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落語(63)蛇の目

『蛇の目傘』ーーその名前の由来は、傘の中央にあしらわれた丸い模様が、あたかも蛇の目ように見えるからと言われています。蛇と言えば、一度狙った獲物は何があっても絶対に逃さないという執念深さが連想されます。もしもあなたの周囲に、雨の日になると決まって蛇の目傘をさして現れる連続殺人犯がいたとしたらどうでしょう。怖いですよね…。雨の多い時期、くれぐれも外出には気をつけて下さいね。ひっひっひっひっひっ。

大家「(戸を叩く音)剣士郎さーん、いるかい?あたしだよ。いたら開けとくれ」
剣士郎「(戸を開けて)あ、これは大家どの。突然どうされましたか」
大家「おやおや、傘貼りの最中だったかい。浪人も大変だねぇ。こんな狭い裏長屋の四畳半でもって傘貼りとは…ああ、そうだ。せっかく今日は晴れなんだから、その傘ぁ表で乾かしたらどうだい?井戸端なら日当たりもいいし、少しばかり広げてもらったって構やしないよ」
剣士郎「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
大家「なんせこの時期は、傘貼りにとっちゃ繁忙期だからねぇ。今日みたいな、たまの晴れ間の時くらい、少しでも量産しとかないと。いやあ、それにしても梅雨とは言え、毎日毎日よく降る雨だこと…ああ、それはいいとして、今訪ねてきたのは他じゃないんだ。剣士郎さん、あなたにちょっとね、折行って会ってもらいたい人間がいるんだ」剣士郎「はぁ、会ってもらいたい人間ですか…」
大家「うん。まあ、あたしの知り合いなんだけどもね、今ちょうどうちに来てるんだよ。どうかね、決して手間は取らせないからさ。少しの間だけ、顔貸してくれないかね」
剣士郎「左様ですか。相わかりました…(刀を取り)…では、さっそく参じましょう」



大家「というわけで剣士郎さん、改めて紹介するよ。こちらがね、あたしの知り合いで烏屋からすやさん。吉原で女衒ぜげんの主をやっている人だ」
烏屋「どうも、初めまして。小生は、烏屋黒兵衛と申します」
剣士郎「烏屋どの、初めまして。拙者は、滝剣士郎と申します」
大家「いや、実はね剣士郎さん。この烏屋さんが、あなたにしばらくの間、用心棒になってもらいたいと言うんだ」
剣士郎「用心棒?」
大家「うむ。それというのもね、当節、江戸市中で頻発している辻斬りがあまりにも物騒なものでね…あ、もちろん剣士郎さんもその件についちゃ、大なり小なり耳にしてるよね?」
剣士郎「ああ、例の雨の日にだけ起こるっていう…」
大家「そう、赤い蛇の目をさした何者かに、往来でもっていきなり首筋を斬りつけられるってやつだ。先月の頭ごろから急に始まって、このひと月だけで早くも犠牲者は三人だ。でね、これが誰かれ構わずってならまだしも、この三人の仏さんには、ある共通点があるから困った」
剣士郎「共通点?」
大家「そう。それがいずれも、この烏屋さんと同じく女衒屋ぜげんやの主だってことさ。…ねえ、烏屋さん?」
烏屋「そうなんだ。みんなあの赤い蛇の目に斬られちまってるのは、あたしと同業者なの。それもね、同じ吉原遊廓でもって長年苦楽を共にしてきた、いわば戦友ばかりなのよ。だから、気味悪くてさぁ…」
大家「つまりこの烏屋さん、次はあるいは自分が狙われるんじゃないかって、日々戦々恐々としてるわけだ。今日は、たまさか晴れだからよいものの、明日からはまたしばらく雨になるかもしれない。そう思うと、もう怖くて表を歩けないんだとさ」
烏屋「うむ…今だって情けないかな、往来で蛇の目傘を見かける度に、足がすくんじまうんだよ」
大家「これぞまさしく、『蛇に噛まれて朽ち縄に怖じる』ってやつだな。それで矢も盾もたまらずに、あたしの所へ相談に来たってわけだ。『これこれこういう訳で、誰か腕のいい用心棒を知らないか?』って言うから、『ああ、それならちょうど三月みつきほど前からうちの店子たなこになってる傘貼り浪人がいてね、ちょいと色白の器量よしで、一見歌舞伎の女形みたいなナリはしちゃいるけど、これがどっこい新陰流の使い手だって言うからさ、やっこさんにいっぺん頼んでみようか』ってんで、あなたにお願いしに来たわけだ。どうだい、剣士郎さん。受けてくれるかね?」
剣士郎「うーむ。決して、やぶさかではないんですが…。一つ訊いてもいいですか?」
大家「ああ、もちろん。なんだね?」
剣士郎「その赤い蛇の目とやらに、一体なぜ女衒ぜげんばかりが狙われるのでしょうか。仮にも幕府公認の稼業です。何か特別悪いことをしていたというわけでもないでしょうに」
大家「いや、そこなんだがね。これがその殺された三人ってのは、どうも裏で悪事を働いていたらしいんだよ」
剣士郎「悪事を?」
大家「うむ。要するに日頃からかどわかしのようなことをして、全国から違法に遊女を集めていたそうなんだ」
剣士郎「なるほど…それは確かに酷い。しかし、だからと言って、それはその三人だけに限った話でしょう。まさか烏屋どのも…?」
大家「それが、その『まさか』らしいんだよ。…ねえ、烏屋さん?」
烏屋「う、うん…いやぁ、田舎の山の方なんかじゃ、子供ひとりさらったところで、案外『神隠しにでもあったんだろう』ってんで、うやむやに出来ちゃうんだよなぁ」
大家「ほら、よく『七つまでは神のうち』って言うだろう?あんな感じでもって、別段それ以上は詮索されることもなく、うまいこと逃げおせられるらしいんだ。あたしも今日初めて聞かされて驚いたところさ。まさか、この烏屋さんが裏でそんな非道を働いていたなんて」
烏屋「い、いや、言い訳するわけじゃないけど、女衒ぜげんなんて何処もそんなもんさ。ここだけの話、みんな大なり小なり裏じゃ同じようなことをやってんだよ」
大家「まあ、よそはよそとして…烏屋さん、あんたそんな事じゃきっと畳の上では死ねないよ。悪いことは言わないからさ、もうそんな人でなしな事はおやめ。本当だったら、このままお上に突き出してもいいところだけど、あたしとあんたの仲だからさ、今回は特別に目をつぶっといてあげるから」
烏屋「ああ、済まない。今回の件で、あたしはもうほとほと懲りたよ。これからは、真っ当な女衒ぜげんとして働くことを誓うよ」
大家「剣士郎さん。この通りだからさ、用心棒の件、受けてやってくれないかい?」
烏屋「も、もちろん金ならいくらでも払うよ。あなたが望むだけ取ればいいさ。だから、ひとつ…この通り(頭を下げる)」
剣士郎「…委細、相わかりました。ではその依頼、拙者せっしゃがお引き受け致しましょう」
大家「本当かね、剣士郎さん。いやぁ、ありがとう。…ほら、烏屋さんもお礼言って。…じゃあ、さっそく明日からってことで、宜しく頼みますよ」

 ということで、翌日から再び雨模様となりましたので、剣士郎は日の出とともに吉原遊郭の烏屋へと出向き、主の外出時にはぴたりと張り付き、日暮れまでその身辺を警護いたしました。そうして、一日、二日、やがて三日が経ちました頃…。

大家「(戸を叩く音)剣士郎さーん、起きてるかい?あたしだよ、大家だよ」
剣士郎「(戸を開けて)ああ、大家どの。おはようございます。どうされましたか、こんな朝一から」
大家「いえね、剣士郎さん。聞いたかい、あなた」
剣士郎「何をですか?」
大家「その調子じゃ、まだ聞いてなさそうだね。いや実はね、あたしもさっき表の往来でもって顔馴染みの目明めあかしから聞いたばかりなんだけどさ、どうも夕べ、例の蛇の目の下手人げしゅにんが捕まったらしいんだ」
剣士郎「ええ!?」
大家「女だってさ。それも三十路くらいの年増らしいんだ。それで、どうやらこれも遊女らしいんだよ。きっと、あれじゃないかね。もう歳も歳だし、いよいよ吉原から追い出されて、かと言って行くあてもなく将来を悲観した女が、最期に自分を幼い頃にかどわかして運命を狂わせた女衒屋ぜげんやに、一矢報おうとしたんじゃなかろうか」
剣士郎「そうですか…で、狙われた女衒屋ぜげんやは、やはり首筋を斬られて…?」
大家「いや、赤い蛇の目がこちらへ向かってくるのに気付いた瞬間、一目散に反対方向へ逃げ出したそうだ。すると、ちょうどその先に自身番屋があったもんだから、そこへ転がるようにして飛び込んで、辛くも難を逃れたそうだ。他方、女はその場で番人たちに取り押さえられて、そのまま牢屋行きだとさ。きっと今頃は、拷問を受けながらの厳しい取り調べの真っ最中じゃないのかい」
剣士郎「はぁ、そうですか…」
大家「なんだい、随分とつまらなそうだねぇ…あ、そうか。剣士郎さんからすれば、せっかくの割のいい用心棒代が、おじゃんになっちまったんだもんね。まあ、そう落ち込まないで。また、何かいい話があったら、すぐにあなたのところへ持ってくるからさ」
剣士郎「はぁ、うーむ…」

 一方その頃、小伝馬町にあります牢屋敷では、同心らによって蛇の目の女に対する厳しい取り調べが行われておりました。

同心1「(十手を突きつけ)おい、女っ!いい加減に吐いたらどうだ!」
遊女「だから、何度も言ってるじゃないか。あたしは確かに今回、愛宕屋あたごやの主のことは殺そうとしたけど、先月死んだ三人の女衒ぜげんについちゃ何も知らないんだって」
同心1「とぼけるな、あまぁっ!雨の日に赤い蛇の目で現れて女衒ぜげんに斬りつけようとするなんざ、猫も杓子もやれるような芸当じゃねぇんだぞ!先月の件も今回の件も、お前以外に誰がやるんだ!」
遊女「知らないわよ。だから、あたしは何度も言ってる通り、模倣犯なんだよ。これだけ巷で噂になってる事件だもん、あたしだってその特徴くらいは耳にしてるさ。それをただ真似ただけ。本家本元は別にいるの」
同心1「ちっ、まだシラを切る気か、このあまぁ!女だと思って生ぬるくしてしてやってたが、てめぇ、よっぽど痛ぇ目に遭いてぇみてぇだな!よぉしっ!(平手打ち)」
遊女「痛ったい…何すんのさ、この外道!女に手をあげるなんて、あんたなんざ男の片隅にも置けない、最低の男色なんしょく野郎だよ!」
同心1「何だと、この阿婆擦あばずれぇっ!」
同心2「まあまあ、落ち着けって。そんな頭ごなしに怒鳴ったんじゃ、吐く物も吐けなくなっちまうだろう。…なあ、姐さんよ。じゃあ、こういうのはどうだい?俺とこいつと一回ずつ満足させてくれりゃあ、少しは罪を軽くしてやってもいいぜ。もともと身体を売る商売なんだから、そんなのは朝飯前だろ?よう、どうだい?」
遊女「まあ、呆れた…ふんっ、誰が不浄役人の薄汚れた竿なんか咥えるかい!馬鹿にするのも大概にしろってんだ!このゲスの極み乙女野郎!」
同心2「おいおい、姐さん…いくら何でも、その言い草はねぇんじゃないのかい。こっちは五十歩百歩譲って下手に下手に出てやってんだぜ。それを何?『不浄役人の薄汚れた竿』?『ゲスの極み乙女』だぁ?ふっふっふっ…(突然ブチ切れ)…貴様、何ぬかしとんじゃワレぐるぁぁぁっ!じゃあ、この汚ねえ竿で、てめぇの腐ったドブ池ん中おもいっきり掻き回してやろうかゴラぁっ!おう、こら股開け!薄汚れた竿突っ込んでやるからよ!股開けってんだよ、ゴルぁっ!」
同心3「(乱入してきて)おい、事件だ!また蛇の目が現れたぞ!いつもと同じ手口で、今度は吉原の女衒ぜげん・烏屋黒兵衛が殺された。現場はすぐそこの浅草茅町かやちょうだ。下手人げしゅにんはまだ近辺をうろついている可能性がある。確保するには少しでも手が多い方がいい。調べは後回しにして、大至急出動してくれ!」
同心2「何だとぉ?蛇の目が現れたぁ?…じゃあ、このあまは何なんだい」
遊女「見ろ!だから、さっきからあたしは模倣犯だって言ってるじゃないか!あんたらが小汚い竿をおっ立てる間に真犯人が現れて、また一人犠牲者が増えたんだよ!あんたら、それでも天下のお役人かい!?人に冤罪えんざい濡れ衣を着せてる暇があったら、ちったぁ履物の底ぉ擦り減らして、まともに仕事したらどうなんだい!」
同心2「ちっ、何をこのスベタぁっ!」
同心1「いいから行くぞ。今は蛇の目を捕まえることが優先だ。ほら、早くしろっ…(走りながら)…そうかぁ。じゃあ、やっぱりあの女はシロだったのかぁ。するってぇと、蛇の目ってのは一体どいつなんだよぉ」
同心2「(走りながら)おい、まだ蛇の目はこの辺りにいるかもしれねぇってからよ。絶対見逃すんじゃねぇぞ…お、そろそろ浅草茅町かやちょうだぞ。おお、あそこに人だかりが出来てら。おそらく、あれが現場だな…(野次馬をかき分け)…御用御用御用、北町奉行所だ。わりぃな、邪魔するよ…(遺体を見て)…あちゃあ、今度も見事に首筋をやられちまってるよ」
同心1「ああ、これまでの三人とまったく同じ手口だな」
同心2「でも、なんで毎回、首筋なんだろうな」
同心1「うーむ…おそらく、それが一番最小限の力で、相手のたまを取ることが出来るからだろう」
同心2「だとすると、下手人げしゅにんは意外に非力ということも考えられるな」
同心1「ああ。即ちやはり、女であるという可能性は非常に高いな」
同心2「ちげぇねぇ。蛇の目傘ってのも、多くは女が使うもんだしな」
同心1「(野次馬に)おい、この中に誰か目撃者はいないのか!?どんなささいな情報でもいい。知ってることがあったら教えてくれ!…おい、目明めあかしの金吾。お前、何かネタ持ってないのか?」
目明し「旦那。実は事件直後にここを通りかかった婆さんの話によりやすと、逃げた下手人げしゅにんらしき人物の顔をちらっと見たらしいですぜ」
同心1「なに?何故それを早く言わない。で、その人物は男だったのか?それとも女だったのか?」
目明し「それが、どうにも区別がつかねぇってんでさ。と言うのも、頬被ほっかむりをしてたらしく、見えたのはわずかに目と鼻だけだったって話で」
同心1「うーむ。それじゃ、確かに見分けがつかんなぁ…」
同心2「あっ、だけどよぉ、頭巾を被ってるってことは、もしかすると夜鷹の可能性もあるぜ」
同心1「なるほど。一連の被害者が全員女衒ぜげんの主だったってことを考えると、何らかの形で過去に因縁があり、それを逆恨みしての犯行という線は充分にあり得るな。よし、これでだいぶ着地点が見えてきたぞ。取り急ぎ、夜鷹を中心に江戸中の遊女を徹底的に洗い出すぞ」

 一方その頃、長屋では…。

大家「(戸を叩く音)剣士郎さーん、いるかい!あたしだよ、大家だよ!いたら開けとくれーっ!どうにも、大変なことが起きちまったんだよ!」
剣士郎「(戸を開けて)あ、大家どの。いったい、どうされましたか?」
大家「いえね、剣士郎さん。聞いて驚かないでおくれよ。ついさっき烏屋さんがね、烏屋さんが…」
剣士郎「烏屋さんが?」
大家「られちまったんだよ」
剣士郎「ええ!?なんで、また…」
大家「まだいたんだよ、蛇の目が。夕べ捕まった女ってのは模倣犯で、本家は未だ舌をちらつかせながら、物陰から次の獲物を狙ってたってわけだ」
剣士郎「まさか…では、拙者せっしゃがあのまま引き続き、烏屋どのを護衛していれば…」
大家「うむ。今にして思えば、もう少し様子を見るべきだった。いささか、時期尚早だったことは否めん」
剣士郎「なんという不覚…」
大家「剣士郎さん、今さら後悔したところで詮無いこと。すべてはタラレバ。誰のせいでもないさ」
剣士郎「左様でしたか…では、烏屋どのの所には、拙者せっしゃ、後ほど改めて手を合わせに参じます」
大家「ああ、そうしてやっておくれ。あたしも、これから香典を持って行くつもりだ。…それにしても、下手人げしゅにんってのは一体誰なんだろうねぇ。こうしているうちにも、また蛇の目は何処ぞから次の獲物をジーッと見張ってるかもしれないなぁ」
剣士郎「いいえ、大家どの。それは少し違いますね。蛇の目は見張ってるんじゃなくて、蛇の目を貼ってる********んでしょう」
大家「(怪訝そうに)…えぇ?」

 こうして、一介の傘貼り浪人である剣士郎は、かつて六つの時に”神隠し”というていで生き別れになってしまった一人娘の無念を晴らすため、今日も頬被ほっかむりに鋭刃えいじんを仕込んだ赤い蛇の目のいでたちで、世にのさばる悪を成敗すべく、降り止まぬ雨の中へと消えてゆくのでした。

 『蛇の目』という一席でございます。








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