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正しくて、しんどい。

正しさがしんどいな、と思う。
理不尽がしんどいと思ったことは何度もあったけど。

どっちにしてもしんどくなってしまう自分の我儘さに呆れつつ、メモ程度に感情を描く自由くらいはあるはず、ということで書いている。

このしんどい正しさはSNSで正義を振りかざす人とも種類がちょっと違う。本当に圧倒的に正しいことは間違いない。だからこそ厄介だとも感じる。
正しいことと上手くいくことが必ずしも嚙み合うわけじゃないと思うから。

面白いことが求められるエンタメはさらに難しい。
面白いものは必ずしも正しさから生まれない。
むしろ、正しさと面白さは対局にあるのかもしれない。
だけど、ある種の正しさで数多の稟議を通さないことには、世に出せない。

正しい人の正しい案は、大体つまらないと感じてしまう自分がいる。
ものすごく色々端折って誤解を恐れずに言ってしまったけども。
正しい人の正しい案は10人いたら9人はなんだか良さそうと感じる案だし、実際、すごく論理的で正しいんだけど、どこかで見たことがあるようなものな気がして、、、でも、正しい。だから何も言えない。モヤモヤする。この繰り返し。

10人中9人がわからなくても、1人だけゴリ推しするようなものを作りたいな~と思いながら、10人中9人が納得する案を前に何も言えない自分が力不足だなぁと思う、今日この頃。。

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