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新しいはじまりの、はなし。| vol.4

年度の始まり。

 4月1日。私は、まだここにいる。
本当なら今頃は、バンコク行きの飛行機の中、雲の上の人だっただろうか。
 部署異動するのも何だからと、人事の計らいで、引き続き、同じ部署に置かせて貰えることになった。仕事は、3月末に後任へ引き継ぎしたものの、しばらくは伴走することに。ありがたいことだ。
 
 廊下で、同僚たちとすれ違うたび、
「あれ⁉︎どうしたの?」と、おばけにでもあったかのように驚かれ、声をかけられた。
 また、わたしの髪色が、それはもう、すっかり休職モードだったものだから、いろんな意味で、何度も二度見された。

人生初の全頭ダブルブリーチ。発色が良くて、くせになりそう。次は何色にしてやろうか。
もはや、霞ヶ関にいようが、何とも思わない。


 この頃、さすがにうちの職場でもテレワークのシフトが組まれだした。
4月の第1週は、フル出勤。2週目は、週1〜2でテレワーク、3週目は1日だけ出勤し、4月17日以降、オフィスには行っていない。主人も同じような感じで、在宅日が増えて、一緒に過ごすことが多くなっていった。
 息子は、というと、4月6日の入学式までは春休み。どちらかが必ずテレワークで家にいるので、丁度よかった。

 通勤経路も変わり、渋谷で乗り換えをすることに。人気(ひとけ)の無い渋谷スクランブル交差点を横目に、スカスカの地下鉄に乗り込む。それだけで、平時ではないのだということを、あらためて実感した。

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人が交差しない、渋谷スクランブル交差点。 


 いつもなら、年度始めのこの時期は、異動の挨拶などで、賑やかなオフィスも、人の出入りが殆どなく、とても静かだった。
 儀礼的な異動のご挨拶、だらだらした会議や打ち合わせ、残業など。生産性の低いものが、どんどん浮き彫りになっていく。そういうものから、削がれていくのだ。
 不夜城な霞ヶ関。わたしたち公務員の働き方も、ここからドラスティックに変わってしまえばいい、と思った。


青空入学式。

 4月6日。朝から快晴だった。今日は息子の入学式だ。
小学校からの連絡メールで、次第等の変更はあるものの、式は予定通り挙行とのこと。学校側では、色々と判断に窮することもあっただろう。子供にとっても、親にとっても、大切な節目。感謝しかない。この日は、夫婦共に休みをもらい、参列した。

 小学校に着くと、体育館ではなく校庭に案内された。青空入学式。わぁ。なんて最高なんだ。
感染防止策として、屋外でやることになったとはいえ、思いがけない演出に感激した。子供たちにとっても、生涯忘れられない入学式になるだろう。こればっかりは、コロナに感謝した。
 晴天の下に集う、ぴかぴかの新一年生たち。息子の背中が、とても凛々しくて、誇らしかった。ここでもやはり、歌や挨拶などを極力減らして、必要最低限の次第で行われた。その後、教科書や通学帽を受け取り、すぐ解散。拍子抜けするくらい、あっという間に終わって、それもまた良かった。帰りは、教科書を入れた息子のランドセルで、カバン持ちをしながら、3人で仲良く帰宅した。夕方には、学童クラブにも息子とお邪魔して、申請手続きをした。こちらも受け入れてもらえるようで、ほっとした。


暮らし、整い始める。

 このくらいから、少しずつ、ここでの暮らしも整いつつある、…ように感じる。
ごはんをつくる、お天気の良い日は、お布団を干す。玄関を掃き清める。とても些細なことだけれど、そのひとつひとつが、気持ちを整えてくれる。気持ちに余白ができてくると、視界も開けて、見えてくるもの、感じるものも変わってくる。
 まだ本調子とはいえないけれど、そんな気持ちの変化を感じられて、自分で、自分のことを嬉しく感じた。

(つづく)

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これはこの春、私にあった出来事。
かわいそうだったね、大変だったねと誰かに慰めて貰いたいわけではない。
それでは、決して満たされないこと、解決しないことを知っているから。
書き綴るのは、私自身が過去に光をあて、そしてすべてを手放すため。
これは、私の新しいはじまりの証し。

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