皿に居座るもの
本が好きだが、他にも好きなものはいっぱいある。
トマトである。対して食べる事は出来るがポテトはそんなに好きでない。
しかし更に大嫌いな物、
それは
『きゅうり』
である。
なんともまあ、この世にこんな物が存在してくれたものだ。
名前もよろしくない。
栄養もなく水分しかないくせに、スーパーで食品の如く普通に売られ、まるで
「私は食べ物である、ちゃんと食せ!」
とばかりにデーンとメインディッシュのように居座わっている。
しかも食卓の皿にまでメインディッシュよろしく
「さあ、食べなされ。私を食すのだ!」
と寝転び、皿を自分の部屋のように、ベッドのように扱っている。
一体、なんなんだ、こいつは…。
私はトマトが好きだが、トマトはそんな偉そうな存在ではない。
ソッと皿の上に静々と乗り、まるで清楚可憐なお嬢様のようではないか!
赤と緑ではこんなに違うのか?
否!ピーマンも緑であるのに素晴らしい存在だ。和洋中とどの料理にも使えるではないか。
しかし同じ緑のきゅうりだけは許せぬ存在である。
何故、何故、食卓に、給食に、弁当に、入ろうと、入ってこようと、するのか!
。
サンドイッチには潜み、ポテトサラダには忍び込み、ちらし寿司には寝そべり、冷麺に至っては堂々と居座るきゅうり。
これを許していいものか⁉
否っっっ!
私がもしも「きゅうりを食べないでいない党」の党首になった時の公約にはこれを入れるつもりである。
「きゅうりを食さなくても許す」
という公約である。
またきゅうりが食べれない人々のために、「きゅうり食べれませんカード」「きゅうりは抜いて下さいホルダー」「きゅうり別にして下さい手帳」など、きゅうりが食べれない人のための補助まするつもりである。
きゅうり好きな人と嫌いな人との分瓜も色々なお店でもやっていただきたいと思っている。
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