自分が還る場所
佐賀県唐津市。
13歳〜17歳までの5年間、私が暮らした場所だ。
1〜3歳までは沖縄県に住んでいたが、小さすぎて記憶は皆無。
この2県以外、人生の大半は福岡で過ごしてきた。
もちろん生まれも、そして現在も。
そんな福岡県を差し置いて(笑)、なぜ「#ふるさとを語ろう」のお題に唐津市を選んだか?
自分の中の全てを出して「号泣できる場所だから」だ。
それは時に海だったり、昔住んでいた町だったり、通っていた中学校だったり・・・。
そこの場所に行ってもそうだが、思い浮かべるだけでも涙が出る。
というか、号泣するほどの出来事があると自然にその風景が頭に浮かぶ。
車の免許を取った、20歳以降。
ドライブでももちろんよく行ったが、死にたいくらいの悩みを抱えた時も、私は必ず唐津の海を見に行った。
誰にも相談しない。
ただ海を見る。
そのまま車で突っ込もうかと思ったこともある。
どん底・絶望=死を連想しがちな年齢でもあった。
それを救ってくれたのは、海…というより、唐津という場所だった。
私の家族は、父、母、姉、私の4人家族。
3歳〜12歳までは福岡に住んでいたが、この期間はあまりいい思い出はない。
13歳の時に唐津に転校。
一軒家に住み、側から見るとごく幸せな家庭に見えたことだろう。
多少の夫婦喧嘩、親子喧嘩、姉妹喧嘩が繰り広げられたとて、私もそれを疑わずに過ごしていた。
その影で既に家庭崩壊へのカウントダウンは始まっていた。
そんな唐津での5年を過ごした後、福岡に戻って3年後。
私が20歳の時、家庭は崩壊した。
父は家を出て、母は精神を病んだ。
社会人になってすぐのことだったので、自分で生活することはできたがそれでも当時の自分にとっては絶望的な出来事だった。
その未来を唐津にいた頃の私は知る由もなく、笑って、楽しく、自分のことだけを考え、漫画家になりたいと夢を抱き、中学高校と何不自由なく学校生活を送らせてもらった。
福岡に戻ってきてから一変、唐津での安定はどこへ?というくらいのいざこざが発生し、家庭が崩壊した時、父親を恨むこともあったが・・・
大人になってようやく、あの時の両親の苦労は理解できるようになった。
思春期の多感な時期に「楽しい学校生活」を送らせてもらえたことには、今は感謝している。
唐津は、5年間ずっと心身ともにバランスが取れた中で生活した場所だからなのか・・・、ここに来ると不思議と心が安定する。
隣の県でありながら、結婚後は頻回に行くことはなくなった。
・・・が、一昨年くらいから年に3回くらい行くようになった。
あ、
死にたくなって…で行くことはないです。
それはただの用事だったり、ふらっと行こうと思いついたり、何かに迷ったときだったり、いろいろ。
唐津に行くと、迷いや不安は自分の中でふあっと昇華され、
そして何かに包まれたような安心感に満たされます。
それで、考えるようになった。
正確には10年前くらいからかな。
「あ、ここで死にたいな」と。(笑)
終の住処といった方がいいか・・・。
福岡という「はちゃめちゃに暮らしやすい場所」に住んでいながら、私はそのうち唐津に移住するんじゃないかと思っている。
今は「思っている」という表現をしているが、前回の記事で書いたように「断言する」すぐ近くまでにはきている。
「唐津に移住する」と(笑)
唐津の何がそんなにいいの?と聞かれたら、
自分をさらけ出せる場所だよ。いいに決まってるじゃん☺️と答えるかな。
残念ながら福岡でそれはできない。
私の中では、現状福岡にそういう場所はない。
(ここでいう「場所」はあくまでも「場所」っであって、さらけ出せる「人」は福岡にもいますし他県にもいます。)
まぁ、まだまだ先の話だけど。
おばあちゃんになったら、海を見ながら仕事をするんだ。
おばあちゃんになっても、生涯現役で。
大好きな唐津で。
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