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昔は肥溜めがあった。

肥溜めを見なくなって久しい。
町中にないのは当たり前だが、郊外に出ても、肥溜めはもはや姿を消してしまったのではないだろうか。

かつては畑の肥料として人糞を売買していた時代もあった。
身分によって値段が違ったというからおもしろい。
戦後にGHQは、不衛生だという理由で人糞肥料の禁止を命じたそうだが、それでもぼくが子どものころには、畑に行くと、必ずどこかに肥溜めがあった。
地面に穴を掘って、そこに大きな壺や瓶が埋め込まれていることが多かったので、肥溜めは野壺ともいった。
もちろんその中にはヒトの糞尿が入っていて、真夏の太陽のもとで発酵したそれは、近づくと強烈な臭いを発散していた。

子どものころ、ぼくの家から5分も歩けば、そこにはもう田んぼや畑が広がっていた。
ぼくは、自分の行動範囲内にある近所の畑の肥溜めの位置は、だいたい覚えていた。しかし、周囲に草が生えたりして、肥溜めの場所がわかりにくいこともあった。

その頃の友人に、清水くんというクラスでいちばん大柄な男の子がいた。
春のある日、ぼくは清水くんと二人で、捕虫網を持って近くのキャベツ畑に行った。
この時期、キャベツ畑にはたくさんのモンシロチョウが飛び交っている。
網を振り回せば、簡単にチョウを捕らえることができる。
モンシロチョウはキャベツの葉の裏側に卵を産み付けるので、青い幼虫が葉についていることもある。
幼虫のついたキャベツの葉を持ち帰って飼育箱の中にいれておくと、幼虫はやがてサナギになり、最後は白いチョウに変身した。

モンシロチョウwiki

wikipedia モンシロチョウ

清水くんはひらひらと飛び交うチョウに夢中になっていた。
青空に白いチョウが乱れ飛ぶ世界を「天国」というのは言い過ぎだが、そのそばに確実に「地獄」があることを、ぼくたちは忘れていた。
瞬間、清水くんの片足が「地獄」に、いや「肥溜め」にはまり込んだ。
表面が干からびたようになっていたそれは、地面と区別がつきにくくなっていた。

ぼくたちのチョウ採りゲームは一瞬にして幕が下りた。
清水くんは臭いを発しながら、ゴワゴワになったズボンと汚れた運動靴を履いたまま、ぼくの家にもどらなければならなかった。

ぼくが住む鉄筋住宅の1階の外には水道があったので、清水くんはそこで下半身と靴を洗った。
洗っても洗っても、清水くんからは肥溜めの臭いがした。
それは、ぼくの鼻から離れなくなった記憶の肥溜めの臭いだったのかもしれない。
大きな清水くんは、体に似合わず泣きそうな顔をしながら、自転車に乗って帰っていった。

4年生

いちばん大きいのが清水くん。小学4年生の頃。



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