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全てはうまくいっているという話

ぽっかり穴が空いたnote。何とも哀愁が漂っていますね…。

どうもご無沙汰しておりました。

幾度となく立ち止まっては、また書きだしてと成長しない自分に腹が立ちますが、懲りずに更新していきます。

じゃあ今まで何をしていたのかというと、ひと言で言えば「have to~」の波に呑まれていました。

本当に不思議なんですが、やっと心からやりたいゴールが見つかって「バリバリ行くでぇ!」と意気込んだ矢先に、それを全力で妨げるイベントが必ずと言っていいぐらい起こるんです。

前にもどこかで言ったかもしれませんが、物理世界にまでホメオスタシスが働いて、何としても現状にとどまらせようと、あり得ないことが次々起こるんですよね。

でもこれ、考えてみれば当たり前の話で。僕も少なからずコーチングを学んできているので当然「現状の外側のゴール」を設定しています。

「現状の外側」ということは、居心地の悪い環境へ飛び出そうとする行為でもあり、それはもう強い抵抗を受けます。

いわば、現状の外側からの洗礼を受けるわけですね。

「お前は本当にこちら側の世界でやっていけるのか?」と試されてるように…。

今日はセルフコーチングも兼ねて、徒然なるままに「全てはうまくいっている」という話をしてみようと思います。

同じような思いをしている人の参考になれば。

成長のタイミングが来てるだけ

なにかとうまくいかない事象が起こるということは、今より成長するタイミングが来たということ。

生きていくうえで全てがトントン拍子に進むなんてことはあり得ないわけで。

  • 今までできなかったこと

  • やったことがないこと

  • あまりやりたくないこと

  • 強制的にやらされること

あなたにも上記のようなことは日常茶飯事で起こっていませんか?

ただ、こんなことが目の前にあらわれたとき、「何で自分だけがこんな目に遭うんだ」と卑屈にならずに「今より成長するチャンスが来た」と素直に受け入れてみましょう。

そうすることで起こっている現象の意味合いが変わってきます。

やってみれば乗り越えられないことの方が少ないわけで、なんだかんだ言いながらも今まで何とかなってきたからココにいるわけです。

それ以前に目の前に起こる全ての現象は自分が生み出したものなので、原因は全て自分にあります。

「全て自己責任」

このような考え方にシフトしてからは、あまり深く悩むこともなくなりました。

自分が変われば何とかなるということなので。

止まると澱む

「have to~」(しなければならない)が津波のように押し寄せて来ようと、行動を止めるということは、川の流れと同じように澱むだけで、何一ついいことはありません。

目の前のタスクに追われて「やりたいこと」「すべきこと」を後回しにしてしまうと、そこだけ流れが止まってしまいますよね。

休んだからといって充電にもなってないし、そこからは何も生まれないから、ただただ頭の中がドロドロに澱んでいきます。

「時には立ち止まることも必要」という人もいますが、これは今までトップギアで突っ走ってきた人のためにある言葉で、モタモタとマイペースでやっている人には当てはまりません。

そもそもマイペースというのは、「現状の中」で立ち回っていることをあらわしており、「現状の外側のゴール」に対して行動が合致していないわけです。

「そりゃうまくいきませんわ」と。

凡人が唯一「現状の外側」に飛び出す手段があるとすれば、それはスピードかもしれません。

スピードによって量が保たれ、
量によって質が磨かれる。

『流れている運命(さだめ)より速く走れ!!』と。

スマートに振る舞うことの弊害

最近気づいたのが、別にスマートに振る舞う必要はないよねと。

権威性だとかラポールだとか、とくにコーチはそんなことを意識してしまいがちですが、残念ながら未熟さは相手に見透かされていて、むしろ滑稽に映っているんですね。

どこかの本から引用したのがバレバレのツイートでドヤっても、権威性が出せるはずもなく。

あなたの読んだ本はみんなも読んでるんですよ…。

手垢の付きまくった言葉に求心力などありません。よくて苦笑いされるくらいでしょう。

スマートに振る舞ってみても、権威のようなものを振りかざしてみても、相手に違和感を感じさせるということは、「現在地の把握」ができていないんですね。

どう見られているかを客観視できていないわけです。

スマートに振る舞って違和感が出るぐらいなら、等身大の自分をさらけ出した方がいくらか好感を持たれますし、信用度も高くなると思います。

意味のないプライドは犬も食わないんです。

どっちが魅力的?

あなたはスベってもガンガン行動している人と、何もかも悟ったような顔をして口しか動かさない人ではどっちが魅力的に映りますか?

満場一致で前者だと思います。

僕も好きだなぁと思える人は例外なくアクティブに動きまくってます。それでいて心に余裕がある(ように見える)。

そして自分の言葉をしっかり持っている。

アクティブに露出していくことによって、出会うはずがなかった人と「ご縁」ができるんですね。

ずっと動いているから目に留まるし、興味が沸いてくるのであって、魚ですら「動かないエサ」には見向きもしないですからね。

自分の人生なんだから好きに描けばいい。

動けばいいのはわかった。スピードが重要なのもわかった。いや、むしろ頭では最初からわかってる。でも動けないから困ってる。

世の中の大半がこんな感じなのかもしれません。そうなるように教育という名の洗脳をされてきたからでしょう。

とくに日本人は、コロナ禍でその従順さが浮き彫りになったのではないでしょうか。

エキストラになるように育てられてるわけですよ。

でもね、人生は笑いあり、涙あり、ピンチあり、感動ありと様々なハプニングが起こってこそ面白いわけです。

自分の意志ではどうにもならないことや、抗えないこともありますが、不安や苦しみは時間と共に薄れていきますし、何より主人公はあなたなんですよね。

最期に「いい人生だった」と思えればそれでいいじゃないですか。

自分の人生の著者として、好きにストーリーを描けばいいんですよ。

あなたが描くわけなので「どうせうまくいく」んです。

気に入らなければ、新しいストーリー(ゴール)を自由に描けばいい。

生きてりゃ「全てはうまくいっている」んです。

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