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とんぼの如く観る  美味しいお米の育てかた#008


自然栽培では

肥料や栄養資材、有用性のある菌または各種農薬などの直接効果ではなく

その場の環境や土質、風通し、呼吸、天候、水の流れなどの

間接効果を自然のリズムに合わせ、いかに植物が喜ぶように整え、活かすか

という捉え方に特徴がある。

テストには出ませんが


直接効果。間接効果。

キーワード。

自然をどう見ているか


目の前の植物を眺めた時、皆さんはどのように見えていますか。



これですか?



これですか?



それともこれですか?




私にはド派手な衣装に身を包み、生命の喜びを全身で表現するサンバダンサーに見えています。

いや、鳥のさえずりが四方八方から聴覚をくすぐる深々とした森に見えています。

時には、地底から勢いよく飛び散る噴水に

アスファルトのちょっとの隙間に生えている草たちにど根性を感じたり

田畑や畔道が草だらけの時は自然の力強さに圧倒されるだけ。

何か巨大な動物の上を歩いているような気持ちになったり

また、なんの変哲もないもののように感じたりします。

静も動も、清も濁も、荒いも細かいもある、いろんな自然。

こんなふうにいろんな自然の解釈ができると、植物の声が聞こえてくるようになる?

今回は私がよく講座の冒頭でお話しするトピックの深掘りバージョンです。

半年ぐらい経つといつも半分くらいの人はサンバダンサーに見えた!という報告があります。


とんぼの如く観る


このほかにも人の数だけ、心模様の数だけ見え方や感じ方はあります。

きっとイマジネーションと感覚によっては無限に感じ、また表現することができるでしょう。

こういった想像は本来は子供たちの得意分野ですね。

自然栽培に限らず、自然に関わる仕事をするためには、

目の前の大自然をどのように解釈するかは死活問題にもつながり

それは出来るだけバリエーションの異なる角度から解釈するスキルが求められます。というより、そのほうが便利です。


とんぼが自然をどのように見ているかは、とんぼに聞いてみないとわかりません。

ここでとんぼを例に出したのは、

とんぼの複眼としての視点を、

ひとつの物事を複数に解釈する。

ビジュアル的というよりも、どう感情的に感覚的に解釈するか、

という意味を込めました。

つまり、目の前の自然についてたくさんの捉え方をする、ということ。



そのような観点の切り替えや、自由な想像力を持って植物を観察すると

今まで見えてこなかった表情や動き、時には感情までもが鮮明に活き活きと見えてくることがあります。


天気予報を凌ぐ自然を知覚するスキル




こういったスキルはどのように現場で生かされるのか。


自然栽培は田畑の気配やタイミングに敏感になっておくと本当にいろんなものがスムーズに運びます。

例えば、収穫時期です。

農業全般のよくあるパターンは、スケジュール通りにしようとして、天候が雨天となり作業ができなくなってしまったり、

また、想定外の長雨で田畑の植物がダメージを負ってしまい販売できないほどの状態になってしまうなど

人間側の予定を優先することで大失敗するケースです。

現代農業に関して言えば日常茶飯事です。


ベテランの生産者はスケジュールには余白を持たせていることが多く

予定と予定外の50/50で動いている傾向があります。

30/70でも80/20でもいけない。

50/50です。


相手は何が起こるかわからない大自然です。

わからないから決めない。

人間の都合と自然の都合のバランスをとるような姿勢。

田畑の環境や天候をしっかり観察し焦らない。

収穫適期をただ、待つ。

そんな印象があります。

現場の感覚を実況


秋のとある日、稲穂がずっしり実った田んぼに行くとします。


いつものように早朝に軽トラを走らせ田んぼを見てまわります。

朝のシンとした空気。遠くの環境音と静寂。

その日の空気感で気温、湿気、匂いを感じます。

風の質感を感じます。雨曇を眺めます。

太陽の強さ、雲の位置流れを観ます。

雨の匂いはその時になくても、もしあれば遠くの方から風が運んできます。

虫たちの動きを観察します。

鳥たちの井戸端に耳を澄ませます。

動物の痕跡をみつけます。

騒がしいのか、おとなしいのか。

それとも何か別の感じがするのか。

犬を連れた近所のおばちゃんに挨拶し、時には長話をします。

地域のフレッシュな情報を感情、雰囲気と共にいち早くを知らせてくれる

どの局よりも頼れるニュースキャスターです。

地域の人間関係は大切。

田んぼに入る。

光る朝露。イナゴが飛び上がる。

泥の硬さを足裏で感じます。

ザワザワという稲の擦れる感触。

葉の色、稲の高さ、匂いなど余すことなくその雰囲気を全身で感じます。

稲の手触り、粒たちが手からラララララと歌い出すような感覚を何度も味わいます。

お米を数粒しごいて硬さや色、形を見ます。

剥いてみたり、かじったり、食べてみたり、熟していく様子に集中します。

また、昨日と今日での違い、昨年と今年での違い、周りと自分のところとの違い。

時間と空間と物体と雰囲気とetc..etc..

比較したり、発見したり、想像したりなど

サンバダンサーなのか噴水なのか静寂の森なのか、マクロ、ミクロ、ワイド、クローズ。

田んぼに自分の感性の全てを投げ込みます。

今生、自分が預かっている五感六感七感の全感覚の穴という穴を最大限に広げ活用します。

見るのではなく

観る。


そうすると稲の声が聞こえてくる。




明日雨降るよ。

今日刈ったらバッチリだ。

明後日はだめだ。今日だよ。


どれだけ天気予報が晴れだとしても、不思議なことにこの稲の声は外すことはありません。



そういうものが全身全霊の感覚からわかるようになってくる。

確信に満ちた力が全身に巡るような瞬間がくる。

5年もやればわかります。誰でも必死で向き合えば捉えることができる、と私は思います。

縄文時代の人はこういうのの、さらにキレキレな状態が普通だったのかもしれないと夢想したりします。


「よーし。今日から収穫ー」

こんな感じで朝露がすっかり乾いたその日の午後から稲の収穫が開始されます。


こうやってタイミングを図ってアクションを起こすと、

結局頭で考えるより、行程がスムーズにいくことがだんだんわかってきます。

私の現場はこんな感じでしたが、知り合いの生産者も同じような感じという人は少なくありませんでした。

こんなふうに様々な観点から、今がどうなっているのかを観察することで、自然の声を聞きながら栽培を実践していく。

自然栽培の場合はさらに十人十色の田畑の学びがおもしろさだと考えています。

写真や映像をやる人も観察眼を養えるので半写真半農は非常にクリエイティブな取り組みになると思いますね。

今回は目の前の植物や自然の捉え方、

とんぼの複眼の如く、多角的な解釈のスキルと、それによって見えてくる、感じられる、自然の声についてお話ししました。

自然栽培は感覚仕事。

Feel enough, think enough, and repeat. です。

本当におもしろいので世界中のたくさんの方に興味を持って欲しいな、と思います!

ご覧いただきありがとうございました!


続く

映像制作をはじめとした活動費に使わせていただきます。ありがとうございます!