狛犬求めてブラブラ散歩~大阪市都島区~
淀川沿いの素敵な散歩道
9月の終わりの秋晴れの一日、noteに連載中の「大阪市の神社と狛犬」❼都島区編の下調べに旧淀川沿いを歩いてきました。
Googleマップでは「4.6km57分」と表示されていますが、実際は4時間かけて歩きました。
出発点「城北公園通駅」
午前7:30、JR千里丘から乗車して新大阪で降り、「JRおおさか東線」に乗り換えます。この路線が開業し、新大阪駅から久宝寺駅までつながったのは3年前の2019年でした。もちろん乗るのは初めてでした。
子どものころ、大阪市の城東区に住んでいたことがあり、城北公園には自転車でよく行きました。城北公園はお隣の旭区にあり、旧淀川の河川敷を利用して造られた、大きな池と菖蒲園が有名です。
しかし今回は公園には立ち寄らず、反対の方向に向かいます。最初の目的地「淀川神社」は、旧淀川(大川)の上流付近にあります。
旧淀川というのは、かつては淀川本流でしたが、現在は、都島区の毛馬水門・毛馬閘門で南へ分岐する川を指し、上流から大川、堂島川、安治川と名前を変えて大阪湾に注ぎます。
淀川神社
最初の目的地、淀川神社です。到着は8:14。
小さな神社で、お婆さんが境内を掃き清めておられました。狛犬は拝殿前に一対と、塀際に古いものが一体。相方さんは見当たりません。お婆さんにもわからないということでした。詳しいことは「大阪市の神社と狛犬」シリーズで書きますね。
長柄八幡宮に寄り道
淀川神社から川沿いに南に下らなければいけなかったのに、間違って毛馬橋を渡ってしまいました。しばらく行くと右手に神社が見えます。
〈あれっ? 見たことのある神社だ〉
そこは「長柄八幡宮」でした。橋を渡って北区に入ってしまったのです。昔は「大淀区」と呼ばれていたところです。
宮司さんとしばらく話をしたあと、方向転換。今度は南東に向いて歩き出します。どこかで大川を渡らなければいけません。長柄八幡宮から1kmあまりのところ、毛馬橋の下流に飛翔橋という、橋脚のないアーチ型の橋がありました。これを東に渡ります。
橋の長さは100mほど。渡りきると、櫻宮(桜宮神社)御旅所はすぐそこです。
櫻宮(桜宮神社)御旅所
御旅所到着、9:24。思いがけず遠回りになってしまいました。ここを訪れるのは初めてです。もとは、旧善源寺村の産土神社だったそうです。
こちらでは、文化8年(1811)の狛犬さんと出会うことができました。
社殿の背後にクスノキの大樹があります。この木は平安時代の中ごろ、源頼光が社を創建する際に植えたものだと言い伝えられています。頼光の四天王の一人だった家臣の渡辺綱が当社に参詣するとき、馬をつないだとの伝承があるところから「渡辺綱・駒つなぎの樟」と呼ばれていました。しかし戦争で被災し、現在は枯死状態のままそびえ立っています。
御旅所裏手の善源寺楠公園でしばらく休憩。すぐそばの関西スーパーで飲み物を買ってきました。
落ち着いたところで、出発です。次の目的地は、歩いて5分ほどの近くにある都島神社です。
都島神社
10:05到着。櫻宮(桜宮神社)御旅所から距離にして300mほどのところです。若い宮司さんが、境内を浄めておられました。参道は西側と南側にあります。南側が正面でしょう。
創建は平安時代後期ということですが、1945年の大阪大空襲で社殿が焼失しました。現在の社殿は1949年に再建されたものです。それにしても、大阪の神社を巡っていると、先の大戦時の空襲で焼失した神社の何と多いことかと唖然とします。もちろん多くの人の命が犠牲になったのは、言うまでもありません。
狛犬は2対。拝殿前の狛犬は昭和32年奉納の新しいものでしたが、「文化六年」と刻まれた台座に坐していました。先代の狛犬について、社務所の若奥様に尋ねてみましたが、わからないとのこと。若宮司さんも、「戦争で古い文書が焼けてしまって、記録がありません。」とおっしゃっていました。
毛馬桜之宮公園
都島神社の参拝を終えて、再び大川沿いの道を歩くことにします。毛馬から川沿いに南の天満橋まで4kmほど続く河川敷公園は、毛馬桜之宮公園と呼ばれています。春には4500本もの桜並木が、美しい花を咲かせます。遊歩道や野球場などもあり、歩いていると、ジョギングの人たちが追い抜いて行きます。大阪公立大学(旧大阪市立大学)ボート部の艇庫もあり、練習風景を見かけることもあります。
ちょうどこの艇庫の近くまでやって来たとき、大きなバスが公園内に入ってきました。運転手が降りてきて、こんなアナウンスをしています。
「私は泳げないので、ここで運転手を交代します。」
???
なんとこのバスは「大阪ダックツアー」の水陸両用の観光バスだったのです。運転手が交代したバスは、公園から川に続く斜面を進み、水しぶきを上げながら川の中に入って行きました。
櫻宮(桜宮神社)
水陸両用のバスが遠ざかったあと、上の道路に上がります。すぐそこに桜宮神社があります。到着は10:50。「さくら」という字は、旧字体を使うのか新字体を使うのか悩ましいところです。社号標には「櫻宮」と書かれていました。宗教法人の登録上の名称は「桜宮」だそうです。まあ、どちらでもいいのでしょう。
かつてはこの鳥居前に大きな狛犬が安置されていたそうですが、それも昔の話です。現在は社殿西側の川に面した方の鳥居の内側に、天保年間の狛犬が一対残っているだけです。
さて、ここまで来ると、終点はすぐそこです。
もう一度大川沿いの公園に出ます。大きな銀色の橋が前方に見えます。桜宮橋、通称「銀橋」です。今は銀色の二つの橋が並んでいますが、以前は一つだけでした。道路拡張に伴って、安藤忠雄設計の「新銀橋」が作られたのです。中学生の頃、友だちとこのアーチに上ったことがあります。ほんの少しだけですが。近くに「桜宮スケートリンク」があって、冬になるとときどき来ました。たぶんその時のことです。こわくて足が震えました。
藤田邸跡公園
銀橋の下を潜り、ほんの少し行くと、左手に庭園の門が見えます。門の手前に、まるで置物のようにアオサギが一羽じっと立っていました。時計を見ると。11:20でした。
この門の中は旧藤田邸の庭園で、藤田邸跡公園として一般公開されています。藤田邸というのは、大阪を代表する実業家、藤田傳三郎の邸宅で、回遊式の美しい庭園があります。
では中に入ってみましょう。
曼珠沙華が満開です。道の両側に連なって咲いています。
隣接して、新装なった藤田美術館があり、その前に美しい多宝塔が建っています。
この庭園の片隅に、中国獅子が隠れるように置かれていました。
消えた太閤園
藤田美術館と道路を挟んだ向かい側には、昨年まで「太閤園」という結婚式場・レストランがありました。もとは藤田傳三郎の本邸だったところです。見応えのある広い庭もあり、藤田観光が管理していました。ところがコロナ禍で営業不振に陥り、昨年ついに営業を停止し、創価学会に売却することになってしまいました。
今回行ってみると、門は閉じられたままで、中に入ることはできませんでした。
以前は自由に拝観できたのですが、今後はどうなるのか、気がかりです。
次の写真は、5年ほど前に太閤園の庭園で撮ったものです。
本日の締めは太閤園のはずでしたが、最後になってみごとに裏切られてしまいました。太閤園は、従姉妹がここで結婚式を挙げたり、大学の文学部の同窓会を開いたりして、馴染みのある場所でした。いつかまた、見学できる日が来るといいですね。
最後に時刻を確認すると、12:15でした。朝7時に家を出て半日で、たっぷり歩き、味わった秋の日でした。