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介護に生かせる経験①

今までは独特の自分を他とは違うと認めるのは怖かったです。
自分を出してもいいんだと思える過程が必要でした。

だって人と違う部分を恥ずかしいという認識を持たされたら誰だってそうなるでしょうし、トラウマを作られたら消極的になるでしょう。

今だから言えることは個性を消す必要はないということ、辛い経験をそのままにしないことです。

私が選んだ介護の道は成功へのストーリーだったら?
ネガティブでも必ず開花してより強力なマインドだったりポジティブ思考に導いていけるとしたら…
それを介護に生かせるとしたしたらどうでしょう?

介護の仕方
介護との向き合いかた
介護業界で成功したいかた
これからリーダーシップをとるかた
地域福祉に関わりたいかた
介護のノウハウが必要なかた
認知症に悩む全てのかた
介護をしているかた
そんなかたに
お伝えできることがこのストーリーにはあります。



幼少から

左利き
ということもあり、矯正されることが多くて今では字を書くのとお箸を持つのは右手です。
右手あげてと言われても反応するのは左手の利き手
だから一度頭の中で箸を持つ方が右手と頭に描いてからのアクションでした。

自転車に乗る練習も助走をつける際に立つ位置が教えられる方では違和感がある。
何度やっても上手くいかない…
センスがないと思っていたら利き足が違う
ガラス戸に移る自分と周りが同じで鏡のようにできればと悔しかった。

前から突進してくるオバチャン自転車を直前で避けようと咄嗟の動きも左にハンドルを切ると同じ方にオバチャンも動いてくる…
引き寄せているのではなく右利きの多い世界では咄嗟に判断すれば自転車のぶつかる確率は左利きの僕が誰よりも高い…
これは統計データではないのであくまでも自分勝手な解釈ですが

これはどれも左利きあるあるかと思いますが…ハサミ、ナイフ言い出すときキリないですね


それから
自分のルーツの母方の家族について
相次いで亡くなる叔父叔母のこと比べられたり偏見で見られたり批判されることにとても嫌で怖い思いをしました。
そんなこともあり本来の自分を隠して萎縮しながら色んな人の顔色をみて付き合ってきました。
なぜかマウントを取る人はどの世界にもいます。それが親族であったら大変ですねそこにどう合わせるのか?考えて動いている自分がいました。
お世話になってきた人たちに失礼なことは言えないですよ

これって
ネガティブ思考を築き上げる始末よね?


それでも
ネガティブにならないよう成長を助けてくれる尊敬する家族や信頼おける人たちと出会えるようになっているから人生は諦めてはいけないのですね
神さまのおかげと感謝しています。


左利きを認める助言
左用のグラブをミズノ本社で別注しては?

無理に右打席に入らなくても左打席に入れる様に練習しよう

みんなより劣るところがあっても同じもので勝負せず
絶対負けないものを探してそれで1ばんになってやれ

あなたは絵を描いているときいつも楽しそうよ

優しさはあなたが持つ最高のものよ

転ぶことが多いな
痛いな
それやったら
転んでもタダで起き上がるな
砂でもええから掴んで起きてこい

いつからでもええ
一発旗揚げてすすんでいけ

迷わず飛べ

あなたは特別
目の中に入れても痛くない子

上でも下でもどこでもええ
ついていくから
それでええから

お前はできる子や
私たちの子どもやから


何をしてあげれるか
見返りはない
それをさせてもらえる喜びでしかない

センスええな
何をキャッチするか
とらまえかたやで

私のネガティブ思考を変換してくれる助言は幼少期から青年期まで続いてきました。

このようにネガティブ思考をいかに受け入れてポジティブ思考に変換していけるかであると考えます。
それが人生の過程で開花した繊細という能力です。

繊細な心を持つものこそ選ばれしものと私は思います。
共に感動したり揺れ動く心を察したり
相手の身になって物事を考えることができる。
自分のことの様に親身になれる。
介護をする側には必要なことであり、繊細でない人は繊細のセンスを習得する必要があると私の経験上断言できます。

しかし継続させるには忍耐力が必要
感情労働の難しいところ
バーンアウトしては意味がない
バーンアウトしないためのケアの方針がなければどれだけ忍耐力があろうと継続しません

さあ
それでは私の経験と知識でみなさんへ介護の魅力を自信を持ってお届けします。



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