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国立国際美術館 「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」その2~展覧会#31~

前回の投稿からかなり間が開きましたが、国立国際美術館「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」の報告の続きをしたいと思います。
前回はピカソに絞って、展示作品の紹介をしました。今回は、クレーの作品紹介です。

パウル・クレー

好きな画家はだれか、と尋ねられたら、いちばんに思い浮かぶのがクレーです。作品に表れる音楽性や色彩、純粋な幼児性やロマンティシズムなど、見る者をひきつける要素がいっぱいあります。
ベルリン国立ベルクグリューン美術館は、クレーの作品を70点所蔵していますが、そのうちのほぼ半数の34点のクレー作品が出展されています。

パウル・クレー(Paul Klee, 1879年~1940年)は、20世紀前半に活躍した画家です。音楽家の両親のもとに生まれ、子どもの頃から音楽に馴染んできました。その一方で文学や絵画に興味を持ち、1900年にミュンヘンの美術アカデミーに入学します。しかし学校の画一的な教育に失望して翌年には退学、その後、カンディンスキー、ピカソ、マティスらの作品に接する中で、独自の道を探求していきました。
1914年のチュニジアへの旅で、クレーは鮮やかな色彩に目覚め、彼の画業の転機となります。彼が新進の画家として注目され始めるのは、その数年後からでした。
今回の展覧会では、1917年の作品から亡くなる前年の1939年の作品まで見ることができます。それでは、展示作品を年代順に紹介します。

1917年 38歳 第一次世界大戦ドイツ部隊従軍中

黄色い家の上に咲く天の花(選ばれた家)
青の風景

1918年 39歳 第一次世界大戦ドイツ部隊従軍中

運命のファゴット・ソロ
塔の理念


1919年 40歳 第一次世界大戦ドイツ部隊除隊 アトリエで制作に励む

カモたち


1920年 41歳 バウハウスからの招聘

黒魔術師
目覚める女性
イレーネが成長した時のための象形碑文(no.1)


1921年 42歳 バウハウスでの教育活動開始

雄山羊
暗い扉のある部屋の透視図法
夢の都市
知ること、沈黙すること、やり過ごすこと


1922年 43歳 バウハウス時代

薬草を調合する魔女たち
小さな城 黄・赤・茶色
緑の風景


1923年 44歳 バウハウス時代

平面の建築
少女たちの光景
北の地
中国の磁器


1924年 45歳 バウハウス閉鎖

朱色のアクセントのある方形の抽象的な色彩調和
口数の少ない倹約家


1925年 46歳 バウハウス、ワイマールからデッサウに移り開校 

ジンジャー・ブレッドの絵
3掛ける3の十字
朝食時の観察
港の船Ⅱc


1926年 47歳 デッサウのバウハウス

野蛮なー古典的ー祝祭的


1927年 48歳 デッサウのバウハウス

Gの一角
植物と窓のある静物


1928年 49歳 デッサウのバウハウス
1929年 50歳 デッサウのバウハウス 

ネクロポリス


1930年 51歳 デッサウのバウハウス

封印された女


1931年 52歳 デッサウのバウハウス退職 デュッセルドルフ美術学校教授に就任

モスクの入口


1932年 53歳 デュッセルドルフ美術学校 デッサウのバウハウスがナチスにより閉鎖される
1933年 54歳 デッサウの自宅がナチスによって家宅捜索される デュッセルドルフ美術学校から突然の解雇通知 ナチスの迫害を逃れスイスに亡命

時間


1934年(55歳)~1939年(60歳) スイス・ベルン

夜明けの詩(1938)
子どもの遊び(1939)

1940年6月29日、スイス、ロカルノ近郊のサンタニェーゼ病院で心臓麻痺のため死去。60歳。


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