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暮らしのコト

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日々の暮らしのコト
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2020年6月の記事一覧

僕の好きの半分は、恐竜でできている。

先日、車で出かけた時のこと。 近くの踏切で、めずらしく信号待ちを することがあった。 右、左、右。 3回は電車が行き交った、とおもう。 隣で息子が「今度はこっちから電車がくるぞ」と、喜んでいる。 そういえば、息子がもっと小さい頃。 電車が好き、というよりも、踏切が異様に好きで、何度も何度も踏切の前を、 通らされた記憶がある。 カンカンカンカン…、という音、 降りてくる遮断機、 通り過ぎる電車。 この一連の流れが、どうやらお気に入りの 様子だった。 踏切前で、一時停車する

雨の日、散歩のすすめ。

ザァーザァー、 ぽつぽつ、しとしと、ぱらぱら… 雨音を表すオノマトペは、いろいろ。 日本は、雨の多い国だから、 雨音の表現も豊かだなぁと思う。 英語だと、どう表現するのかなぁ、なんて 考えるのも愉しい。 今日の雨は、しとしと。 弱くなったり、時折止んだり。 今日はあまり風がなかったから 真っすぐで、白い糸みたいな雨だった。 今朝、ジョギングから帰ってきた主人が 「紫陽花が、すごくキレイな小径をみつけたよ」 と教えてくれた。なんだかうれしい。 一緒にみつけたという近くの

雨の匂いが、好き。

雨の匂いが、好き。 DNAレベルで何か、感ずるものが あるのだとおもう。 ペトリコール。 地面から立ちのぼる、あの匂いの正体。 ギリシャ語で「石のエッセンス」という 意味らしい。 嗅覚と記憶は、つよく結びついている。 雨の匂いがすると、小さい頃を思い出す。 庭の草木が、雨に濡れて青々としていたこと。 葉っぱから滴るしずくを、ずっと見ていたこと。 大きな樽に、雨水がたっぷり溜まっていたこと。 お気に入りの赤い長靴のこと。 雨が上がる頃、裏山がもやで霞んでいたこと。

毎日の連続投稿が途絶えて、私に残ったもの。

GW前から、毎日こつこつと書いてきたnote。 30日目をむかえ、バッジをいただいたその翌日、 毎日連続投稿の記録が、途絶えてしまいました。 書き上げた長文記事の最後の校正を、 布団の中でかけていて、 息子と一緒に、そのまま寝落ち。 飛び起きた時、時計はすでに、 夜中を回っていました。 あぁ、やってしまった…。 本当にくやしかった。 悔やんでも、悔やみきれず、 その日は、なかなか寝付けませんでした。 せっかく習慣化してきて、自信もついてきたところだったのに。何より1

梅雨入りと心の空模様。

わたしは、心の曇りが続くようなとき、 ちょっと思考が停滞してる、淀んでるな、 と思ったときに、この本をめくります。 そして、いつも禅の言葉に救われます。 いまの私に、ぴたっとくる言葉はこれでした。 「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」 つまり、もともと何もないんだよ、 ということを知る。 雲ひとつなく、高く青く澄み切った空のように、 心とは、本来そういうもの、であると。 また、達磨大師の言葉に、悟りの境地を表す ことばとして、 「廓然(かくねん)」というものがあるそう

梅シロップのつくりかた。|  《梅仕事2020》

毎年この時期の愉しみ。 そう梅仕事です。 かれこれ5年くらい、自宅で梅シロップつくりを 楽しんでいます。 ソーダ割りにして飲んだり、お料理の隠し味に つかってみたり。 梅パワーのおかげか、夏バテの記憶がありません。 今年は、暖冬の影響で青梅の収穫量が少なかったとか。スーパーの店頭にも、青々とした梅たちが並び始めましたが、もしかしたら、出回る時期も短いかも知れないですね。 そんな状況でしたが、今年も無農薬の青梅を送っていただきました。ほんとうにありがたい。 今年は、愛媛県の

noteは、居心地の好い「まち」のような場所。

noteを、まちに例えるなら「西荻窪」みたいだ。 それは、友達との会話の中で、 彼女がぽろっと言ったことば。 ほんとだ。 それは、わたしにとって、すごく しっくりくる表現だった。 そう、noteは西荻窪みたいだ。 以前わたしが住んでいたまち、西荻窪。 吉祥寺と荻窪の間に挟まれた、西の端っこに ある小さなエリア。 ちょっとこだわりの強い、ニッチなまち。 週末は、中央線が止まらない。スタバもない。 でもそこには、小さいけれど、こだわりと 個性たっぷりのレストランやカフェ、居酒