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私の離婚話

家建ての話はちと休憩
ざっくりと私の離婚話を書いてみようかしら。
あまりにも過去のことで、当時はネットも一部の人がやるものだったしSNSも無かったし。こうやって文字でさらすのは初めて。というか、親とごく近しい知人しか知らない。現夫アキラさんにも詳しく話したこと無いわ。

21歳で職場の同僚と結婚した。
彼は6歳上で、優しくておおらかで会話も合って。あまり親と仲良くない私と違って、とても両親を大事にしていた。その優しさも好きだった。

30歳くらいまでに子供が欲しいなという彼の夢もあり、私も当たり前のように子供を望んで、有難いことに第一子を授かった。妊娠を機に私は退職した。

その後の生活は転勤があったり、彼の親の病気があったり、なんか知らないけどお給料も少なくて生活は厳しくて・・・やがて発覚した彼の借金、義両親の借金、会社のお金に手をつけていたのがばれ(それでも雇い続けてくれた)、お給料が減額になっていた事実。

借金はいわゆるサラ金。闇金にも複数借りていて、毎月20万近く返済して元金は千円くらいしか減らないという訳分からん世界。ちなみに給料の手取り15万くらい。計算合わんけど?

そもそも借金の理由は親の病気、無保険、家賃光熱費滞納。それを彼が背負って払いきれずに自らも借金。尚且つストレスでパチンコで散財、ってオイ!

聞いてないですけどーーーーー!!

全てが明るみになったとき、私は第二子妊娠発覚。
駒子、24歳。
あ、もうダメだ離婚だ。父無し子決定。ごめんよ第二子。

しかし、別れたくないと彼に泣きつかれた。優しい子煩悩パパであったことは間違いないので、悩んだけど離婚は思いとどまることに。そして、互いの生活費削減のため、ボロボロの借家の義実家で同居することにも同意した。

サラ金地獄の中の、1歳児を育てながらの妊娠生活。毎日かかってくる取り立ての電話。食べる物も少ない、100円の野菜も買えない。第二子が生まれても満足に食べられず、母乳の出も悪くなるもミルク代も無い、働きにも出られない。歯が痛い、でも歯医者に行くお金ない。

ストレスで精神崩壊、何度も夫婦喧嘩した。
悩みに悩み、親にも相談して、私達家族4人の生活を立て直す計画を実行。彼名義の借金は、死守していた私の独身時代の貯金で埋める、その代わり義実家と決別することを約束させた。

義実家に住所は知らせずに引っ越し。
4人での、ひとときの平和な暮らし。
幸せでした。
春になったら子供を保育園に入れて、私も働くよ。頑張るよ!頑張ろ!

だけど・・・上手くはいかなかったんだよね。
優しい息子なんだわ彼。
結局、義実家に「助けてお兄ちゃん」と泣きつかれ、頼られると無い袖を振り出す。再びサラ金に手を出し義実家を援助。あっさり私にバレる。

はい終了~~!!子供2人授けてくれてありがとー!!

身の回りの物を車に詰めて、子供達連れて実家へ。
離婚届(以前書かせていた)に自分のサインして役所に提出。
未練ゼロ!解放感しかなかった。
駒子、26歳でした。

彼も気の毒な人だと思ったけど、一番大事な自分の家族を守れない男に用はない。そんな男を選んだアンタが悪いって言われりゃそれまでだけど、21の小娘にそんな判断できるわけないっす。借金まみれなくせに見栄っ張りで「自己破産なんてしたら親戚に何言われるか、生活保護は体裁悪い」と受入れなかった義実家との人生を、最終的に選んだのは彼なのだから。

「いざとなったらみんなで死のうね」と、子供を抱っこしながら話しかける義母の言葉に鳥肌が立ち「逃げなきゃ!」って思った日のことは一生忘れない。

離婚後、就職して。実家を出て団地で3人で暮らすようになり、ずっとシングルマザーとして生きてきた。収入は少なかったけど借金は無いし、子供は可愛いしみんな健康だし、ニコニコ笑って生活出来た。少しずつ貯金も出来たし。離婚してからいいことばかりだ!

そりゃ世の家族みたいに旅行行ったり、流行りのもの買ってあげたりとか全然出来なかったけどさ。ごめんよ。真っすぐ育ってくれてありがとう子供達、私の宝物。

これが私の離婚話。
月日が流れ、子供たちも独立。心の傷もとっくにかさぶたになり、剥がれてツルピカよ。

40代になってアキラさんに出会い、まさかの再婚。
ド貧乏時代には考えたことも無かった『家を建てる』という経験を味わうことになり、この境遇に誰よりも驚いているのは私自身なんであります。

雨風よけて眠れてご飯が食べられれば幸せ

幸せレベルが超低い駒子と、男の見栄とプライド(知らんけど)にこだわるアキラ氏。さて、家建て、どうなるんでしょね。

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