落語(56)猫むすめ
◎クリスマスに次ぎ、日本でもすっかり定着した感のある外国のお祭り『ハロウィン』。毎年十月頃になると、欽ちゃんの仮装大賞ばりに粧し込んで街に繰り出す人々があちらこちらで見受けられるようになります。これがまだカボチャの被り物くらいなら可愛いものですが、さながらホラー映画のように着ている服に血を描いてみたり、顔面に痣を描いてみたりとなると、ちょっと不気味で気軽に笑えないものがあります。今回はそんなハロウィンの日本版(元祖?)のようなお話でして…。
爺「(猫を抱きながら)おお、よしよし、マヨ。え、お腹すいた?そうかい、何が食べたいんだ?え、魚?分かった、ちょっと待ってろ。…おい婆さんや、マヨが腹ぁ減ったとさ」
婆「えぇ?『腹減った』って、さっき鮎をあげたばかりじゃないですか」
爺「え、そうだっけ?ああ、そう言えばそうだったっけ。…じゃあマヨ、何か軽い者なら食べられるだろ?え、マタタビなんかどうだ?え、食べる?…よぉ、婆さんよ。まだ少しマタタビがあったろ。あれ持ってきとくれ」
婆「マタタビはもう無いですよ。こないだあげた分で終わりです」
爺「そうか、じゃあまた旅に出て採ってこなくちゃいけないなぁ」
婆「何を言ってるんですか、全く。第一、本当にマヨがそんなこと言ったんですか?」
爺「ああ、言ったとも。おらぁ、マヨの言葉が分かるだから。なあマヨ、おらとおめぇはそういう仲だよなぁ?」
婆「ちょっとお爺さん。マヨ、目やにが出てますよ。(手拭いを取り)これで拭いたげて下さい」
爺「おおぉ、こらぁさすがに拭いてやらんとな。…ほれ、マヨ。今、取ってやるでな。(拭く)」
婆「何たって、もうマヨも十五年も生きてますからねぇ。そりゃあ、いくらか目も衰えますで」
爺「(拭きながら)ああ、人間にしたらきっと七十の余になるだろうからなぁ。そうなりゃ、もうわしらより年長だ。はっはっはっ」
婆「ふふふふ。このままあと五年でも十年でも、マヨには長生きしてもらいたいものですねぇ」
爺「ああ、そりゃそうとも。『マヨは百までわしゃ九十九まで、共にシラミのたかるまで』じゃ。わっはっはっ。…だけど昔から猫っちゅうもんは、『長生きをすると化け猫になる』とか言うでな」
婆「そんなこと言いますねぇ。『猫又』と言って、尻尾が二股に分かれた妖怪になると」
爺「マヨの尻尾はどうだろうか…おや、何と先っぽが二つに分かれておるぞ!」
婆「えぇ!?そんなバカな…まあ本当だ、いつの間に!?」
爺「こりゃあ、あと一年もしたら完全に猫又になってしまうかもしれん。だが尻尾が二本になったからと言って、今より飯を倍食うわけじゃなし」
婆「その通りです。マヨは私たちの大切な娘なんですから。たとえ化けたとしても、いつまでも私たちのそばにいてもらいたいものです」
爺「そうだぞマヨ、おめぇはずーっとこのウチにいていいだからな。分かったか、マヨ」
坊主「(戸を叩く音)」
爺「お、誰だ?おい婆さん、ちょっと出てくれ」
婆「はいはい、今開けますでね。ちょっと待って下さいね(開けて)…あれまぁ、お坊さま。また、どうされました?」
坊主「突然に押しかけまして相すみません。愚僧、この先の閑久寺に、このたび赴任して参りました子半という者です。恐れ入りますが、何か食べ物をお恵みいただけないかと。何しろ着の身着のままで来ましたもので…」
婆「まあ、そうですか。そういうことでしたら、どうぞ。大したおもてなしも出来ませんが」
坊主「相すみません。では、お邪魔します」
*
爺「(猫を抱きながら)いやぁ、しかしお坊さまも大変ですなぁ。あの閑久寺は、もう随分と長いこと廃寺でしたで。草も伸びっ放し蜘蛛の巣も張りっ放しで、あれを立て直すというのは、さだめし骨の折れることでしょう」
坊主「ええ、私も最初はお断りしようと思ったんですが。これも仏縁、自利利他の心で何か人様のお役に立てればと思いまして」
爺「はあ、それは見上げたお心掛けで」
婆「さあ、お坊さま。どうぞ、おあがり下さい」
坊主「おや、炊飯ではないですか。炊いた米を食べるのは何年ぶりのことでしょうか。このところ、いつも固い米ばかり食べてましたので」
婆「えぇ!?お坊さま、一体どんな暮らしをされてたんですか!?」
坊主「なに、大本山の方ではちょっとした生食行というものがありましてな。何でも火を通さず生のまま食べる。そうすることにより、混じり気のない素材本来の有難みを知れるというものです」
爺「へぇ、そらぁ大変ですなぁ。我々が真似したら、一発で腹を下しそうなもんだ」
坊主「では、いただきます。(食べながら)うん、これはなかなか美味ですなぁ。うん、うまいうまい(ガツガツ食べる)」
爺「はっはっはっ、よっぽど腹が減っておったんですなぁ。ああ、おかわりもありますで、好きなだけお食べ下さいよ」
坊主「そうですか。じゃあ、すみません。おかわりを…(受け取り)ありがとうございます。(再び食べながら)…ときにご主人、その腕に抱えた猫ですがね、それは足かけ何年ほど生きているんですか?だいぶ高齢とお見受けしますが」
爺「ああ、この猫でしたら、もう十五の余になりますで。子供の無いおらたちは、この猫を実のわが子と思って育ててきました」
婆「十五年前、突然裏の畑に迷い込んできたんです。だから『マヨ』と名付けて、二人で今日まで可愛がってきました」
坊主「(食べながら)ほぉ、もう十五年もですか。それは随分と長生きで…」
爺「最近は猫と言えども、もうこれが何を言っているのかが分かるような気がするんです」
婆「本当に。まるで人間と会話してるようなものなんですよ」
坊主「それはまずい」
爺「え?」
坊主「それは実に由々しき問題だ」
婆「由々しき問題、と言いますと?」
坊主「愚僧が思うに、それはおそらく猫又でしょう」
爺「ええ!?お坊さま、ウチのマヨが猫又だとおっしゃるんですか!?」
坊主「うむ。悪いことは言いませぬ。ただちに手を打った方が良いでしょう」
爺「手を打つ、とおっしゃいますと?」
坊主「処分しなさい。でなけば、その猫はいずれあなた方に危害を加えることでしょう」
爺「しょ、処分て…。そ、そんな…」
坊主「その猫は、すでに畜生から餓鬼へと堕落しておる。もはや情けは無用。何なら愚僧が然るべき所へ葬って遣わそう。(棒を持って歩み寄る)」
爺「いやお坊さま、ご勘弁を!このマヨは私たちの大切な…(強奪され)あぁっ、マヨッ!」
坊主「(叩きながら)えぇい、この化け物めっ!憎たらしい目をしおってっ!何じゃその目はっ!大人しく往生せんかっ!地獄へ堕としてやるっ!でいっ!でいっ!でいやっ!」
爺「ああっ、何と惨いっ!」
婆「ああっ、マヨーーッ!」
坊主「ふぅ…ふぅ…ふぅ…くたばったか。…お百姓さん、これでもう安心です。悪霊は無事、地獄に葬り去りました」
爺「(泣きながら)おぉぉ、マヨ…。すまん、お前を守ってやれなくて…」
婆「(泣きながら)マヨ、許しとくれ…。本当にごめんよ…」
なんとこの僧侶は、夫婦にとっては子も同然の老猫を、突然一方的に殺してしまったのでした。現代なら「とんでもない!」ってんで訴えるところでしょうが、当時はまだ聖職者の地位が高かった時代。夫婦は愛猫を殺されても、ただただ泣き寝入りするしかありませんでした。そればかりかこの僧侶、その後も頻繁にこの夫婦のもとを訪ねては、食べ物を無心するようになりました。おまけに食べ盛りの小僧たちまで連れてくるものですから、蓄えておいた食糧はみるみる無くなっていきます。そうなると初めのうちは余裕をもって迎え入れていた夫婦も、次第に自分たちが食べる分にすら困るほどになってしまいまして。そうして、三月ばかりが経ちましたある日のこと…。
坊主「(戸を叩く音)」
婆「ああ、お爺さんっ。またあのお坊さまが来てしまいましたよっ」
爺「うーむ、困ったなぁ。もう米はすっかり無くなってしまったが、南瓜の煮物で良ければ、と言ってお通ししなさい」
婆「はい、分かりました。…(戸を開けて)あ、これはこれはお坊さま。あのぅ、今日は南瓜しかお出しする物が無いのですが、それでよろしければ…」
坊主「なに、米は尽きてしまったと?うーむ、仕方ない。いささか物足りないが、ならば南瓜だけで我慢するとしよう。…(小僧たちに向かって)さあ、お前たち。今日は南瓜の煮物だけだが我慢しなさい。さあ、遠慮はいらんぞ。腹一杯食えよ。さあ、入れ入れ」
*
爺「あのぅ、お味はいかがでしょうか…?」
坊主「(食べながら)うむ、欲を言えばここに白飯の欲しいところではあるが、なかなかに甘味が強くねっとりしていて味の良い南瓜ですな」
爺「それはそれは、喜んでいただけましたようで、こちらもひと安心です。なんせ、今朝たまたま野っ原に生っていた物を穫ってきましたものですで」
坊主「何、ことさらに栽培した物ではないと?」
爺「ええ、たまさか以前の猫の墓に手を合わせに行きましたところ、蔓が足に絡みましたもんですから、よくよく見てみますと、いつの間にか南瓜が鈴なりに生ってまして」
坊主「ああ、あの猫ですか。では、ひょっとしたらお二人へのせめてもの償いとして、南瓜を送ってきたのかもしれんですな。今頃、地獄で深く反省していることでしょう。…おい、お前たちもたんと食えよ。育ち盛りなんだからな。遠慮はいらんぞ」
婆「(器によそいながら)さあ、小僧さんたちもどうぞ。まだ、おかわりも沢山ありますでね」
坊主「(食べながら)うむ、何たってタダの南瓜だからな。これはきっと仏様のお恵みだ。むしろ沢山食べなければバチが当たるぞ…(もう一口食べて)…ゔっ!」
爺「お、お坊さま!ど、どうされました!?」
坊主「く、苦しい…。お、おのれ、死に損ないの老夫婦め…。さては毒を盛りおったな…(ガクッ)」
爺「あぁっ、お、お坊さまっ!」
婆「見て、お爺さん!小僧さんたちも、みんな…!」
爺「あわわわ、大変だぁ。みんな泡を吹いて倒れてしまったぁ」
婆「ああっ!み、見て、お爺さん!」
爺「何と!お坊さまの姿が鼠に変わりよった!…あ、小僧さんたちまでみんな鼠に!」
どうやら、この坊主たちの正体は化け鼠だったようでして。近所の廃寺に住みついた鼠たちが、僧侶の姿に化けてこのウチへとやって来ていたようです。だから、邪魔者の猫を殺してしまったんですね。しかし、猫もこのままやられっ放しでは浮かばれません。死んだ後で、今度は魂が南瓜に乗り移り、こうして化け鼠たちに復讐したわけです。いやぁ実に、猫の執念恐るべしで…。
爺「それにしても婆さんよ。今朝、おらたちも同じ所の南瓜を食べたっけなぁ。それでも何ともなかったというのは、これ一体どういうことだろうか?」
婆「ですから、あの南瓜にはマヨの念がこもっているんですよ。私たちには何もしませんが、化け鼠たちの体へ入った途端、猫に姿を戻して、奴らの胃の腑を食い破ったのでしょう」
爺「何と、鼠の体の中へ入って胃の腑を食い破ったと!?はぁー、やっぱり猫は体が柔らかい」
以後、この夫婦は魔除け代わりとして、玄関先に南瓜を置くようになったそうです。それを何処ぞの宣教師がたまたま目撃し、やがてそれが海を渡ってハロウィンのカボチャになったかもしれないという、本当か嘘かはとんと分からぬようなお話で…。
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