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アジア紀行~カンボジア・アンコール遺跡の旅⑥~
シェムリアップ3日目
慣れないベッドのせいか、寝苦しい。暑さのせいかもしれない。エアコンを強くすると風邪を引くおそれがあるので、緩くしてある。そのせいか汗をかく。毛布に被せたシーツは毎日新しいものに取り替えるが、寝苦しいせいでクシャクシャになる。浅い眠りが続き、やっと眠れたと思ったら朝になってしまった。バイクドライバーのキーさんとの8時の約束がプレッシャーだ。
日が昇ると、時間が経つにつれて気温が上がるので、朝早くから行動するのは理にかなっているのだが、気持ちの余裕がない。
ベッドの中でウトウトしていて、ふと時計を見ると7時50分! あ~、朝食抜きだ! あわてて飛び起きて、用意をして下に降りる。食欲もないし、まあいいか。
この日の目的地は、バイヨン寺院の向こうに続く遺跡群だ。アンコール・トムの広い城壁内には、バイヨン以外にもいろんな遺跡がある。
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再びアンコール・トムへ
キーさんのバイクの後部座席にまたがって出発する。耳の横を通り過ぎる風が気持ちいい。ふとボブ・ディランの「BLOWIN' IN THE WIND」を思い出す。この国も、ちょっと前までは内戦状態が続き、現在のカンボジア王国が成立したのは、わずか7年前の1993年のことだ。
バイクはアンコール・ワットのそばを過ぎ、昨日の午後に通ったアンコール・トムの南大門手前の環濠に架かる橋を渡る。橋の両側の神々と阿修羅の列が素晴らしい。
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バイヨン
バイヨン寺院の近くでバイクを降りる。もう一度中まで入りたくなるけれど、今日の目的地はその先なので、離れたところから写真を撮るだけにする。
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バプーオン
バイヨンの北西にバプーオン(Baphuon)という名の寺院がある。円柱列に支えられた参道を200mほど進むと、三層からなるピラミッド型の寺院に突き当たる。修復工事中のため、中には入ることができなかったが、かつてはバイヨンよりも高かったそうだ。すぐ北側には王宮の遺跡がある。
周辺には無数の石塊がゴロゴロしている。番号がつけられているものもあり、今後の修復を待っているのだろうが、気が遠くなるような難作業であることが想像できる。
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物売りの少女がずっとついてくる。裏側(西側)に涅槃像があると教えてくれる。創建当初のものではなく、仏教寺院として改築されたときのものだが、もとは長さが200mもあったという。そばに寄って見るが、よくわからない。これが顔だといわれれば、なんとなくそのように見えてくる。写真を撮ろうとすると、もっと離れたほうが陽があたらないと教えてくれる。
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女の子の親切はありがたいが、その間ずっと手に持った本や葉書を買ってくれの連続である。英語は1ヶ月5ドル出して習っているそうだ。根負けして絵葉書を買う。わずか1ドル。渋ったり値切ったりするような値段ではない。この子たちにとって、つたない英語でも身につけることは、生活していくうえで切実なのだ。何年学習してもまったく英語を話せない子どもたちを思い出してしまう。
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少女と別れて、次の遺跡へと向かう。王宮、ピミアナカス、象のテラス、ライ王のテラスなどが続く。
王宮とその周辺
アンコール・トムの王宮は、東西600m、南北250mの周壁に囲まれていた。王宮の中央にはピミアナカス(Phimeanakas)という、歴代の王が儀式をおこなうための寺院があった。
元の時代の外交官であった周達観が著した 『真臘風土記』によると、王は、塔の中にいるナーガが姿を変えたという女性と夜毎逢瀬を過ごしたという。
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西側の階段から頂上にのぼる。すごくきつい傾斜だ。須弥山をかたどったものだという。のぼりはまだよかったが、下りるときはさすがに怖い。北側に大小2つの池が見える。子どもたちが泳いでいた。
王宮の東側には、象のテラスとライ王のテラスがある。
象のテラスは、300mを超える壁面に象の彫刻が施されていて、公的儀式の巨大な閲兵席として使用されたという。
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階段の両端には3頭のゾウが蓮の花を採取する彫像がある。北側のテラスにある彫像は特にすばらしい。
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壁面に彫られているのは象だけではない。ガルーダやナーガの彫像もある。
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テラス前の広場の向こうには、点々と12基の塔群の遺跡がある。「綱渡りの塔(プラサット・スゥル・プラット)と呼ばれている。名前の由来は、塔と塔の間に綱を張り、踊り子が渡るのを王が眺めたとか、祭りの時に王宮の前に集まった観客のために綱渡りを見せたとか、など諸説がある。
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象のテラスのすぐ北側にライ王のテラスがある。ここで発見された坐像は、「癩病(ハンセン病)に罹った王」であると考えられて、この名前がついた。しかし最近では、この彫像は地獄を司る閻魔王であるとされている。
ライ王のテラスは、一辺が約25m、高さ約6mのU字型の構造物で、フランスの手によって修復が完成している。隙間のような狭い通路の壁面には、女神像やナーガなどが何段にも所狭しと彫られている。
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ライ王のテラス上にあった顔や腕のない坐像は、現在はプノンペンの国立博物館に収蔵されているそうだ。いまは、もとの像を修復したレプリカがテラスに置かれているという。
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