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その階段を登るとすぐに、そこになかったはずの次の階段をさっと出される感じ

「(ここまでと)その階段を登るとすぐに、そこになかったはずの次の階段をさっと目の前に出される感じ。」

これは当時小学1年生だった娘の言葉。
娘は小1で不登校になり、それ以来、短時間でも学校という敷地に入ることを頑なに拒んだ時期がありました。その理由がこの冒頭の言葉でした。

この言葉の後に彼女はこう続け、
「例えば、今日は保健室に行ってみよう。と(大人と)約束して、保健室なら行けそうだなと保健室に行ってみたら、じゃあ次は教室に行ってみようかって言われるのわかってるから。」

彼女は知っていました。
自分以外にも保健室登校を提案されている子もいてその子たちがそうやって対応されていることも見てきていました。

保健室に来た子どもの様子を見て教室に行けそうだと判断してそのきっかけを作り、言葉かけをする。

私たち大人はこういうことを子どもに多くしてしまっているんだろうなぁと思います。

不登校をしていたあの時の娘にとって一段の階段を登ることは簡単ではなかったと思います。やっと登ったと思ったら「はい次はコレ頑張ってみよう!」と階段をすっと目の前に出される気持ち。

そのステップアップは自分のタイミングではないのに、先を示される気持ち。

大人による子どもへの「目指すべき目標を出し続けているようメッセージ」になる可能性もある。

まだまだだ。もっとだ。
それができたら今度は。
期待の表れではあるかもしれません。
子どもの可能性を信じているからこその。

以前、私は子どもに「お母さんは(私に)そうなってほしいんでしょ」とよく言われました。直接的に「こうなってほしい」と求めた言葉ではなく、それが彼女に対して褒める言葉であっても、娘は私が無意識に持っていた子どもへの期待に敏感に反応していたように思います。

将来、社会で役立つような大人になるように。
この子が幸せになるように。

………

小さかったこの子が私に抱っこしてほしがってた時に私は叶えてあげられませんでした。

でも今は「甘えにきました~」とピトッと来てくれる。
まだ取り返せる。
まだ間に合う。

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