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大阪中之島美術館 開館記念特別展「モディリアーニ 愛と創作に捧げた35年」~展覧会#10~

モディリアーニ ─愛と創作に捧げた35年─

今年2月に開館した大阪中之島美術館の、開館記念第二弾が今回の「モディリアーニ展」です。

モディリアーニといえば、アーモンド型の眼や細長い首の女性を思い浮かべますが、今回の展覧会でも、たくさんの肖像画と対面することができました。それでは、この展覧会の概要をご紹介しましょう。

展覧会の概要

本展では、国内外で所蔵されるモディリアーニ作品を中心に、同時代のパリを拠点に繰り広げられた新しい動向や多様な芸術の土壌を示し、モディリアーニ芸術が成立する軌跡をたどります。

■プロローグ 20世紀初頭のパリ
モディリアーニ(1884-1920)の生涯は、わずか35年余りの短いものでした。彼が活躍した20世紀初頭のパリの社会を、ポスターとパネルで紹介します。

■第1章 芸術家への道
1884年にイタリアで生まれ、21歳でパリに出たモディリアーニは、フォーヴィスムやキュビスムといった新しい美術動向と出会います。この章では、それらに触発された1913年頃までの初期作品を取り上げます。
この時期の作品には、すでにモディリアーニの肖像画の特徴が見られます。

■第2章 1910年代パリの美術
20世紀初頭のパリは、セーヌ川をはさんだモンマルトルやモンパルナスに各国の芸術家が集まりました。出身国も画風もさまざまな画家たちは互いに交流し、彼らの仲間は「エコール・ド・パリ」と総称されました。その中には、モディリアーニをはじめ、ピカソ、シャガール、ユトリロ、そして日本の藤田嗣治などもいます。
この章では、モディリアーニの作品8点を含む、同時代のアーティストの作品40点が展示されています。

■特集 モディリアーニと日本
ここでは、モディリアーニと藤田嗣治との友情を軸に、モディリアーニ芸術が日本にもたらされた軌跡を紹介しています。

■第3章 モディリアーニ芸術の真骨頂 肖像画とヌード
この展覧会では、モディリアーニの作品が約40点出展されていますが、この章ではその半分の23点が並び、もっとも見応えのあるところです。肖像画のモデルは女性が多いですが、男性の肖像も数点ありました。
アーモンド型の目は、時に塗り込められていて、見る者はかえってその内面に吸い込まれそうになります。
「髪をほどいてた横たわる裸婦」は、大阪中之島美術館のコレクションの目玉のひとつです。観客が絵を見るというより、絵の中の女性にこちらを見られているようです。

髪をほどいてた横たわる裸婦(撮影可)

ここでは、裸婦の連作に取り組んだ1917年前後の作品と、パリと南仏で制作した多数の作品を鑑賞することができました。
モディリアーニの周囲には何人もの女性が登場しますが、32歳の1917年3月、ジャンヌ・エビュテルヌという18歳の女性と知り合い、同棲を始めました。 翌年の11月には同名の長女ジャンヌが誕生します。1919年7月にはジャンヌとの結婚を誓約します。この時期が、モディリアーニの人生でもっとも幸せだった頃かもしれません。しかし、生来患っていた肺結核はモディリアーニの体を蝕み、翌年1920年1月24日、35歳の若さで生涯を終えました。
この直後、さらに悲劇が続きます。モディリアーニの死の2日後、その後を追って、妻のジャンヌが自宅から飛び降り自殺をするのです。この時、ジャンヌは妊娠9ヶ月でした。現在2人の遺骸は、パリのペール・ラシェーズ墓地に一緒に埋葬されています。
会場には、ジャンヌ・エビュテルヌの肖像画が2枚展示されていますが、そのうちの1枚のジャンヌのお腹は大きく描かれていました。

この第3章の展示室には、珍しい来歴の作品がありました。20世紀前半の有名なハリウッド女優、グレタ・ガルボが所有していた「少女の肖像」という作品です。

少女の肖像(撮影可)

グレタ・ガルボは、35歳ではなばなしい女優生活に見切りをつけ、公の場から姿を消しました。彼女は気に入った美術品を収集し、このモディリアーニの「少女の肖像」も、愛蔵されていたとのことでした。

大阪中之島美術館 開館記念特別展「モディリアーニ 愛と創作に捧げた35年」の会期は、2022年4月9日~7月18日です。




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