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アジア紀行~カンボジア・アンコール遺跡の旅⑦~

今回は、「カンボジア・アンコール遺跡の旅⑥」の続きです。

more one

朝8時にホテルを出て、バプーオン、象のテラス、ライ王のテラスなどを見終わったのが10時半だった。バイクタクシーのキーさんが時計を見て「more one」と言う。一瞬「one more」ではないのかと思ったが、確かキーさんは英語の教師だったはずだ。「more one」のほうが「もう一つ」という日本語に近いなぁと、どうでもいいことを考えてしまう。
太陽はすでに真上から照りつけ、もう午前の部は終了というような気分になりかけていたが、10時半と言われると、確かに「もう一つ」次に向かうべきだろう。
勇気と元気をふりしぼって、バイクの後ろにまたがる。

北に進むと、アンコール・トムの北大門に出た。門の上には例の観音菩薩の四面像がある。門の外側の環濠に架かる橋の欄干には、南大門と同じく神々と阿修羅たちが蛇神ナーガの胴体を抱えて並んでいる。東西の門は見ていないが、いずれも同じなんだろう。


プリヤ・カーン (Preah Khan)

バイクは、アンコール・トムの北大門から北東方面へと向かう。道の両側はジャングルのように木々が生い茂っている。10分ほどで、次の目的地「プリヤ・カーン」に到着した。「プリヤ・カーン」とは「聖なる剣」という意味で、かつて境内で発見された剣に由来する名前だそうだ。
この寺院は、ジャヤヴァルマン7世がベトナムのチャンパとの戦いに勝利したことを記念して、1191年に創設したものである。

東西南北の四方に参道があるようだが、南北の参道は崩壊して通行できないという。東門が正門らしいが、西側に到着したので、西の参道をゆく。参道の両側に、燈籠のような石彫がズラリと並んでいる。あとで知ったことだが、これはリンガだそうだ。リンガとは、ヒンドゥー教のシバ神の象徴とされる陽石である。


西門の手前の橋の欄干には、アンコール・トムと同じように、神々と阿修羅たちがナーガを引き合う乳海攪拌の像があった。古代のクメール人にとって、この天地創造の一場面は重要な意味を持つのだろう。


プリヤ・カーンの西門をくぐると、寺院の入口と思われる建物があった。その前に顔のない石像が2体立っている。ドヴァラパーラという門衛神だ。
中央のぽっかり空いたような入口からのぞくと、かなり奥が深そうだ。




内部はかなり複雑で広そうだ。草木が生い茂り、石積みが崩れているところがあちこちにある。寺院の中で出会った少年が、「屋根に上がれるよ」というので、彼についていく。




まるで廃墟だ。アンコール・ワットの修復状況と比べるまでもなく、この寺院の復興はまだまだこれからだと思わされる。それにしても、こんな巨大な石造寺院がこの地にはまだあるのかと驚く。

少年が寺院の中心部に案内してくれる。中央祠堂にはストゥーパがあった。もとはこの場所に観音菩薩像が安置されていたそうだが、16世紀ごろにこのストゥーパが建立されたという。


外に出ると、さらに驚くべき光景が目に飛び込んできた。大木が寺院の建物を食べているのである。木の根っこが建物を鷲づかみにしているように見える。






これは「榕樹(ガジュマル)」と呼ばれる熱帯の樹木だ。高さは20mぐらいはありそうだ。樹齢は何年になるのだろうか。雨の多いこの国では、成長も早いだろう。こんな大木の根っこにがっしりと摑まえられてしまえば、人間は「まいった」と負けを認めるしかない。
プリヤ・カーンもいつかは修復される日が来るのだろうが、それは果てしなく先のような気がする。

バイタクのキーさんとの約束の時間がとうに過ぎている。急いで戻らなければいけない。これほど大きな寺院とは知らなかったし、東門側には行けなかった。寺院の北東部に、丸柱で2階建ての珍しい建造物があると、あとで知った。壁面の彫刻にも見るべきものが多かったが、ほとんど素通りだ。
午前中に「あと一つ(more one)」と言われて訪れた寺院は、大きなショックを与えた。

帰り際、寺院の警備をしていた警官が近づいてきた。何も悪いことはしていないが、不安になる。警官は「ポリスの胸飾りを5ドルで買わないか」と言ってきた。悪いことをしているのは相手のほうだった。いつまでも後をついて来るので、2ドルで買った。

キーさんは、プリヤ・カーンは30分と言ったが、倍の1時間かかって、それでも心残りなままバイクに乗る。午前中たくさんのものを見過ぎて、頭の中が整理できない。暑いし、くたびれた。やっとホテルに戻れるのがうれしい。


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