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海をもらった自分は

読書感想文です。だいぶまとまってない。


上間陽子さんの『海をあげる』を読んだ。2021年ノンフィクション本大賞を受賞した、というニュースをみたのはいつだったか。その時から気になっていたのだけど一昨日、ふいにそのことを思い出したので本屋に行って買った。

『海をあげる』は沖縄出身で、現在も沖縄に住む上間さんの生活や思ったことを綴ったエッセーのような形式のノンフィクション本だ。しかしその内容は”穏やか”で”ゆったり”した沖縄の生活に関する話ではない。この本が書いているのは観光地としてキラキラ輝く珊瑚の島ではなく、貧困問題と基地を抱えた島である。

読み終わる頃にはかなり疲れてしまったのだけど読んだことに対する後悔は全くない。というかむしろ早くに読めばよかった~という後悔が生まれた。特に最後の章、本の題名にもなっている「海をあげる」は基地のある暮らしを綴ったもので、他人事に思えなかった。というのも自分も基地のある暮らしがあたりまえのものとして育った側だったからだ。小さいころ、どんなに遊びに夢中になっていてもジェット機の音がきこえたらビビりながらすぐに持ってたおもちゃを放して耳を塞いでいた記憶がある。ただ、長年住んでいるとやはり人間慣れるものなのでいつしか耳を塞ぐことも恐怖を感じることも無くなった。同時にそれが普通になった。



……沖縄で基地と暮らす人々の語らなさのほうが目についた。(p.235)

でも、ここでは、爆音のことを話してはいけないらしい。切実な話題は、切実すぎて口にすることができなくなる。(p.238)

生活者たちは、沈黙している。かれらに沖縄や米軍がどう見えているのか、かれらがどんなときに黙り込むのか、私はそれをつぶさに知るわけではない。(p.238)

この辺りがすごく刺さってしまった。沈黙「させられて」いる面もあると思うけど、正直沈黙「して」いるという面のほうが大きい。どうせ昨日も今日も明日もこの音は生活の中にある。そして、否定しても抗議してもその声は海と一緒に土砂に埋められる、という諦めから黙ってしまっていることを私は自覚し、そして反省した。

筆者である上間さんはこの島に根付く様々な、それこそ理不尽としか言えない問題の数々に対して怒り、そして絶望している。この本は、言葉こそ穏やかだけどそういった怒りと絶望を細やかに描いている。そして、そんな怒りと絶望の中でも人は生きていく、という話も書かれている。一番最初の「美味しいごはん」という章では上間さんが娘にうどんの作り方を教えるエピソードがあるが、その際におしえたかったこととして

……もし、あなたの窮地に駆けつけておいしいごはんをつくってくれる友達ができたなら、あなたの人生は、たぶん、けっこう、どうにかなります。
そしてもうひとつ大事なことですが、そういう友だちと一緒にいながらひとを大事にするやり方を覚えたら、あなたの窮地に駆けつけてくれる友だちは、あなたが生きているかぎりどんどん増えます。本当です。(p.31)

という事が書かれている。他の章でも家族や友人との関わりや、何かを食べるという描写がちょこちょこ出てくる。これは先ほど述べたように怒りや絶望の中でも生きていく、ということを示しているように感じる。
(これを読んだとき、私は形は違えど同じように社会に対する怒りや絶望、そして生きることを描いていたアンナチュラルというドラマのことを思い出した。食べることは生きること、という考えが共通しているような感覚)


この本を最後まで読んだ人はみな筆者から海を受け取る。受け取った海をどうするべきか、少しずつでもいいから私も考えていきたいと思う。そして、少しでも多くの人にこの本を読んでほしい。海をもらった自分に何ができるか一緒に考えていけたらなと思います。

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