなりたいのである。

ということで、心のデトックスを求めて色々調べていると、高校が仏教系だったらしく、本人の思考も少なからず仏教に影響されてるらしいと知った。なるほど、仏教か。
そしてある本に行き着く。
「反応しない練習」。
最高。これである。
反応しまくりクヨクヨしまくりな自分のための本ではないかと思ったが、内容もまさに、だった。

僕は悟った。
どうやら妄想に取り憑かれていたようである。
クヨクヨしている割に、何も悪いことなど起きていないのだ。いや起きてるけども。
だが今この瞬間の僕にはあまり関係がないし、どうなるかは誰にもわからない。
いずれにしろ、僕にはどうしようもないことなのである。
であれば、過剰に反応しても状況は変わらぬ。
今起きたことをじっくり観察し、理解する。
そして、目を閉じ、深呼吸。リセット。それで終わり。

事実を事実のまま、言葉を言葉のまま、あるがままに捉えるのだ。
バカみたいだが、それは結構難しいのではないか。
日本人は特に。
繊細な日本人は、文脈や含みなど言葉ならざる言葉を読み取るエスパーである。

極端だがわかりやすいのが、芸人ラランド・サーヤのお母さんヒス構文ではないかと思う。
「出来るかどうかわからないが」などの枕詞を入れたが最期、「じゃあ出来ないってこと? 私に全部やれってこと? 全部やったら寝る時間ないんだけど。そっか、じゃあ私は睡眠不足で死ねばいいんだ」といった感じで、あれよあれよとトンデモ論理展開し、最期は大体お母さんの生死を脅かすことになる恐ろしい構文である。
力を持て余したエスパーの成れの果ては、悲しきモンスターなのだ。
ヒス構文を純粋に楽しんでいたはずの自分も紛れもなくモンスター予備軍だったのである。
ありがとう仏教。いい薬です。

だが、意外にも仏教は、元々の自分の思考性と近しかった。
自分でコントロール出来ないことは考えない。コントロール出来ることだけに集中しましょう。
今ある幸せに目を向ける。これもあれもあるのに、でもあれとこれはない、と無いものばかりを数えるのはやめましょう。

どれもこれも、接すれば接するほど苛立ちを覚えてしまった身近な他人に対して、僕が投げかけていた言葉である。
僕はブッダなのかもしれない。

当時を思い出すことで、苛立ちが沸々と蘇ってきた。
悟りを開いたはずなのに、気づけば雑念まみれ。

なるほど、残念ながらブッダではないらしい。

僕は目を閉じ、深呼吸した。

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