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大阪市の神社と狛犬 ⑪中央区 ⑨豊國神社~大阪城で秀吉を守る青銅狛犬~

大阪市中央区の地図と神社

大阪市には、現在24の行政区があります。中央区は、かつての東区と南区が合区となって1989年に発足した新しい区です。大阪市のほぼ中央にあり、上町台地とその西側の地域になります。この区には、大阪府庁などの官公庁街、船場と呼ばれる商業街、ミナミと呼ばれる繁華街などに加えて、大阪城や難波宮跡などの歴史的建造物もあります。

中央区には、生國魂神社行宮を含めて11社の神社があります。さらに、神社ではありませんが、大阪城公園内に明代の中国獅子があります。この12箇所について、順次紹介したいと思います。

9社目は、大阪城公園内にある豊國ほうこく神社です。大阪城二の丸南側、武道場の修道館のとなりに鎮座し、神社の南側は大阪城の南外堀です。京都の豊国神社は「とよくに」と読み、豊臣秀吉のみを主祭神としますが、こちらは「ほうこく」と読みます。


豊國ほうこく神社

■所在地 〒540-0002 大阪市中央区大阪城2-1
■主祭神 豊臣秀吉公、豊臣秀頼公、豊臣秀長卿
■由緒  当社は京都の豊国神社の大阪別社として、中之島字山崎の鼻(現在の大阪市北区中之島)に、明治13年(1880)に創建された。大正元年(1912)には中央公会堂建設のため、神社は府立図書館の西方の公園内に移転し、さらに昭和36年(1961)には大阪市庁舎増築のため、大阪城公園内の現在地へ遷座することになった。

豊國神社 境内図
豊國神社 鳥居と社殿
豊國神社 拝殿と狛犬


狛犬1

■奉献年 平成二年奉献 煎茶 松風清社
■鋳工  大槻竹信   石工 天満 平清  
■材質  青銅
■設置  拝殿前

拝殿前狛犬
拝殿前狛犬

豊國神社は、大阪城の天守閣に通じる桜門の南側に鎮座する。豊臣秀吉を祀る神社として、一等地を与えられたと言える。
拝殿前の古い字体の「奉献」の文字が彫られた基壇上に、一対の青銅狛犬が互いを見つめるように安置されている。顔を振り向ける場合は、参拝者の方を向くのが通常である。おまけにこの狛犬は、阿吽が逆に設置されている。狛犬の左右を入れ替えて横置きにすれば、正当な配置になるはずだが、なぜこのようになったのか、わからない。
本来は、参拝者側から見て、次のようになるべきだろう。

拝殿前青銅狛犬(阿形)
拝殿前青銅狛犬(吽形)

基壇は、「石工 天満 平清」が作成したもので、「奉献」の文字が正面に来ることから縦長に造られている。本来は横長にすべきだろう。これでは、狛犬を現在の置き方にするしかない。
一方、狛犬は「鋳工 大槻竹信」の作品で、尾の部分に「長造」という文字が見える。

拝殿前青銅狛犬の尾

平成2年(1990)の奉献なので、かなり新しいものである。大阪のいくつかの神社に残る青銅狛犬と比べると、この狛犬はかなり大作りに見える。鋳工の「大槻竹信」と、尾の部分の文字「長造」についてはわからない。

拝殿前青銅狛犬(阿形)

なお、豊國神社のホームページに載せられている絵葉書の写真によると、先代の狛犬があったことがわかる。


豊國神社境内

豊臣秀吉公像

豊臣秀吉公像

もともとあった秀吉像は戦時中の金属供出にあい、平成19年(2007)に再建された。軍配を右手に持ち、鎧に陣羽織を羽織った立ち姿に造られている。
原形制作は彫刻家の中村晋也氏(1926~)で、81歳の時の作品。大阪市中央区玉造稲荷神社の「豊臣秀頼公」像も同氏の作品である。


境内社 若永神社・白玉神社・七夕神社・玉春神社・玉繁神社

若永神社(手前)/   白玉神社(奥)
木鼻の獅子

若永神社は、もとは豪商「淀屋」が屋敷内に火難除けの守護神としてお祀りした稲荷神社で、大阪市の都市計画に伴って豊國神社内に遷された。
白玉神社は、もとは中之島のある藩蔵屋敷に白玉稲荷神社として祀られていたが、蔵屋敷の解体に伴い個人宅に遷され、その後豊國神社内に遷座した。
七夕神社・玉春神社・玉繁神社は、明治の神社合祀政策により白玉神社に合祀された。


秀石庭

昭和を代表する作庭家、重森三玲の設計・指導のもと造られた庭園で、秀吉公の「秀」と大阪城地の古名である石山の「石」を取り、「秀石庭」と命名された。

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