見出し画像

大阪市の神社と狛犬 ⑪中央区 ⑥若宮商工稲荷神社~合併神社を護る中国獅子~

大阪市中央区の地図と神社

大阪市には、現在24の行政区があります。中央区は、かつての東区と南区が合区となって1989年に発足した新しい区です。大阪市のほぼ中央にあり、上町台地とその西側の地域になります。この区には、大阪府庁などの官公庁街、船場と呼ばれる商業街、ミナミと呼ばれる繁華街などに加えて、大阪城や難波宮跡などの歴史的建造物もあります。

中央区には、生國魂神社行宮を含めて11社の神社があります。さらに、神社ではありませんが、大阪城公園内に明代の中国獅子があります。この12箇所について、順次紹介したいと思います。

6社目は、若宮商工稲荷神社です。大阪メトロ堺筋本町駅・谷町四丁目駅から共に徒歩7分ほど、大阪商工会議所の南隣に鎮座します。

若宮商工稲荷神社

■所在地 〒540-0029 大阪市中央区本町橋2-8
■主祭神 豊受大神・宇迦之御魂神
■由緒  当社は、若宮稲荷神社と商工稲荷神社とが合祀される形で、昭和40年(1965)に創建された神社である。
若宮稲荷神社の創建は古く、天正11年(1583)に豊臣秀吉が大坂城築城の際に奉仕したのが始まりである。
商工稲荷神社は、大阪商工会議所初代会頭の五代友厚が、明治12年(1879)に大阪の商工業発展のため商工稲荷祭の神事を挙行したのが創始で、大阪商工会議所の移転に伴って神社も移転し、昭和40年(1965)に内本町の建設用地内にあった「若宮稲荷神社」の ご神体と合祀され、現在の若宮商工稲荷神社となった。

正面に若宮稲荷と商工稲荷が祀られている。後方に見えるのはホテル・シティプラザ大阪。

中国獅子

参道左右に安置されているのは、狛犬ではなく「中国獅子(石獅)」である。

参道の中国獅子(向かって右)
参道の中国獅子(向かって左)

この石造中国獅子は、もとは若宮稲荷神社に安置されていたのが、神社の移転・合祀に伴って、いっしょに遷されたものである。

移転前の若宮稲荷神社と中国獅子
(https://www.osaka.cci.or.jp/wakasj/origin/origin.html)

この中国獅子がどのような経緯で以前の若宮稲荷神社に安置されるようになったのか、今のところはまったくわからない。かつて日本が中国大陸に侵攻していた時代にもたらされた中国獅子は各地に残されているが、これもそうなのかどうかは不明である。

中国獅子について詳しく解説されたものが、日本ではほとんど見られない中で、明治大学の川野明正氏の論文「中国石獅の地方類型と分布」(その1.
北獅編  2017.3)(その2.南獅編  2018.3)は貴重な資料である。その一部を抜粋して、次に紹介したい。

中国石獅の類型は、最も大きな分類上の呼称に「北獅」と「南獅」の区別がある。この区別は獅子舞である「舞獅」にもある。
北獅=北京を中心としたタイプは、中国各地に普及し、中国石獅の代表格である。中でも北京型石獅は「螺髪」で、怒らせた顔で、うつむいている。体躯は太めで、蹲踞の姿勢が動きなく、鈍重な印象がある。首に鈴や「瓔珞」をつけた帯を掛け回し、雄は玉持ち、雌は仔持ちで、子供を逆さに前足で押さえるものが多い。原型は唐代の陵墓の獅子にみられ、その流れを汲む。前足の筋骨隆々とした力の篭もる表現はその一つだ。
南獅=北方民族の度重なる侵入に曝された中国北部に対し、中国の南部は、方言の種類の多様でも示されるように、各地の地域の文化的な相違が大きい。南獅は、「福建南部・台湾型石獅」「広東型石獅」「浙江・江蘇型石獅」などがあり、(中略)いずれも北獅に比べ、ひねりを利かせた、動的なスタイルが共通した特徴である。

『人文学報』第513号 首都大学東京 人文科学研究科 2017.3より


この解説から分かるように、若宮稲荷神社からやって来た、現在の若宮商工稲荷神社の中国獅子は、その姿態からして明らかに「南獅」に分類されることになる。

左獅子(向かって右)

一見すると蹲踞姿勢のようだが、横から見るとお尻を地につけてはいない。「蹲獅」と「立獅」の中間のように見える。耳は横に広がり、口を開けて斜め上方を向く。写真では分からないが、口中には玉がある。首には鈴をつける。右前肢は玉を押さえ、左前肢は綬帯を握っている。股間には雄のシンボルがはっきりと造られている。尻尾は背中に沿って数条に分かれる。


右獅子(向かって左)

全体の姿態を見ると、左獅子とほぼ対称的と言える。左前肢で玉を押さえ、右前肢で綬帯をつかむ。大きな違いは、前肢の間に子どもがいることである。股間も左獅子とは異なり、こちらは雌獅子であることがわかる。

台座には、巻物や瓢箪などが彫られている。


3人の銅像

大阪商工会議所の隣、若宮商工稲荷神社の入口に3人の銅像がある。

向かって左から、初代会頭の五代友厚、7代会頭の土居通夫、10代会頭の稲畑勝太郎である。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?