父との会話と戦争の記憶
昔、祖父母と母のこんなやりとりをよく見かけていた。「今から◯◯へ行く」と言い出すと母がどう説明し、なだめても受け入れず、押しきろうとする。自分1人ででも行くと出かけようとしだし、母としてはもうそうはできないので結局つきあう。そんな祖父や祖母のペースに母のその日の予定がくるってしまうのだ。
祖父母の認知症が進むにつれて、その対応は大変になっていっていた。
高齢になると、やっておきたい用事は済ませておかないと落ち着かないのかもしれない。
気になったまま持ちこすことは本人にとっては不安も生まれるのか。
ああ、歳をとっていくとこうなっていくんやな、祖父母の姿からそう感じつつ、当時は母の苦労の方に私の気持ちは傾きがちで、祖父母自身には寄り添えてなかったように思う。
祖父母が亡くなって年月が経ち、そう、自分の両親に同じ兆候が出てきた。ああ、ついに自分の親の順番が巡ってきたのか。
父も母も気になる用事は済ませていかないと落ちつかなくなってきた。私の話に聞く耳を持ってくれる時もまだまだあるけど、私の予定がくるうことは増えて、自分の時間は少ない。娘も不登校生活継続でいつも家にいるので、私1人が家から楽に飛び出せるわけではなくなかなかやりくりは難しい。
息子が保育園に行けるようになって本当によかったと思う。今の生活に一歳児が家にいたら私にはこなせなかっただろう。
母の手術をきっかけに、両親の家に通う日が増えた。二家族分のご飯作りがしばらく続いた時は体力的にきつかった。頻繁に両親に会うことで、父が同じ話をする場面にかち合う確率が上がった。もう何年も前から昔話をすることが増えていたので、父にとっての人生の総括だなと話を聴いてきたし、たまに冗談ではそれもう聞いたってと笑って言ってたが、ご飯作りでバタバタして疲れ気味な時はしんどくてまたそれか…と快く聴き役になれなかったりした。
ご飯作りの回数も減り、今は送迎中心になってきたし、私も両親のフォロー込みの生活にちょっと慣れてきたのだろう。
父の話を聴きながらふと思った。
あぁ、これ記録させていってもらおうかな、と。
父は終戦時小学三年生だった。
戦争の話も今まで何度も聞かせてくれている。
父に、これさ書き留めていっていいかな?と聞いたら受け入れてくれたようで、B-29を初めて見た時のことから話し始めてくれた。
今、父の用事が済むのを車で待ちながら、このnoteを書いている。スマホにはKindleもあるし、待ち時間は意外とよい時間になるかもしれない。
あれから77年の夏。
父の話したい話を残していこう。
総括だ。
そういえば本屋で気になっていた本をやっぱり買おうかな。
「認知症世界の歩き方」
両親と会話できる時間ももしかしたらもうそんなにたくさんは残っていないかもしれない。
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