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blogは思考のアーカイブ。

今年に入ってからblogを書き始めた。
まだまだ数は少ないし、もっと言葉の表現力を身につけたいと思いつつ試行錯誤しながら、ぽつぽつとマイペースで書き記している。頻度は少ないけれど、発信は思考が生まれ結晶みたいに固まった自分の中の旬なタイミングでもあるから、それはそれで自然だと思っていて、それすらも自分らしくていいのかもしれないとも思っている。

それまでの発信は、Facebookが中心。Twitterも使い始めたけれど、どちらも流れゆくもの。振り返ることが容易では無い。書く内容が深まるにつれ、次第に自分の思考をきちんと書き留めたいという欲求が生まれた。

blogは自分の思考のアーカイブだと思う。そしてblogはストックされて財産になる。その時に感じたこと、考えたこと、何かがきっかけで想いを巡らせたこと、想像したこと。あの時に、こんな心情で、だからこう書いたと自分で納得できるものをひとつひとつ丁寧に切り取る様に書いていたい。むしろ今は頻度を上げるよりも表現力や伝える力をもっと身に付けたい。たまに自分の思考を表現する適当な言葉が見つからなくてやきもきする。もっと自分の心情に近い言葉はないか。自分の言葉と受け手側の印象との距離感をなるべく近づけられるように、体温を宿した言葉でより伝わるように、いつも言葉や表現を探している。それには、ただひたすら本や読みものを通じてたくさんの上質な言葉たちに触れること、そして自分の言葉で書き綴ること、それに尽きるのだろうなと思う。

ちなみに私がblogを書く時、いきなり書き始めたりしない、というかそれが出来ない。無からは何も書けない。ならばどうしているかというと、日々の中で、何か考えていたり、誰かと話していたり、SNSでコミュニケーションしていたり、景色を見ていたり、芸術(絵画、音楽、文学…)に触れたり、色んな瞬間にふっと降りてくるセンテンス。それをストックして紡ぐという方法。あ、自分がずっと考えていたことはこういうことだったんだと、その時の空気とか誰かの言葉とかがセンテンスを連れてくる、そこで自分の思考と繋がる。そこから大事なのは、そのセンテンスが消えてしまう前に何かに書き記すこと。メモ機能、手帳に走り書き、そしてTwitter。例えば、こんな感じに。


あとは、それらを繋ぎ編集しながらblogとして書き始める。こうして書いている時にも新しい思考が浮かぶので、その時の感情も一緒に織り込んで紡いでいく。当然、毎日ひとつのことだけを考えている訳ではないので(日々の暮らしのこと、家族のこと、仕事にまつわること など)、センテンスも思考もばらばらだし、blogの下書きも常に複数ストックされている。なのでTwitterやblogの下書きをながめると、今の自分の思考が可視化できて、それもおもしろいなと思う。

自分の中から生まれる思考は、結局誰かと接したり、何かに触れたり…、其処彼処からたくさんのきっかけを貰って生みだされる。自分らしい思考は、自身の経験や誰かとのコミュニケーションからしか生まれないような気もする。 しかも誰かとのコミュニケーションはリアルなものより、いまはSNSでのコミュニケーションが圧倒的に多い。時間も場所も超えるSNSというツールは、私の思考の機会や幅をぐんと拡げてくれた。
Twitter、Facebook、Instagram、blog、それぞれ特性は違うけれど、 これらSNSでの交流から思考のきっかけを掴みたいのなら、まずは自ら発信して水面に波紋をつくることが大事だと思う。すると誰かの波紋と交わって新しい発見や視点が見つかる。キレイで静かな水面もいいけれど、それはつまらない。波紋が幾重にも重なるから、楽しかったり、美しかったりする。
波の大きい小さい、かたち、拡がり、色々あるけれど、私は今日もこうやって水面に波紋をつくる。