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あの日の反省_体裁を気にして感謝の表現に歯止めをかけるな

あのときの反省を忘れないように記す。

昨年、一年間ほど勤めた派遣先の契約終了を申し出た。理由は、社内の組織体制などの変更によって私の業務や責任範囲にも影響がでたため。

自分で言うことでもないけど、そつなく仕事はこなせていたし、社員の人達との関係も良好で、信頼を得ていたと思う(もちろん、派遣社員に期待する範囲での信頼だけど)。

私も社員の人達にはとても感謝していたし、契約終了にあたってその部分は惜しいと思っていた。

社員のひとりは私が去る時に「本当に寂しい」と涙してくれた。その人は特に人情深いのもあったけど、たった一年超、表層の仕事しかできなかった私に対してそこまで感情を動かしてくれたことに感動した。その前の職場の去り際があっさりしていたのとも対照的だった。

さらには、最終日にはお菓子の贈り物までくれた。いやいや、普通はこちらが渡すものでは?と内心突っ込みながらもありがたく受け取るしかできなかった。

なぜなら私の手元には、その人への贈り物がなかったから。

これまで正社員だったときは、退職のときにはお世話になった御礼のお菓子やらを用意していた。その時もその考えは過ぎったけれど、自分のなかで歯止めがかかったのだ。

いやでも、私、派遣だし。

派遣社員が職場を去るのは当たり前にあること。お礼の品を渡すなんて不自然だし、貰った側も戸惑うだけだろう。
そんな考えで、自分の立場だけを理由に何も用意しなかった。

それが大きな間違いだったと気付かされた。

もっと単純に、気持ちを贈るものとして捉えればよかったのだ。そう思えていたら当然用意していた。社員の人には本当にお世話になっていたし感謝していたから。
どうしてそれに気付けなかったのだろう。逆に贈り物をもらって気付くなんて。
冷静に考えれば、派遣社員からであっても贈り物を受け取って訝しむ人はきっと稀だ。いたとしても、その人の性質であるだけで、こちらが気にする必要はないはず。
気持ちがあれば、それを表せばいいだけのことだ。

贈り物をもらったのは最終日で、その後会う機会が決まっていなかった。慌てて後からスタバのデジタルチケットを贈ったけど、きっと本当の気持ちは伝えられなかったと思う。

体裁だけを気にして、気持ちの表現に歯止めをかけるのはやめよう。
相手が萎縮するような豪華な物でなくてもいいし、なんなら場合によっては物である必要もないかもしれない。
とにかく、感謝の気持ちがあればそれを伝える工夫をすればいい。

そんな人生の教訓を得た出来事でした。
今後も色んな場面で忘れないようにしていきたい。

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