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大阪市の神社と狛犬 ⑪中央区 ⑪鵲森宮~被弾した狛犬~

大阪市中央区の地図と神社

大阪市には、現在24の行政区があります。中央区は、かつての東区と南区が合区となって1989年に発足した新しい区です。大阪市のほぼ中央にあり、上町台地とその西側の地域になります。この区には、大阪府庁などの官公庁街、船場と呼ばれる商業街、ミナミと呼ばれる繁華街などに加えて、大阪城や難波宮跡などの歴史的建造物もあります。

中央区には、生國魂神社行宮を含めて11社の神社があります。さらに、神社ではありませんが、大阪城公園内に明代の中国獅子があります。この12箇所について、順次紹介したいと思います。

今回は、大阪城公園の南側、JR環状線森ノ宮駅近くに鎮座する|鵲森宮《かささぎもりのみや》です。通称は森之宮神社といいます。
社名を鵲森宮というのは、推古天皇の御代に、難波の吉士磐金きしいわかねという人物が、聖徳太子の命により新羅へ使者として渡り、帰国後、二羽の鵲(俗に朝鮮烏)を献上して、当社のある難波の杜で飼ったことに由来します。

鵲森宮(森之宮神社)

■所在地 〒540-0003 大阪市中央区森ノ宮中央1-14-4
■主祭神 用明天皇・穴穂部間人あなほべのはしひと皇后・聖徳太子
■由緒  聖徳太子は物部守屋との戦いの戦勝を祈願し、勝った暁には四天王像を祀ることを誓った。戦いに勝利した太子は、難波の森に四天王を祀る寺(元四天王寺)を創建し、両親の用明天皇と穴穂部間人皇后をこの地に祀って寺の鎮守とした。四天王寺はその後移転するが、両親を祀った社はこの地に残り、現在の鵲森宮となった。

鵲森宮拝殿と狛犬

狛犬1

■奉献年 昭和十九年七月
■石工  不明  
■材質  花崗岩
■設置  拝殿前

昭和19年奉献の石造狛犬(阿形)
昭和19年奉献の石造狛犬(吽形)
昭和19年奉献の石造狛犬
昭和19年奉献の石造狛犬

拝殿前の石造狛犬は、重量感たっぷりである。3頭身の短足で、巻き毛がいっぱいの個性的な狛犬だ。台座に次のような銘記がある。

大東亞戦爭ノ為メ青銅製ノ
狛犬ヲ献納シテ之ヲ再建ス
 昭和十九年七月    

元は、この場所には青銅製の狛犬が置かれていたようだ。それが戦時中の金属類回収令によって供出され、その後この狛犬が奉献された。
首の下には飾りをつけている。尻尾の下部は海の波のような巻き毛で、さらに上部に数本の毛束が立ち上がる。

昭和19年奉献の石造狛犬(阿形正面)
昭和19年奉献の石造狛犬の尻尾

太平洋戦争の終盤、地元の大勢の氏子の熱い思いを受けて鵲森宮に奉納されたこの狛犬だが、昭和20年には大きな試練がやっていた。数度にわたる大阪大空襲である。すぐ近くには大阪砲兵工廠があるため、この付近は敵の攻撃の的になり、鵲森宮も大きな被害を受けた。

1945.7.24撮影  毎日新聞社

石造狛犬は何とか無事であったが、その身体や台座には弾痕や修理箇所がたくさん残っている。

狛犬の表面に残る弾痕
台座に残る弾痕と修理跡

境内には大伴家持の「鵲の渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける」の歌碑がある(実際は万葉仮名で記されている)。

大伴家持歌碑
藍鵲(江永森氏撮影)



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