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アジア紀行~ベトナム・フエ②~

古都フエの朝

夜中に何度か目が覚めた。ボートツアーの時間を気にかけていたせいだろうか。いや、古いエアコンの音のせいかもしれない。
5時半、東の空が明るくなり始めている。もう日が昇りだしたのか。
ベッドから起き出すにはまだ早い。鳥や魚などで、脳の半分が眠り、残りの半分が覚醒している睡眠を「半球睡眠」というそうだが、人間はどうなんだろう。今の自分は、ただ夢うつつの状態なだけかも。
時計を見ると6時半。いつの間にか1時間経った。起き出して顔を洗い、服を着替える。ちょっと早いが、1階の食堂に降りて朝食にしよう。

メニューは、定番のフランスパンにプレーンオムレツ。飲み物は底にコンデンスミルクが沈んだコーヒー。自分以外だれもいないのに、ホテルの従業員は4~5人いる。食事を楽しむという感じではなく、とりあえずお腹に入れるだけ。
部屋に戻って歯を磨いたあと、しばらく読書をして過ごす。

フエ・ボートツアー出発

8時にフロントに降りると、ちょうどボートツアーの人が迎えにやって来た。フォン川のほとりまで、いっしょに歩いていく。そこで待っていた子どもの案内で、フランス人の夫婦と一緒に船に乗り込む。船の上に部屋が乗っているような観光船だ。船内にはプラスティックの椅子が並べられている。船の舳先には双龍が彫られている。
我々が一番乗りで、窓際の席を確保する。ぼつぼつと客が増え、最後は30人ぐらいの大人数になった。いよいよ出発。時刻は8時半。

船はゆったりとした速度でフォン川を進む。川の流れもゆるやかで、どちらに流れているのかもわからないほどだ。たぶん上流に向かっているのだろう。
水上生活をしている人の船や、川砂をすくい上げている船、石を運ぶ船など、いろんな船が見える。泳いでいる子どもの姿もある。

古都フエ(Huế)の歴史

ここで、フエとはどんな町なのか、述べておきたい。と言っても、私もよく知らないので、これはネットで調べた「一夜漬け」ならぬ「一瞬漬け」の知識です。

ベトナムの歴史は、中国との長年の攻防の歴史だった。中国の秦王朝から唐王朝まで約1000年間は、ほとんど中国の支配下にあった。
11世紀の初めに李朝が成立し、大越国を建国する。これがベトナム最初の長期王朝となった。その後成立した陳朝は元に対抗し、黎朝は明と対抗しながら国力を充実させていった。続いて成立したのが阮朝だった。阮朝はフエに都を置き、ベトナム全土を統一する強大な王朝となった。阮朝は「グェン朝」とも表記する。阮朝は、1802年から1945年かけて存在したベトナム最後の王朝となる。しかし、その後半はフランスの占領下に入り、形式的には存続したが、実権は全くなくなってしまった。
現在、フエの町とフォン川流域の郊外には、中国への憧憬を伺わせる壮麗な中華様式の王宮や帝廟が残っており、世界遺産に指定されている。

トゥドゥック帝廟

フォン川と両岸の景色を楽しみながら進んだ一行の船は、1時間ほど経って最初の船着き場に到着した。これから向かうのは、阮朝第4代皇帝のトゥドゥック帝廟である。

船着き場には何台もバイクが待機している。帝廟を見学するには、このバイクに乗せてもらうしかないようだ。往復で40,000ドン。そして帝廟への入場料が55,000ドン。
トゥドゥック帝の在位は約35年間続き、これは阮朝13代の皇帝の中で最も長いものだった。この帝廟は、もともと皇帝の別荘地として造られたもので、いくつもの堂宇と美しい庭園がある。

ゆっくりと見学したいが、時間制限があるのが、このようなツアーの悲しいところだ。走るように見て回って、再びバイクの後ろにまたがり、船着き場まで下る。

我々を乗せた船は、次に対岸の船着き場へと移動する。小高い山の上に、ホンチェン殿というチャム族の神聖なお寺があるそうだ。麓で入場料22,000ドンを支払うが、船がすぐに出るというので、お寺まで行けなかった。せっかく入場料を払ったのに・・・。

カイディン帝廟

次の目的地は、さらに上流のカイディン帝廟だ。第12代皇帝カイディン帝(在位1916~25)の陵墓である。この時代は、すでにフランスの支配下に入っていたので、カイディン帝もフランスによって擁立された皇帝だった。
彼は、自身の陵墓もバロック様式を取り入れて建築するように命じた。

船から降りると、ここでもバイクが待機している。やはり40,000ドンだ。料金交渉をしてみるが、ムダだった。同じ船に大阪市大の大学院生で建築の勉強をしているという2人の青年がいた。出身は石川県と徳島県だが、話し言葉は関西弁(大阪弁)なので親近感がわく。彼らといっしょにカイディン帝廟を見学することになった。入場料はここも55,000ドンだった。

死後も続けて造営されたという陵墓は壮大な規模だった。階段を上り巨大な門柱を潜ると、石造の文官や武官、動物たちが整列している。皇帝の象徴である龍の彫刻もすばらしい。

啓成殿という建物に入る。ここはカイディン帝の礼拝堂で、奥にはその墓所がある。

室内の天井には九龍が描かれ、壁面には華々しく彩られたモザイク装飾が施されていた。

天蓋の下に金箔が施されたカイディン帝像が祀られている。この地下9mに、皇帝の遺体が安置されているという。

カイディン帝の功績が書かれた碑石(聖徳神功碑)が置かれている建造物があった。「碑亭」という。龍の装飾の瞳にはフランスワインの底が使われているそうだ。

山の中にこのような壮大な規模の陵墓を建設するには、莫大な時間と労力、そして金銭を費やしたことだろう。中国の皇帝陵建造の伝統が、このベトナムの地でも引き継がれている。

見飽きることがないけれども、時間は過ぎていく。一行のほかの人たちはもう船に戻ったようだ。バイクにまたがり、急いで戻る。
船内ではテーブルが配置され、昼食が用意されていた。開いた席をさがして座る。大皿と小皿に盛られたご飯とおかずを、自分の茶碗に入れて食べる。残念ながら、あまり美味しくない。
目の前に缶ジュースや缶ビールも並べられているが、これは別料金だ。スプライトの缶を開けて喉に流し込む。生ぬるい。

ミンマン帝廟

午後の見学はさらに上流のミンマン帝廟だ。しばらく船旅が続く。山が迫る両岸の景色がのどかだ。

ミンマン帝廟は船着き場から徒歩10分ほでで行けるので。バイクは必要なし。入場料はここも55,000ドンだった。
小高い丘の上に造営された陵墓は広大だった。ミンマン帝は阮朝第2代の皇帝で、儒教的思想を重視していたため、中国の明や清の陵制を手本とした。
正門にある大紅門は、皇帝の遺体を運び込んだ時に一度だけ開かれ、以後は閉じられたままだという。

近づいて見ると、屋根はかなり傷んでいるようだが、年月を経た風情がよい。

顕徳門と名づけられた楼門から内部に入る。門には三つの扉があるが、中央は閉じられている。中央の扉は、皇帝とその皇族専用の入り口である。

正面には、崇恩殿という礼拝堂があった。殿内にはミンマン帝と皇后の位牌が祀られている。

この帝廟は奥行きが深い。崇恩殿の背後には池のある庭園が続き、楼閣がある。

さらに続く最奥部には、墳墓へと続く石畳の道がある。大きな池の上の真ん中に伸びる道はさらなる石段へと続き、その上にある門は常に閉ざされている。この奥にミンマン帝の遺体が眠っているのだろうか。

ひととおり見学をすませて、船着き場まで急ぎ足で戻る。暑さと疲れがすでにピークに達している。
途中で見た霊獣像が気になった。

さて、ここで帝廟見学が終わり、船はフエ市街に向けてUターンする。
この続きは次回に回します。

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