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楽しまなきゃ!という義務感

「人生楽しまなきゃ損だ!」

全くその通りなのだ。
私達に与えられた時間は有限だ。その限られた時間の大半を楽しい気持ちで埋めることが出来たら、とても幸せだろうと思う。

だけどふとした時、私は楽しい時間を「作らなければ」ということに必死になっているのではないかと思うことがある。

私達は1年を通して色々なイベントに触れる機会がある。
お正月に節分、花見、花火大会や祭り、ハロウィン、クリスマス。
個人的なものであれば、自分や大切な人の誕生日や記念日もある。

街中の雰囲気もそのイベントごとに移り変わり、「さぁ楽しみましょう!」という空気に包まれる。
SNS上にも家族や友人などとイベントを楽しむ様子が溢れるようにアップされる。

私はその周囲の雰囲気に、時に流されているだけなのではないかと思うことがあるのだ。

「せっかくだから」という枕詞

数あるイベントごとの中で、率先して参加したいと思う好きなイベントも当然ある。

例えば花火大会などは率先して浴衣を着るなどして、人込みはあえて避けずに、ずらりと並ぶたくさんの屋台を物色しながら歩きたい。
夫との結婚記念日も大切にしている。それまでの年月を振り返り、これからの二人について改めて語り合う大事な機会として毎年祝っている。

しかしバレンタインデーは微妙なところだ。
普段は買えない限定チョコレートが集まる催事場などは見ていてワクワクする。しかしその一方で、普段お世話になっているという理由で、必ずチョコレートを配らないといけないような雰囲気は腑に落ちない。
近年は徐々にその風習は薄れつつあるものの、もはや「義理チョコ」ではなく「義務チョコ」のようになっていることに疑問を抱かずにいられない。

また私は明確な理由はないのだがクリスマスが好きではない。
あの街中が赤と緑で飾られ、クリスマスソングがあちらこちらで流れる様子に、何故だかげんなりとしてしまうのだ。

しかしそうは思いながらも実際には、バレンタインデーには仕事関係者や家族などに「せっかくだから」とチョコレートを渡している。
ついでに自分用に普段なら絶対に買わない値段のチョコレートを買ったりもしている。

クリスマスにおいてもそうだ。
わざわざツリーを飾ったりパーティーをしたりはしないものの、結局「せっかくだから」とケーキを買ってみたり、クリスマスプレゼントの交換などはなんとなく恒例となっている。

「せっかくだから」なんだというのだろうか。
日本のバレンタインデーの発祥はチョコレートメーカーが販売促進のために打ち出したキャンペーンだと言われているし、クリスマスはキリスト教の祭典だ。

チョコレートもケーキもプレゼントも、別に自分が必要だと思う時、食べたい時に買えばいい。
でもなぜかそのイベントを理由にしてしまうのだ。

「楽しい時間」を作るためにイベントに乗っかっているのか、はたまた乗せられているのか、分からなくなってくる。

休日の罪悪感

休日を何もしないまま終えた時に感じるどうしようもない罪悪感も、「楽しまなきゃ」という義務感に似ている。

休日の前夜などは「明日は早く起きてモーニングに出かけて、美容院にも行きたいし、ショッピングもしたいなー。読みたい本も溜まってるし、録画してあるドラマも見なくちゃ♪」なんてことを密かに決意して眠りにつく。

ところが実際は起きてみると昼前で、ブランチという名の適当な食事を取り、特に有益な情報もないのにSNSを流し見なんかして、気づいたら部屋着から着替えることもなく日が暮れている。
なんてことがザラにある。

そんな時はよくこう思う。
「あぁ、せっかくの休日を無駄にしてしまった。」

朝しっかり起きて身支度を整え、外出したり趣味を楽しんだり、そういったいわゆる「充実した休日」を過ごさなければならないような気持ちを、無意識に持っているのだ。
それが出来ない私はなんてダメな人間だ。
だらしない人間なのだと思いさえする。

しかし本当にそうだろうか。

確かに休日におしゃれをして出かけたり、友人と会ってお喋りをしたり、もしくは普段は手を抜きがちな家事をしっかりやったりできれば、とても満足感は得られると思う。

だけど何もしないでただぼんやりと過ごす休日は本当に無駄なのだろうか。
朝から晩までぼんやりと何も考えずに過ごすなんて、仕事や学校のある日には絶対できないことだ。
それこそ休日だからできるのだ。

そう考えると、それもある意味では有意義な休日の過ごし方なのではないか。

「楽しみたい」から楽しもう

人生の中で、楽しい時間をなるべく多くしたい。
もちろんそういう気持ちもあるだろうが、多くの人がイベントを楽しむ理由は他にも色々あるのだろう。

多くの人は学校や仕事で毎日似たような日々の繰り返しで、それに対するあらゆる不満やうんざりとした気持ちが、多少の差はあれど心の奥に降り積もっているのだと思う。

私自身もそうであるし、私の周りの人もそういう気持ちを持っていることは感じる。

そしてそれを時折ガス抜きするような気持ちで、イベントを理由にささやかな非日常を取り入れているのかもしれない。

また、大切な人と一緒に過ごす口実に使う場合もあるかもしれない。

だけど自分がそれほどワクワクしないのなら、世間のイベントムードをスルーすることもあっていいだろう。
街中がいかに盛り上がっていたとしても、興味が無ければ無いでいい。寝ていたければ寝ていればいいし、趣味を優先したければすればいい。

「せっかくだから」と乗っかったイベントは、結果的に楽しい場合もあるとは思うけれど、なんだか私には「イベントを無事に遂行した」という安堵感も心の隅にあるような気がするのだ。

一度自分自身の心に耳を傾け、本当に自分が好きなイベントを、好きな人と、本心から楽しむことができればそれが一番いいなと思う。当然のことだけど。

イベントをスルーしたって、「私は今回は遠慮させてもらいますね」と鼻歌歌いながらベッドでゴロゴロしたっていいじゃないか。
SNSに楽しそうな写真が溢れていても、「へぇ、楽しそうで何よりです」と好きなTVでも観ていればいい。

「せっかくだから」気持ちのままに、ゆっくりぼんやりしたらいい。

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