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10/22 身体が海を呼んでいて

こんにちは。朝晩冷えてきましたね。
海に来ました。
何も考えたくない。
何もかもがどうでもいい。
辛くない。苦しくない。
ただただ哀しい。
卒論のことだけじゃない。
もうなにも面白くない。

noteにいる人たちって、Xの病み垢みたいにひたすら死にたい死にたい言ってるイメージはなくて。
生きづらいと思いながらも、なんとか気持ちに整理をつけて前に進むためにnoteを活用してるイメージ。
そんな人たちの投稿を読むのが好きだし、頑張らなきゃなって思える。
だからこんな投稿をしていたら気分を害するかもしれませんね。

どうやったら人とうまくコミュニケーションが取れるかとか。
どうやったら人前で緊張しないかとか。
人の顔を見て話せるのかとか。
その度その度に自己嫌悪して、それでもなんとかしようとやってきた。
つかれた。
どうでもよくなってしまった。

悲しい。
そんな自分を憐んでいるから、やっぱりこれは自己憐憫??
まとまらない。
こんなことを書きたかったのかもわからない。
「今目の前のことを全力で、自分で面白くしてやるんだって気持ちでやれば...」とか。
そんな言葉が溢れていますが。
励ましの言葉はありがたい。
それすら受け付けられなくなったらいよいよ終わる。けど。
こんな状態だから、海に身体が引き寄せられたのかな?

大勢に溶け込めない。
だから独り。
でも独りはやっぱり寂しいのだ。
人と比べても仕方がない。
自分の夢や目標を持って、ただそれにむけて集中していればそんなこと気にならないんじゃないか。
そう思い至って、ここ数週間は頑張れた。
でも揺り戻しが来たのかな。
今の状況で人と比べるななんて言われても無理。
鬱を発症した人が独りを選んで、どんどん悪循環にハマっていくのは仕方ないことなんじゃないか。
誰かと関わりたい。貢献したい。
でも自分を奮い立たせることができない。
あれ、本当に何を書きたいんだろう。
他のことを別に何もやりたいと思えない。
だから海に来て、noteを開いた。んだっけ。

「富める者はますます富み
貧しき者は持っているものさえ取り去られるのである」
こんな言葉があるらしいけど、その通りだろうな、と思う。
明るく太陽のように他の人を照らせる人の周りには人が集まってくる。
暗く影っている人の周りからは人が離れていく。
こんなこと書いてたらネガティブな考え方が脳に焼き付いてますますネガティブになりそうです。。。
自己暗示の力って凄いからねー。
でも、じゃあ、この気持ちの居場所はどこですか?

ずっと人間が恐かった /人間失格

初めて太宰治の「人間失格」を読んだのが半年前くらい。
何で読んだかっていうと、noteのとあるクリエイターさんが「INFPのバイブル」みたいなことを書いていたから。
読んだ時はピンと来なかったけど、今になってじわじわと実感が押し寄せている。
そう。道化を演じている感覚。
基本的に人が何を考えているのかが分からなくて怖い。その恐怖感にいつも支配されている。

ある本で読んだのは、
『「人を想像してみて」と言われて、はっきりと顔のパーツまで思い浮かべられるのか、形だけぼんやりと思い浮かぶのか』
の違いで幼少期に愛着形成がなされたかそうでないかが見分けられるっていうもの。
自分の場合は、完全に後者だった。
どす黒い人型の影ができているけど、それ以外は何もわからない。
人はよくわからないものに不安や恐怖を覚える。
だから、「わからなくて、恐い」んだと思う。

考えてみれば小学生の頃から、友達が「恐かった」。
何でいきなり喧嘩をし始めるのか理解できなかったし、何をもって急に怒り出すのかがわからない。
だからずっと怯えていた。
中学生になると急に誰かを仲間外れにしたり...という動きが出てくる。
中学生の時は3人で登下校をしていた。
そのうちの1人が急に「あいつハブろうぜ」と言い始めて、狼狽えながらもその子に従った。怖いから。
その子は覚えているんだろうか。
そしてハブられた子とはそれ以来一度も話すことはなかった。
罪悪感はあった。
それよりも自分の中に強くあったのが「恐怖」だった。
何を考えているんだろうか。
いつ復讐されるんだろうか。
そんなことばかりを考えていた。

そしてそれは今でも。
自分が苦しんでいる時、やはり育ちのことに思いを巡らせずにはいられない。
親は今も闘ってくれているし、感謝している。
そうでありたい。
自分の人生は全部自分の責任。
そう分かっていながらも、どこか、「もっと認められて育ってたら。」なんて思わずにはいられない。
思春期に仲間外れにされたりしたらどうだろう。
きっと大きな心の傷を負うだろう。
そしてその先その子が苦しい思いをするたびに、自分への恨みを募らせているんじゃないだろうか。
そんな風に考えたりする。
最初は恐怖のあまり、許して欲しいなんて思っていた。
でもそんなのは独りよがりだ。
この先も一生業を背負っていくんだろう。
恐怖という形で。
綺麗事を書くつもりはない。

相手のことを思っていると見せかけて、いつも自分の保身しか考えられない自分が嫌だった。
でも、恐いのだ。とにかく、恐いのだ。
そんな自分でいる以上、また同じ形で人に傷を背負わせるかもしれないし、自分のことばかりで苦しむ俺を助けたいと思う人もいない気がする。
被害者意識を捨てたいと何度も思って生きてきた。
でも一体、どう抜け出せばいい?
前にも述べた通り、この気持ちはどこに置けば良い?
ストレスがかかって、不安感が強まるとこういった思考がループする。

上手く纏まりませんでしたが、飾らず隠さずで書けたので良かったと思ってます。
今は、とても良い人ぶれる気分じゃなかった。
自分の醜さを吐き出した方が楽だった。
もし同じような思考の癖を持っている方がいたらぜひ共有してください。

おわり

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