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「本と食と私」連載1回目のテーマ:宝物どこにしまったか忘れた

 双子のライオン堂書店の店主、竹田信弥さんとライターの田中佳祐さんの2人による新連載「本と食と私」が始まります。毎回テーマを決め、そのテーマに沿ったエッセイを、お2人それぞれに書いていただきます。前の連載「料理本の読書会」同様、食や本にまつわる内容が中心となります。初回のテーマは、「宝物どこにしまったか忘れた」です。 

宝物どこにしまったか忘れた

 
 忘れられない味がある。
 
 小学生の頃、私は比較的行儀のいい子どもだったのだが、給食の時間に一度だけルールを破ってしまったことがある。「いただきます」の号令の前に、料理に手をつけてしまったのだ。
 私が楽しみのあまり早まってしまった給食は、ジャガイモと鶏肉とインゲンが入った甘辛い料理だ。給食室の前にある掲示板を見て、その甘辛い料理が書いてあると一日中ワクワクしたものだった。
 大好きな料理だったのだが小学校を卒業してから、そのような料理は一般的には作られていないことを知った。
 
 大学生になったある日、無性に甘辛い料理が食べたくなった。味を再現できるほど細かく覚えていないし、その料理の名前すらも忘れているし見つかるはずもなかった。
 当時の学校栄養職員さんが熱心な人で、給食通信のようなものを出していたことを思い出した。小学校の頃の書類をしまってある箱まで開けたが、当時のプリントをとっておくほど私はマメな人間ではなかった。
 もしも「バベルの図書館」があるならば、あの料理のレシピも書いてあることだろう。
 
 「バベルの図書館」はボルヘスの短編小説の題名であり、そこに登場する図書館の名前だ。
 そこには全て同じ大きさの本が無数にあり、アルファベットの組み合わせで考えられるあらゆる文章が存在する。つまり、これまで書かれたありとあらゆる文章が存在していて、同時にこれからの未来に書かれる全ての本も存在していることになる。
 
 突然、甘辛い料理を食べたくなった日から数年がたち、すっかりあきらめていた頃に「給食が美味しい地域」というメディアの特集に、私の地元である練馬区が紹介されていた。そこで、練馬区の給食のレシピが区のホームページで公開されていることを知った。
 「バベルの図書館」よりもはるかに矮小なインターネットの海に、私の好物のレシピは載っていたのだ。
 料理の名前は「鶏肉とコーンの揚げ煮」であることを知った。今でも、練馬区のホームページに載っているので、調べれば誰でも作ることができる。さっそく作ってみるといかにも子どもが好きそうな味付けだったけれど、とんでもなく美味しかった。

 私には、まだ再現できていない好物がある。それは母の作った「キムチ鍋」だ。これは絶対にインターネットには掲載されていない。「バベルの図書館」には存在している。そして、母の頭の中にもある。しかし、どうも気恥ずかしくてそのレシピを聞くことができない。
 自分で「キムチ鍋」を作るたびに味付けを変えてみたり、具材を変えてみたり試行錯誤をするのだが”あの味”になることは無い。
 それでも作り続けるものだから、私の「キムチ鍋」はバリエーションが増え、レシピは拡散していく。ちょうど「鶏肉とコーンの揚げ煮」のレシピが収束したのと反対に。
 
 私の宝物のレシピはすぐそばにあって、宝箱の鍵も持っている。「教えてほしい」という言葉を母に伝えればよいのだ。インターネットで検索しなくてもいいし、ましてや「バベルの図書館」にまで足を運ぶ必要はない。
 それなのに私はすっかりそれを忘れたふりをして、見当違いの「キムチ鍋」のレシピを作り続けている。
 真実のレシピをなんとなく避けているのは、怖いからなのだと思う。もしも、あの「キムチ鍋」を再現できたとして、まあまあな味だったらどうしよう。
 「鶏肉とコーンの揚げ煮」もあの日から一度も作っていない。あんなにも美味しかったのに定番の料理になることはなかった。
 それは、小学生の時のあのワクワク感をいつまでも薄れることなく記憶しておきたいからなのかもしれない。
 好物がなんでもない日常の食事に変わってしまうことを恐れているのだ。
 だから、誰に何を言われてもこう答えておこう。
 宝物どこにしまったか忘れた。

文:田中佳祐



 僕は、おばあちゃん子だった。
 父方も母方ともに東京にいて、気軽に会いに行くことができた。
 どちらの祖母とも料理をした記憶がある。それほど回数が多かったわけではないけど、その時間が好きだった。
 
 全く共通点のないふたりの祖母だったが、どちらも台所に『暮しの手帖』が数冊置いてあったのを覚えている。僕が初めて『暮しの手帖』に触れた瞬間だったと思う。雑誌といえば表紙がごちゃごちゃした少年誌しか手に取ったことがなかったので、シンプルで落ち着いた表紙が新鮮だった。ぱらぱらとめくれば、電気代が高いとか生活の知恵とか、母や祖母たちがちょうど話題にしているようなことが書いてあった。当時の僕は興味がなかった。考えてみればインターネットも普及していない時代だったので、これこそが家事をする人たちの情報源だったのだろう。
 祖母たちは熱心な読者ではなく、毎月買っているわけではないようで、たぶん気に入った料理のレシピが載っている号を台所に取っておいているだけのようだった。
 
 母方の祖母、通称「あーちゃん」は、泊まりに行くと、朝は必ずご飯と卵焼き、焼き魚を作ってくれていた。
 あーちゃんの家に行くと朝が早い。マラソンが趣味で、70歳をこえてもずっと走っている人だった。泊まりに行くと朝から一緒にジョギングか散歩をする。僕は走るのが苦手だったので、ジョギングだと追いつけない。その帰り際に地域のラジオ体操に参加する。当時の僕は、夏休み以外でもラジオ体操が行われていることを初めて知った。大人に混じってやるラジオ体操はちょっとだけ優越感があった。

 祖母の家に帰ってくると7時半くらい。学校のある日だと起きる時間だ。帰宅したらすぐに台所へ行ってみんなの朝食の準備をする。そのテキパキ加減が心地よかった。
 僕はお米を洗う。あーちゃんがしゃけを焼く。母はしゃけを焼くのが苦手とよく言っている。あーちゃんの助言は「とにかく見守ること」だった。
 しゃけを焼かないときは、海苔巻きを作る。いつも前日のお刺身の残りを醤油漬けにしたものと、鰹節に醤油とごま油を混ぜたものの2種類だった。
 米とぎが終わった僕は手伝いとは名ばかりの傍観者だった。でも、高校受験はどうなんだとか、剣道はどうなんだとか、何気ない会話をしながら朝食を作る時間が好きだった。
 
 父方の祖母、通称「ばぁば」は、お嬢様育ちでそれほど料理が好きとはいえない人だった。それでもたまに一緒に料理をした。
 ばぁばの得意料理はおでんだった。
 まず買い物に行く。普段、親と食料品を買いに行くのはスーパーだったが、ばぁばは地元の小さなお店を歩き回って買う。肉は肉屋、魚は魚屋、野菜は八百屋に行く。地元には商店街がない。それぞれのお店がぽつんぽつんと徒歩10分くらいの場所に点在している。それらを一緒に歩きながら、椅子になるカートを引っ張ってふたりで周った。
 
 ばぁばは生まれも育ちもずっと同じ場所なので、どのお店に行ってもお店の人と顔馴染みだった。ちょっとおまけをされて喜んでいた。僕も嬉しかったけど、今思えばみんなにしていたのだろう。

 料理は簡単だ。食材を、切って、おでんの具にするだけ。がんもどきや餅巾着に関しては、買ってきたものをそのまま使う。
 ばぁばのおでんのこだわりは出汁だった。おでんを作る日の前日から鍋に昆布、かつお節を入れて一晩つけておく。綺麗な黄金色の出汁汁ができる。いつも買い物にいく前に、少し味見をした。調味料も具も入れる前なのでまだ味は薄い。味を探す感じが楽しかった。
 一晩寝かせた出汁に、酒、しょうゆ、みりん、塩に、たぶんオイスターソースをちょっとずつ入れて味を整えていく。具を入れて一煮立ち。家中に出汁の匂いが充満していく。
 ばぁばとは、料理中あまり会話をしなかったけど、食事をしながら思い出話をしてくれた。だいたい戦争中の話が多かった。怖い話、悲しい話が多かった。なぜか僕はそれを聞くのが好きだった。いつもあまりしゃべらない祖母がたくさん話すからだったのかもしれない。
 
 料理好きのおばあちゃんも、料理をしないおばあちゃんも、同じ『暮しの手帖』で繋がっていると思うとなんだかおかしい。
 ふたりの祖母の料理のレシピは書き残されていない。ここに書いた通りに作っても同じ味にはならないだろう。もしかしたらあの雑誌の中に、残っているのかもしれない。

文:竹田信弥

著者プロフィール:
竹田信弥(たけだ・しんや)

東京生まれ。双子のライオン堂の店主。文芸誌『しししし』編集長。NPO法人ハッピーブックプロジェクト代表理事。著書に『めんどくさい本屋』(本の種出版)、共著に『これからの本屋』(書肆汽水域)、『まだまだ知らない 夢の本屋ガイド』(朝日出版社)、『街灯りとしての本屋』(雷鳥社)など。最新刊は、田中さんとの共著『読書会の教室――本がつなげる新たな出会い 参加・開催・運営の方法』(晶文社)。FM渋谷のラジオ「渋谷で読書会」MC。好きな作家は、J.D.サリンジャー。

田中 佳祐(たなか・ けいすけ)
東京生まれ。ライター。ボードゲームプロデューサー。NPO職員。たくさんの本を読むために、2013年から書店等で読書会を企画。編集に文芸誌『しししし』(双子のライオン堂)、著書に『街灯りとしての本屋』(雷鳥社)がある。出版社「クオン」のWEBページにて、竹田信弥と共に「韓国文学の読書トーク」を連載。好きな作家は、ミゲル・デ・セルバンテス。好きなボードゲームは、アグリコラ。

双子のライオン堂
2003年にインターネット書店として誕生。『ほんとの出合い』『100年残る本と本屋』をモットーに2013年4月、東京都文京区白山にて実店舗をオープン。2015年10月に現在の住所、東京都港区赤坂に移転。小説家をはじめ多彩な専門家による選書や出版業、ラジオ番組の配信など、さまざまな試みを続けている。

店舗住所 〒107-0052 東京都港区赤坂6-5-21
営業時間 水・木・金・土:15:00~20:00 /日・不定期
公式HP https://liondo.jp/
公式Twitter @lionbookstore
 

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