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推しの卒業

 2021年12月、私は人生初の「推しの卒業」を迎えることになった。
 「まーちゃん」ことモーニング娘。’21の佐藤優樹ちゃんのグループ及びハロープロジェクトからの卒業が発表された。

 学生時代からジャニーズにもK-POPにもさほどハマらず、音楽に関しては広く浅く雑食だった私が、初めてファンクラブに入会するほどハマったのがモーニング娘。だった。
 モーニング娘。にハマるまでの経緯は別途記事にしたいと思っているけれど、言うなれば20代後半に仕事のストレスで精神がぶっ壊れかけていた私を励まして癒してくれたのがモーニング娘。の存在だった。そしてその中でも特に壊れかけた私の心を惹き付けたのがまーちゃんだった。

 普段は天真爛漫なキャラクターで、どこか甘えた喋り方や振る舞い。小さな子供みたいに屈託なく笑う彼女は、最初それほど興味をひかれなかった。
しかし一旦ステージに立つと、その圧倒的な表現力と存在感に一気に魅了されてしまう。

 常に10人前後のメンバーがいるグループの中で、メンバー一人一人がライブモニターに映る時間はごくわずか。彼女はその数秒の抜きの場面で、観た者の視線をグッと掌握してしまうのだ。

 まるで音楽が彼女に憑依したかのように、時には女王のように気高く、時にはプリンセスのように可憐に、無邪気に、挑発的に、セクシーに、パワフルに。くるくると表現を、表情を変える。

「凄い子がいる」

そう気づいた時にはもうすっかり沼に落ちてしまっている。

 まーちゃんのパフォーマンスは全て一度きりしかない。
 どういうことかと言うと、同じ曲でもライブごとに絶妙にパフォーマンスをアレンジしてくるのだ。表現のニュアンスや表情、細かな仕草や煽り。たとえ同一ツアーでも、同じパフォーマンスは二度と観られないと言っても過言ではない。次はどんな表現をしてくるのか、それが観たくてライブ会場に足を運ぶ。ちなみにアイドルのライブもモーニング娘。が初めてだった。
 
 まーちゃんはとても独特な感性を持っていて、その発言が天然だとか不思議ちゃんだとか形容されることもある。だけど私には彼女はただ言語化することが苦手なだけで、物事を広く深く多角的に見ていて、常にその本質を捉えようとしているように感じる。

 特に音楽に対しての向き合い方は常人離れしている。メロディーや歌詞、ステージ、音響、照明、自分が関わる音楽の全てを深く理解しようと常に努めている。音楽の本質を理解するために楽曲のインストゥルメンタルを聴き込むアイドルが、一体どれくらい居るだろうか。
 
 音楽について話すとき、まーちゃんは音楽がまるで意思を持ったいきもののように語る。音楽が喜ぶ、音楽が味方になる、音楽には性格がある。彼女はそう表現する。 
 私たちとは違う感覚で音楽を捉えているのだ。私にはその感覚は到底理解することは出来ないけれど、言わんとすることはなんとなく分かる。

 まーちゃんの見ている世界を私も感じてみたいと何度も思った。
 そんな時、彼女のパフォーマンスを観る。そうするとまーちゃんを通して彼女が感じている世界が少しだけ私たちの前に映し出される。そんな気がするのだ。

 これほどの多くの魅力を持ち、著名人にもファンが多いまーちゃん。ハロプロ楽曲大賞推しメン部門6年連続1位に輝く名実ともにエースである。なのにどこか自信なさげで、驕ることもない。無邪気な笑顔の裏にとても繊細な心を持っている。
 こんなに魅力的な女の子にはそうそう出会えない。大量生産されたアイドル界でも、まーちゃんと同じカテゴリに属する人は一人もいないと私は思っている。

 アイドル自体に興味のなかった私を夢中にさせた、初めての推しメン。
いつか卒業する時が来ることは分かっていたけど、こんなにも心が痛いだなんて思わなかった。
 まして本来なら会場いっぱいのメンバーカラーのサイリウムの光の中で、沢山のまーちゃんコールを受けて卒業していくはずだったのに、このコロナ禍でそれすら敵わない。それがとても悔しい。
 
 ただ今回卒業を決める大きな理由となった病気については、私自身も同じ病気で長年苦しんでいるので本当に辛さはよくわかる。この症状を抱えながらの活動はとてもキツイだろうし、思うようにパフォーマンスができないことへのフラストレーションも相当のものだったと思う。
 卒業は悲しいし寂しいし辛いけど、私たちは彼女の決めた道を応援するしかない。

 もうすぐ人生初めての「推しの卒業」がやってくる。その乗り越え方を私はまだ知らない。どうやって前向きにその日を迎えればのいいか。
 誰か、教えて欲しい。


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