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11月の俳句(2023)

霜月

いち三つ寒き朝なり霜の月

11月1日。「1」が三つ並んだ。この日から、陰暦の月の異名の中で、いちばん寒そうな名前の「霜月」に入った。文字どおり霜が降りる「霜降月しもふりづき」から来た言葉だ。
二十四節気にも「霜降そうこう」があるが、今年の場合、10月24日がその日だった。もちろん陰暦と陽暦の間には、ずれがあるので、季節的にはこのnoteを書いている今頃にあたるのだろうか。

私が住む大阪では、この時期に霜を見ることはない。霜は氷の結晶だから、大気が0度以下に冷えないとできない。暖冬の昨今、霜を見ることも少なくなった。霜柱を踏んで歩くという経験も昔の思い出となった。

霜柱踏む足裏のなつかしき


『枕草子』には、四季折々の感興がたくさん描かれている。ふと、すべての月があるか気になって、岩波日本古典文学大系の『枕草子』の目次を調べてみた。見当たらない月が二つある。6月(水無月)と11月(霜月)だ。見落としがあるかもしれないが・・・。

第一段の「春はあけぼの」はあまりにも有名だが、次の第二段は案外知られていない。

頃は、正月・三月・四月・五月・七八九月・十一二月、すべてをりにつけつつ、一とせながらをかし。

「三巻本枕草子」

(訳)一年のうちで趣があって心ひかれる頃は、正月・三月・四月・五月・七八九月・十一二月、すべてその時節時節につけて、一年中趣が深いものである。

現存する『枕草子』には諸本があるが、上記の「三巻本」には二月・六月・十月がない。「一とせながらをかし」と言いながら、清少納言がなぜこれらの月をとばしたのか、気になるところだ。
しかし「十一月」はある。

「日本古典文学大系(三巻本)」の目次では見つからなかった十一月(霜月)の記述が、「堺本」にあった。

霜月の一日ごろに、みぞれだちたる雨うち降り、霰などまじりて風のはげしく吹きみだりたる夕つ方、きりぎりす色の狩衣、紫の指貫、薄色の衣を上にて、白き衣三つ四つばかり、紅か何ぞなど重なりたる袖を、いたく吹き赤められたる顔に押しあてて、烏帽子のやうもなく、後ろざまに吹きやられたる人の「あな、さむ」と言ひて、寄り来たるこそにくからね。

「堺本枕草子」

霜月一日ごろ、霙のような雨が降り、霰までまじって風が激しく吹き荒れる夕方、きりぎりす色の狩衣・・・。 
いかにも寒そうな荒れた天候だ。今の季節感でいうと、12月以降ですね。
ところで「きりぎりす色」って? 古語の「きりぎりす」は「こおろぎ」のことだから、茶色だろうか?

ちょっと俳句から横道に逸れたので、『枕草子』の話はこのあたりで。 

霜月や清女の枕懐かしむ


西向く侍

浅田次郎の小説はおもしろい。一冊を読み終わると、また次の一冊を探してしまう。幕末から明治へと大きく転換する時期に、時代の流れに取り残されてなお真摯に生き抜こうとする武士の話がよくある。最近読んだ本では、『黒書院の六兵衛』がそうだった。
短編集『五郎治殿御始末』にも、激動の世を生きる、そんな武士が登場する。その中に「西を向く侍」という一編があった。

幕府天文方に勤めていた主人公、成瀬勘十郎は、明治6年の太陽暦導入に従ってお役御免となる。新しい暦では1年は365日と定められ、小の月は2月・4月・・・。勘十郎の屋敷の離れに住む「お婆様」が暦の変更についていけず、「ああ、わからぬ」と呟きながら顔をおおってしまうのを見て、勘十郎は、縁先で赭々と昏れゆく西空に向かいながら、こう言うのだ。
西向くさむらいというのはいかがでござるか。二、四、六、九、武士の士の字は十と一でござろう

9歳の孫に、「11月は何日まであるか知ってる?」とたずねたら、「30日」と答えた。学校で「2・4・6・9・11=にしむくさむらい」と教えてもらったと言う。
「じゃあ、どうして11月は〈さむらい〉なの?」と重ねてたずねると、「わからない」と言う。同じ質問を11歳の孫にもきいたが、やはり知らない。
「十と一を組み合わせたら士。武士の士だから〈さむらい〉と読むの」と説明すると、「ふ~ん」と納得した様子。

西を向く侍秋の日暮れかな


冬が来た

11月8日は、二十四節気の「立冬」だった。『万葉・古今・新古今』をはじめ、古来冬の歌といえば、ほとんどが雪を詠んだものだ。
太陽暦ではさすがにまだ雪は降らないが、短い秋が終わりに近づいたことを感じさせる日だった。風に吹かれて、庭の木々が少しずつ葉を落としていく。かがんで落葉を拾い集めると、背中にあたる日の光が暖かい。

冬立つや落ち葉拾いの暖かき

立冬から数日後、最低気温が一気に6度台まで下がった。いよいよ本格的な冬の到来かと、身が引き締まる。もちろん寒さで。
「冬が来た」といえば、高村光太郎の詩集『道程』に、こんな詩があった。

冬が来た

きつぱりと冬が来た
八つ手の白い花も消え
公孫樹の木も箒になった


きりきりともみ込むような冬が来た
人にいやがられる冬
草木に背かれ、虫類に逃げられる冬が来た


冬よ
僕に来い、僕に来い
僕は冬の力、冬は僕の餌食だ


しみ透れ、つきぬけ
火事を出せ、雪で埋めろ
刃物のやうな冬が来た

授業でこの詩を読んだことがある。冒頭の「きっぱりと冬が来た」がいい。冬はだらだら来るものではないのだ。叙情を突き抜けた力強さがこの詩にはある。気持ちだけは見習おう。

夕方、マンションの中庭に出ると、山茶花が美しく咲いていた。蕾は紅色から桃色、花は白色だが、ほのかに紅色を残している。花芯は黄色い。

山茶花の紅にほひたる日暮れかな

山茶花の白の寒さや宵の闇

家の庭に石蕗つわぶきがある。11月の初め頃に蕾をつけ、中頃には黄色い花をいっせいに咲かせた。木々の葉が命を終えて散っていく下で、元気な顔を空に向けている。石蕗は花が終わった後、種を周囲に散らすので、あちこちから芽が出て茎が伸びてくる。生命力の強い植物だ。ふと96歳になる父親を思い出す。実家の庭にも、たしか石蕗があった。

石蕗の黄色の元気老いの父


木津川アート2023

11月の中頃、京都府木津川市まで車を走らせて、このアート・イベントを見に行った。2時間ほどの行程に13のポイントがあり、さまざまな現代アートが展示されている。朝方は冷えたが、昼間は汗ばむほどの陽気だった。時間が限られていたので、ひたすら歩く。
最終地点手前の遺跡公園に足を踏み入れると、広場の真ん中に、水玉模様のバルーンがぽっかり浮かんでいる。しばらく見ていると、上昇気流に乗って空に昇りはじめた。ロープで固定してあるので、中空でゆらゆら揺れたあと、また静かに地面に着地した。まわりには誰も人はいない。古代遺跡と輝くバルーンの取り合わせがおもしろい。

水玉の気球ふわりと古都の秋


千里中央公園

日曜日、小学生の2人の孫といっしょに、近隣の公園に行く。ここには長さ150mのローラー滑り台がある。これまで何度も滑ったが、いまはもうあの震動に耐えられなくなった。子供たちは嬉々として滑っている。

この公園は、千里ニュータウンの建設に伴って、昭和43年(1968)に開設された。半世紀の間に、公園の木々も大きく成長した。

ナンキンハゼの実が熟し、白い種子が顔を出している。

子ら跳ねる南京櫨の空青き


秋深まる

最低気温が10度を切る日が多くなり、季節の歯車がゴトリと冬に傾いた。箕面の紅葉はもう色づいたことだろう。
家の近くに「千里ぎんなん通り」という名の道路がある。文字どおり銀杏いちょう並木が続き、この季節には黄金色の並木道になる。道路際には黄色い落ち葉が積もり、銀杏ぎんなんがいっぱい落ちている木もある。

降り積もる銀杏落葉に風の舞ふ

交差点近くに、ひときわ大きな銀杏の木があった。ほかの木が葉を散らしているのに、この木だけは葉が枝にしっかり着いている。黄色い枝がそれぞれ命を持って生きているようだ。

大銀杏枝葉自在に蠢けり

千里ニュータウンの道路は、街路樹によって、「千里けやき通り」「千里さくら通り」などと名づけられている。中でも美しいのは、タイワンフウ、アメリカフウ、トウカエデの並木が続く「三色彩道」だ。この時期は、木々の葉が薄紅色、淡黄色、淡緑色の三色に染まり、みごとな紅葉のトンネルとなる。


秋は、写真を撮るタイミングが難しい。朝方晴れていたかと思うと、いつの間にか雲が広がっている。時折さっと雨が降りすぎることもある。時雨だ。

村時雨過ぎたる空の青さかな

目高はや眠りに入りぬ夕時雨


「しぐれ」という言葉は、万葉の昔からあったらしい。

夕されば 雁の越え行く 竜田山 しぐれにきほひ 色付きにけり
『万葉集』巻10 作者未詳

今はとて わが身時雨に ふりぬれば 言の葉さへに うつろひにけり
『古今和歌集』小野小町

小野小町の歌は、有名な「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」を思い起こさせる。
時雨が「降る」とわが身が歳を取って「古る」とを掛けて、男の言葉が木々の葉の色の移ろいと同じように、むなしくなってしまったことを嘆く。
小町の歌には、こんな返歌が続く。
「人を思ふ 心この葉に あらばこそ 風のまにまに 散りもみだれめ」
男は、人の心は木の葉とは違うと応じる。さてどちらが真実? それとも言葉遊びかな、たぶん。

『猿蓑』松尾芭蕉
初時雨猿も小蓑をほしげなり

種田山頭火
しぐるるやしぐるる山へ歩み入る

『猿蓑』は、向井去来と野沢凡兆が編集した俳諧撰集で、書名は巻頭の芭蕉の句に由来する。
種田山頭火は、言うまでもなく自由律俳句の大家だ。上記の句は定型だが、「うしろすがたのしぐれてゆくか」の句は代表作として、誰もが知っているだろう。

時雨しぐれ」という言葉の響きは、秋から冬に向かって移りゆく季節のわびしさをよく表している。




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