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あらゆるコンテンツがプラットフォームに依存する

新卒からエンタメ業界で働き始めて7年。
コンテンツ会社で5年半、プラットフォーム会社で1年半働いた。

コンテンツ会社からプラットフォーム会社に転職し、物の見方が180度変わった。
コンテンツサイドにいた頃はどうすれば面白くなるのか、というコンテンツそのものの内容の検討や調整が多いが、プラットフォームサイドに立つと、当たり前だが、そのコンテンツがより多くの人に届くのか、という視点になる。
そして、その視点に立った時、コンテンツはかなりの割合でプラットフォームに依存することになる、と気付いた。

プラットフォームによって、使うユーザーも機能も違うので、結果的にプラットフォームによってヒットコンテンツが変わってくる。
YoutubeであればYoutubeっぽいもの、TikTokであればTikTokっぽいものがヒットしたり、バズる。その”ぽいもの”が生まれる要因はユーザーや機能などのプラットフォーム毎に異なる仕組みによるところが大きい。その仕組みに上手くハマったものがヒットコンテンツになるし、どんなに良質なコンテンツでも、その仕組みにハマらなければヒットになることはない。
そういう意味で、あるプラットフォーム上でコンテンツをヒットさせたいと思うのなら、そのプラットフォームの仕組みを理解した上で、そこに沿ったコンテンツを作ることがヒットの近道になる。ネガティブにバズって炎上するケースもあるので、必ずしもポジティブなヒットになるとは言い切れないけども。

プラットフォームの役割は他のプラットフォームでは発掘できないかもしれない無価値同然の”何か”を仕組みによってプラットフォーム上で可視化し、価値に転換することだと思っている。
逆もしかりで、他のプラットフォームでヒットしたのに、このプラットフォームではヒットしない、ということもあり得るが。
つまり、コンテンツが日の目を見るには、どこかしらのプラットフォームの仕組みにマッチする作り方をしないと、どんなに面白くても、永久にヒットしないということだし、意図したかせざるかは関係なく、ヒットコンテンツというのは結果的にどこかのプラットフォームに依存した状態だと言える。

新たな才能の発掘を謳うオーディションやコンクールだってプラットフォームだと思う。僕自身、これまでオーディション業務に関わる機会は何度かあったが、内情は主催側の事情を調整しながら落としどころを見つけるような作業だったし、プライベートで挑んでいるシナリオのコンクールも大体同じようなものだと思っている。選考段階でどんな人たちがいて(ユーザー)、どんな方法で選考しているか(機能)によって、同じレベルの人材や作品であっても、一方は1次審査を通過し、一方は通らなかったりするが、オーディションやコンクール毎にこういうタイプが通りやすいというカラーはあったりして、”ぽいもの”が生まれる。

話が少し飛躍するけど、国や会社も同じだと思う。
自分が住む国や働く会社にもカラーがあり、法律や制度など特有の仕組みがある。
例えば、会社の評価制度。自分を評価する上司(ユーザー)と評価方法と成果指標(機能)がわかっていれば、その会社(プラットフォーム)で出世(ヒット)するために、評価されるような働き方をしてもおかしくないし、会社員や成果は会社というプラットフォームに依存したコンテンツと言えるのかもしれない。
国も同様で、国民(ユーザー)のために作られる政策も、国家システム(プラットフォーム)に依存したコンテンツなのかも、と考えると面白い。

エンタメに限らず、あらゆるものをコンテンツと捉えると、プラットフォームと切り離すことは難しいけど、個人で選択することは出来る。作りたいものを作った後でハマりそうなプラットフォームを探すか、あるプラットフォームでヒットさせるために逆算してコンテンツを作るか、の二択から。
プラットフォームに寄せるか、コンテンツに寄せるか、とも言える。
コンテンツを作ってユーザーに届けるまでの全工程の中で結局、両方を考慮する必要はあるけど、これはあくまで起点をどちらにするか、という話。

どちらにせよ、傍から見るとどちらかはわからないが、まずいのは、どちらなのかを自分自身でも見失ってしまうことなんじゃないか。
そして、意識しないままでいると、自分自身がだんだんプラットフォームに依存したコンテンツになっていくのかもしれない。

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