わたしが、まだ日本にいることの意味。

何かに集中しすぎて気持ちがぴーーんと張り詰めている時、ふいに連絡をくれる友達がいる。


彼女はとっても不思議な人で、いつもそうだ。
なんだか、遠くにいるのに側でわたしのことを
見てるみたいに、ポイントポイントで
わたしのことを緩めてくれる。

時に温かい言葉で、美しい写真で。
わたしが返信できなくても、当然怒らないし、
気を遣わせない。だから、わたしも安心する。

この間は、「これを見てると、みどりちゃんのこと思い出す。梅だからかなぁ」と、雨の日の梅仕事の様子をおさめた暮らしの動画を送ってくれた。ほんわかするあったかい動画。


肩の力が抜ける。
自分のことを、ちょっと離れたところから
俯瞰して見られるようになる。
もっと力抜いて、緩めよう。


いまはすこし仕事のことで頭がいっぱいだ。
だから、日々、いろんな人の、いろんな感情に
触れることも多い。

それは、前向きでワクワクするようことだけではない。
時には、一瞬で目の奥が熱くなるような感情を覚えること、ハンマーで頭を殴られるような思いをすること、寄り添えないもどかしさ、伝わらない歯痒さ、それはもう目まぐるしく。
たぶん、そういうものに、もっと触れる機会が、これから先まだくる。
現場になるべく近づきたくて、あえて自分からそこに身を置いてるのもあるけれど。大火傷寸前だ。





でも、そんな時に彼女がくれた言葉を思い出す。

みどりちゃんは、もしかしたらバンコク に行けなくて残念だったかも知れない。
でも、日本の観光にとって必要だったんじゃないかと思う。
わたしは、みどりちゃんが日本にまだいてくれて嬉しいし、頼もしく感じる。


自分でも、とてもよくそれを自覚している。
たぶん、いま日本を離れてはいけない、
そういうふうに神仕組みされたんだろうな、と。


だから、会えた人、繋がった人もたくさんいる。
このほんの数ヶ月、動いた証拠なんだとも思う。

だから、くじけたり、へこんだりしている場合ではない。時間は有限なのだから。
いま、この瞬間もわたしが最大限できることを。


わたしがバンコクに行く目処がたつ時。
それは日本の観光シーンが、ひとつ何かを乗り越える時かも知れない。