「愛がなんだ」の話

去年の話だけど映画「愛がなんだ」を観た。ミニシアター系の作品で、公開してからも上映館をじわじわと伸ばしロングラン作品となった映画。評判も良く、そしてキャストも好きだったので観に行ったのだが、正直な話、あんまり分からなかった。

ただ、これは「つまらなかった」というわけではなく、多分見る側、つまり自分に原因があると思う。この映画は主人公や、その一目ぼれ相手や友人、後輩等、様々な人物の恋愛模様が描かれていて、その様子が見る側の共感を呼ぶとして話題を呼んだ作品である。

自分はその滑稽さや馬鹿らしさや愛おしさに共感できなかった。個人的には恋愛経験がないからだと思ってる。誰かに執着して、自分よりもその人のことを想って、夜中に急に呼び出されてご飯作ったらすぐに追い出されて、それでもまだ好き、というほど誰かを好きになった事が無い。

だから始終、外野としてこの映画を見ていたのだけど、客観的に見てると出てくる人みんな馬鹿げてる、と思ってしまった。出てくるやつ大体くずじゃん?とも。好きな相手のことを思っているようでいて実際は自分のことしか考えていないようにも見えた。自分本位で、相手の痛いとこを突っつきあうような場面もあったし、とにかく「うわ~こわいな~」と思いながら見ていた。

ただ、自分が共感できなかっただけでその他の多くの人はこの馬鹿げた様子を「分かる」と言っていた。「映画に出てくる彼や彼女は自分だ」という人も多く見かけた。ということはつまり、恋とは、愛とは、そういうもんなんだろう。外野で見ていたら共感できないようなものでも、内野にいる側は必死で、懸命にその人や、その状況に恋をしている。だから、スクリーンの中の人々は馬鹿げて見えるのに、それでもどこか魅力的に見えてくるのだと思う。

きっと世の中にはこんな恋や愛が溢れているんだろう。外野で、完全に傍観者を決めていた私だったが見ている間は始終リアルだなと思ったし。果たして自分がスクリーン側の人と同じ内野に入ることはあるのだろうか。


そういえばこの記事を書いている途中、ツイッターで「pretenderとか香水とか別の人の彼女になったよの歌詞が嫌」みたいなものを見かけた。正直めちゃくちゃわかる…となったのだが、これも結局、内野になった事のある人にはぐさぐさくるものなのかなと思った。少なくても万年外野の私的にはピンとくる要素がほぼない。まあ内野でも分からんってなる人はたくさんいるだろうけど……


ちょっと脱線しちゃいましたがとりあえず。「愛がなんだ」はよくわかんないけどリアルな感じが面白かったのでお勧めです。内野になったことが有る人はより楽しめるかも。あとマモちゃんのアドリブの追いケチャップは破壊力えげつなくて、もはやぴえん通り越してぱおん案件です(???)






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