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大山崎山荘美術館 「没後40年 黒田辰秋展 ー山本爲三郎コレクションより」~展覧会#34~

春浅き日の大山崎山荘美術館

黒田辰秋展を観に大山崎山荘美術館を訪れたのは、まだ桜が開花する前、あれからもうひと月以上が経ちました。なんとなく印象が薄い展覧会で、春を迎えたばかりの庭園のほうが心に残りました。
しかし、この展覧会の会期は5月の連休明けまで。いま一度振り返ってみようと思います。

黒田辰秋と山本為三郎

この展覧会に行くまで、黒田辰秋という作家についてはまったく知りませんでした。黒田辰秋展では、次のように紹介されています。

京都の塗師屋ぬしやに生まれた黒田辰秋は、早くから木漆工芸の制作過程における分業制に疑問を抱き、一人で素地から塗りや加飾、仕上げまでを行う一貫制作を志します。柳宗悦や河井寬次郎の知遇を得たことで民藝運動と関わり、1927年「上加茂民藝協団」を結成して志を同じくする青年らと共同生活を送りながら制作に邁進しました。協団解散後本格的に木漆工芸作家として歩み、精力的な活動のすえ、1970年には木工芸分野で初となる重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定されます。

コレクターの山本為三郎は朝日麦酒株式会社の創業者で、柳宗悦らの日本民藝運動を支援し、民藝の作家の美術作品や、彼らが手本とした古い生活雑器、古美術品の収集を行いました。
山本は、1928年の御大礼記念国産振興東京博覧会に出品されたパビリオン「民藝館」の建物と什器を買い取り、博覧会終了後に大阪・三国の自邸に移築しました。この建物は「三國荘」と呼ばれ、三國荘ゆかりのコレクションは、後に大山崎山荘美術館に寄贈されて、当館所蔵品の軸となります。

出展作品

黒田辰秋(1904~1982)
今回の黒田辰秋展では、彼の作品が約50点出展されていました。

《貝象嵌色字筥》
チラシ表の写真は、「色」という字が刻まれた螺鈿細工の小箱です。黒田辰秋がまだ若い、1928年頃の作品です。なぜ「色」という字にしたのかはわかりませんが、抑えた色合いの中に気品があふれています。


《欅拭漆食卓》《欅拭漆肘掛椅子》《欅拭漆椅子》

黒田の初期の代表作と言われているテーブルセットです。1928年の作品です。いかにもどっしりと落ち着いた重量感があります。椅子の背やテーブルの脚に刻まれた井桁の形をしているのは、黒田が結成した「上加茂民藝協団」のシンボルマークで、柳宗悦が考案し黒田が図案化したものです。


《耀貝白蝶貝螺鈿流卍文飾箱》

1970年、メキシコ鮑の貝殻を使った螺鈿細工の作品です。渦巻くような曲線とたてよこの太い真っ直ぐな線が不思議な繋がりを見せています。
「耀貝」というのは、その輝きに魅了された版画家の棟方志功が名づけたものです。

このような螺鈿細工の飾箱や、漆塗りの什器は、贅沢な生活品ですね。

大山崎山荘美術館庭園

春浅き頃の庭園の様子です。

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