アジア紀行~インドネシア・タナトラジャ~サバイバル家族旅行note⑬~
「インドネシア・スラウェシ島の旅」の記録、久しぶりの投稿です。いろんなことがあったタナトラジャの地を離れて、この日は南スラウェシの中央部にあるSENGKANGのホテルに投宿しました。
A.PADA HOTEL
この日泊まったのは「A.PADA HOTEL」という小さなホテルだった。案内された部屋は、家族4人が眠るにはぎりぎりの広さで、すぐそばに厨房があった。部屋の片側は隣の客室、もう片側は中庭に面していた。
ベッドは2つ、シーツだけで毛布はない。簡易ベッドを1つ入れてもらう。バスルームはバスタブ付きだが、シャワーから出てくるのは水だけで湯が出ない。正面にクローゼットがあるが、扉が開かない。天井には蛍光灯があるがまともにつかない。おまけに時々ホテル全体が停電する。ないない尽くしの素晴らしいホテルだ。
夕食とダンス
午後7時から中庭でブギス族のダンスがあるという。南スラウェシの人口は約900万人ほどで、その半分はブギス族の人たちである。
中庭に出ると、所狭しとテーブルが置かれ、床に敷物が広げられていた。すでに欧米人のツアー客とカップルがひと組、アジア人のカップルもひと組いた。
ガイドのGENTOが子供たちをどこかに連れて行った。しばらくすると、2人はブギス族の衣装を着せてもらって戻って来た。この旅では、GENTOがいないと経験できなかったと思われることがたくさんあった。
しばらくすると、ブギス族のダンスが始まった。民族衣装で着飾った女性が10人ほどいる。ダンスはスローテンポのものが多い。
ダンスのショーが終わると、食事が始まった。私たちが座る敷物の上に、いろんな料理が並べられていく。子供たちに民族衣装を着せてくれた3人の女の子が給仕をしてくれる。年齢を尋ねると、2人は17歳、1人は15歳だという。昼間は学校に通っている学生だった。2人は高校生(SMA)、15歳の女の子はまだ中学生(SMP)だ。
料理は、エビ、鶏、魚、野菜サラダ、スープ、ご飯など。どれも美味しかった。デザートは、コーヒーゼリーにナンカの果汁がかけてあるもの。中に小さく刻んだマンゴーも入っている。
食事が終わると、またダンスと歌が少しあって、それでお終い。握手したり写真を撮ったりして、みんな帰っていく。
食事のときにそばについてくれた3人の学生ダンサーが、紙ナプキンに自分の住所と名前を書いて持ってくる。自分たちの写真を送ってほしいと言う。どの子がどれかわからなくなりそうなので、すぐにノートに書き写しておく。
この国の人にとって、カメラはまだ高級品なのだろう。ガイドのGENTOも、2~3年後には手に入れたいと言っていた。
眠れない夜
部屋に戻ったのは10時前だった。今朝トラジャを発ったのが、ずっと以前のことのようだ。長い一日だった。
疲れているはずなのに眠れない。子供たちはすぐに眠ってしまったようだ。夜は冷えるうえに、壁の向こうがホテルの台所のようで、食器を洗うような音や話し声が聞こえてくる。うつうつしても、すぐに目が覚めてしまう。虫の声しかしなかったトラジャの静かな夜がなつかしい。
いつの間にか、眠りが訪れた。
突然、ボリュームいっぱいで響き渡る大声で眠りから現実に引き戻される。何かと思うと、イスラム教のアザーンだった。マイクを通して礼拝を呼びかける歌うような大きな声が、たぶん町中に響いているはずだ。外はまだ暗い。時計を見ると、4時45分。もっと眠りたいと思うのに、とても無理だ。
A.PADA HOTELの夜は、とてもハードだった。