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世界文学に触れた1年をふりかえって

なんだか最近本を読んでいないな
と気づいたのがきっかけだった。

大学時代は本を読んでばかりで、本について詳しくなった気でいた。でも、最近は同じジャンルの本ばかり手にとるようになり、時間がなくなったのもあって展開が分かっている本しか読まなくなった。そうしているうちに、以前より読書を楽しめなくなっていた。

まだまだ面白い本があるはず!
私はまだそれを知らないだけなんだ(きっと)

そう思い、本の世界を新規開拓するために放送大学に入学して、"世界文学への招待"を2018年度、2022年度と続けて受講した。

結果、本屋に行っても図書館に行っても、「おっこれは!」と心ときめく本が増えてた。

これまでミステリーやサスペンス、エッセイを中心に読んできたので、文学に触れたのもこれがほぼ初めてで自分の知らない世界の広さに驚いた。


2022年度で特に印象に残った回の紹介とともに感想や実際読んでみた本を振り返りたい。



第2回 危機に挑む文学——ウエルベックとサンサール

 資本主義が世の中の隅々に行き渡ることで格差が拡大し、原理主義的な宗教やシンプルで原始的な考え方がもてはやされる危機について小説でどう表現されていて、背景にそれぞれの国に実際何があったのか解説する講義だった。
 そこから興味が湧いて、ミシェルウェルベックの短編『ランサローテ島』を読んだ。ある男が絶望に行き詰まった末に選ぶ、思想の強い宗教への出家。そこで行われる既存概念からの解放(それは法律に違反することもある) 資本主義?西洋文化?の行き詰まりを感じた。 諦めと崩壊の一つの形を知った。

第3回 好きになれない主人公が見る世界―― J・M・クッツェーの『恥辱』を読む

『恥辱』は好きになれない登場人物とどう向き合うかというテーマで選ばれた本だった。著者はノーベル文学賞受賞者。本作はブッカー賞受賞作。
 外国文セクハラで訴えられても開き直り、辞職に追い込まれてもまだ開き直り続ける主人公は好きにはなれない。だが、そんな登場人物の立場になって考えることが、エンパシー(自分と違う価値観や理念を持っている人が何を考えるのか「想像する力」)を得るために必要なことなのだと感じた。 セクハラする立場の人間が罪の意識を得られず、その娘や妻が被害に遭って自分の罪の重さに気づくという展開は冷蔵庫の中の女?を思い出した。




第6回 楽譜としてのテクスト——ロラン・バルト「作者の死」とその後の現代批評

 テクストの解釈方法とその歴史、変遷についてロランバルトの『作者の死』からアントワーヌコンパニョンの考えをもとに考察を進める講義。
 解釈方法には伝統的に大きくふたつあり、目の前にある文章が読み手の生きる時代によってどのような意味を持つのかを重視する「アレゴリー的解釈」、文章が書かれた時代の文脈を可能な限り正確に分析する「文献学的解釈」である。この2つが極端すぎるとして、コンパニョンは読み手のいる現在と文章が書かれた過去で対話の中で新たな意味を見つける読み方を提案する。
 フェミニズムやポリティカルコレクトネスなど考え方が大きく変わってきている現代では、どちらの価値観に寄せて読むか悩む事があったのでこれからはどちらかに偏り過ぎずにそれぞれの時代での書物の立ち位置を考えてみたいと思った。



第12回 光州事件を描く――ハン・ガンの『少年が来る』を読む

 話題になりすぎてどこから読めばいいか悩んでいた韓国文学に手をつけよう!と思えるようになった。また、今回の講義を担当された斎藤真理子氏翻訳の本を書店で見るたびに興味が深まった。安易な表現だがこれまで見流すだけだったものが表面だけでも分かるようになり、感知できる世界が広がったようだった。
 また、電子書籍で買っていた『ひきこもり図書館』にハン・ガン氏の短編が載っていて、読んでいた物語の背景として、作家の歴史がわかって物語をまた別の視点で読み直すことができた。



第14回 未知の言葉を求めて——多和田葉子の小説

この講義の前に、多和田葉子さんの『世界に散りばめられて』を偶然古本屋さんで見つけて運命を感じた。

日本で日本語だけを話していると、どの言葉で文章を書くか?という問いは遠いものだ。しかし固有の言語がない国や戦争や侵略で言葉を奪われた国はどの言葉を使うかどうかが一つの表現になるんだと知った。多和田さんのタイトルの付け方やシャレを翻訳でどう表現するかの話があり、言葉の壁を超えて表現する面白さが見えてきた。


こうして1年間受講すると共に読みたい本がどんどん増えた。
そして、文学について学んでいるはずなのに何が何やらわからなくなってきた。なので、ふと目についた『「わかる」とはどういうことか』を読んでみた。
最後に、その中で印象に残る部分を引用したい。

「このように知識は意味の網の目を作ります。網の目は逆に知識を支えます。ひとつひとつだと不安定ですが、網の目になると安定度を増します。ひとつの知識だと不安定ですが、一〇〇の関連知識に支えられると、その知識は安定度を増すのです。」

—『「わかる」とはどういうことか ――認識の脳科学 (ちくま新書)』山鳥重著
https://a.co/5vQo2eF

この1年、放送大学で講義を聞き、たまに参考文献を読んでいくことで知識の(とてもとても目の粗い)網ができた。
残り少ない今年と、来年以降でさらに本を読んで考えてこの網に色々な知識を引っ掛けていきたい。

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