なぜ、教師は「子どもの言葉」を尊重した方がよいのか?

よく教室で見受けられる場面。

「君の言いたいことは、こういうことでしょ。(子どもの発言を遮って)」

「まとめるとこういうことだよね。(短くまとめて板書)」

教師が「勝手に」その子の言葉を、一般的な言葉や、上品な表現に置き換えてしまうことがよくよくあります。


「その子の言いたいことが的を得ないし、時間の関係で・・・」

「板書はシンプルに、分かりやすく、要点をしぼって・・・」

確かに、そう言いたくなるのも分かるのですが、この場面における教師の行動には、決定的に欠けている教育的要素があります。

それは、「その子の個性的な経験が他者とつながるという経験」をおそろかにしてしまっているということです。


子どもの活動が、最短距離を最短時間で進むように整えたくなる教師の思いは分かりますが、特に学校教育において大切にされるべきは、問題解決の時間や失敗する時間も含めて、じっくりとその子の努力工夫が展開されることであり、その中に、他者とつながって学びを築くという経験が極めて大切です。

「それぞれの子どもの表現には、その子ども独自の個性的な感動が表現されている。」、「豊かで互恵的なつながりの感覚の形成が、充実した学びを継続的に発展させていく核となる。」と師の藤井千春先生は言います。(社会科の初志をつらぬく会『考える子ども406号』2021年、42頁。)


子どもの言葉による表現の根底には、その子どもの個性的な経験から得られた感覚や感動があり、それらが他者とつながることで、その経験がより豊かな価値を持っていくのです。そして、他者にとってもつながった経験が個性的な枠組みとして新たな経験を生む可能性を持ちます。

教師は子どもの言葉を尊重、すなわち、「その子の個性的な経験を励まし、その世界に一緒に入り込み、その経験の豊かさをともに味わうこと」が大切なのです。





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