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「絶対腹落ちしないおじさん」と構造化とホワイトボード

最近はマーケターというよりワークショップおじさんと化しています。
今週は特にひどくて、150人相手にValue Proposition Canvasのワークショップしたり、Global Teamと英語でOKR作ったりしてました。

Value Proposition Canvas

Value Proposition Canvas

このあたりのフレームワークはどこかで記事にするなり研修するなりをやるといいかもしれません。プロダクトアウト思考がなぜダメなのか、が明確に自己認識できます。
構造化されることで位置関係が整理できるので、コミュニケーションの効率が向上するのです。

構造化ってドチャクソ大事

お仕事柄、海外メンバーとお話させて頂くことが多いです。
でもって私英語が苦手なんですよね。留学経験も帰国子女でもないし。英会話スクールで少し学んだだけだけど苦手。

で、そんな状態で「Singaporeで一週間、各国の顧客データマネジメントのプロジェクトでワークショップやるから行って来い」とかやらされるわけです。
英語で日本語データの難しさを海外に説明するという無理ゲーw

実際私の英語は「ワタシ、コノデータ、キタナイ、ヨクナイヨクナイ!」ぐらいなレベルですが、そうした中で議論するには構造化した図を使うしかないんですよね。「ディスデータ、カムフロムヒア! バット、ヒアイズノットコレクトデータ!!」とか指さしながら言うわけです。(実話)

包含関係や位置関係、重複関係、前後関係などを説明するのは母国語でも難しく、構造化と指さしで伝わることを身をもって知りました。

会議でなかなか議論が進まない理由

いま、「ザ・二ホンの素材産業」とも言える会社にいますが、1年ほどいて思ったのが、ほぼ全員「構造化」を活用していないという点に気付きました。
みんな会議の中では、上から下まで、全員椅子に座って話をしています。
まあ当たり前なんですが、壁一面に大きなホワイトボードがあるのに、ほぼ全員が座ったままで物事を書き出さないんですよね。
人間の認知って、特に知見の無い分野では2-3の項目が出てくると脳内で位置関係が整理できなくなると思ってます。

自分たちの知らないことや、新しい分野を議論すると、あっという間に「え?それなんの話?」と迷子になります。

3つのエリアで話が始まると迷子に

「この程度の話で迷子になるわけないだろ?」と思うかもしれませんが、新しい分野ではマジで迷子になりますよ。

例えば、”Marketing AutomationとSFAと外部イベントのフォームで顧客情報の扱いについて議論する”とかになると、図に書かないと一瞬で破綻します。

「MAのフォームとイベント来場者リストは項目名を合わせるために事務局で入力しましょう。SFAでもその情報はリードとしてマーケ関係者のみに見えるようにしましょう。そのためにMAの野良フォームが増えるのは良くないのでガバナンスが必要です」なんて話をすると、

「え?名刺ってsansanで入力され(てその後SFA
SFAに登録され)るんじゃないの?」「会社名?個人名?」「取引先って営業が(SFAに)入力してるじゃん」などが飛び交い、何を質問しているのかの確認に非常に時間が掛かります。
こうしたとき、誰かが痺れを切らして構造化するかな?と眺めていても誰も席を立ちません。この状況にストレスを感じていないんでしょうね。。。

コミュニケーションコストが掛からない人材

思うのですが、こうしたxx人材ってプログラム知識がある、とか専門分野の知識がある、と言うよりも、「その分野においてはコミュニケーションコストが掛からない」というのが重要だな、と。
昔からの事業で20年もやっていれば阿吽の呼吸でできるんですが、ここ数年で劇的に環境が変わっている中でも、コミュニケーションのコストが掛からない人、というのが必要とされている人材なんだろうな、と。

会議室で座って「何が聞きたいのかわからない質問」を投げかける人はコミュニケーションコストが掛かるし、コストを掛けないと伝わらない人には、コストを掛けないといけない。
でも会社としてコストが掛かる人ばかりでは無駄なので、早くコストが掛からない人になりましょう。そのためには構造化って便利ですよ、というお話です。

「絶対腹落ちしないおじさん」対策

「絶対腹落ちしないおじさん」はどんな組織にも一定数いますが、その人の意見はほとんど構造化できていないのではないかな、と印象をもっています。
ペンを持たせ、ホワイトボードに立たせて「あなたの意見を皆で共有したいので書いてもらえますか?」というプロセスでかなり双方の理解が進むような気がしています。
自分の意見があり、何かしら問題があって反対している人は、構造化したり書き出したりできます。
そして、書き出された内容は、他者からも共感を得やすいのです。

一方、「絶対腹落ちしないおじさん」は、反対することの正当化が目的化しているため、構造化できず、書き出せないのです。
単なる「腹落ちしないおじさん」なら、書き出せないという事実で自分の意見が構造化されておらず、論理的でない、という自己認識に至り、自己変容に進むことが出来る場合もあります。
「絶対腹落ちしないおじさん」は途中でペンを置いて座って話しまくるので、もう一度ペンを持たせると良いでしょうw。