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映画館で逢いましょう

こんにちは、のもちゃんです。
ご覧いただきありがとうございます。

2022年12月から天狼院書店のライディング・ゼミを受講中です。
第6回の課題に書いた文章が天狼院書店のサイトに投稿されたので、
ご覧いただけると嬉しいです。


2000年に夫と知り合った。
いずれ夫になる彼が『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を観たいとのことで、二人で映画館に行った。
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を観終わった私の感想は、「何とも言えない暗い話」で、「付き合って間もない二人が初めて観る映画ではない」と思った。
こういう映画を選んだ彼のセンス、というか何も考えていないマイペースさが彼らしかったし、私たちの結婚生活を暗示していたと後々振り返って思った。
『千と千尋の神隠し』をテレビで観たときは、「面白さがわからない」と言っていて、「この人とは映画の趣味が合わない!」とそれ以来、一緒に映画を観るのを諦めた。
結婚して一緒に長くいるうちに合わないのは映画だけではなく、もっと根本的なことから私たちは合っていなかったと後悔した。

結婚当初、夫は穏やかな性格で仕事もきちんとする人だったので、一緒に暮らすことに何の心配もなかった。
数年後子どもが生まれ、夫は不器用ながらも休日は子どもと遊んだりして、育児を一緒にやってくれた。 子どもをとても可愛がってくれた。
ただ、夫はアルコールが好きで飲み会などの集まりがあると、二次会三次会ととにかく最後まで残り、泥酔状態になるまで飲み続けた。
その当時はタクシー代を節約するために、飲み会がある度に深夜の繁華街まで何度も車で迎えに行っていた。

夫が育った家庭環境は戦前生まれの両親と祖父母が同居していて、毎晩大人たちは飲むのが当然という中で育った。
なので、大人になったら飲むようになるのは自然なことだったろう。
それに対して、私の両親はアルコールを普段飲むことがなかったので、私も毎日飲む生活が当たり前という意識もなく、また特に好きというわけでもなかった。
なので、夫の大酒には理解できず辟易していた。

アルコール中毒とまではいかないにしても水と同じ感覚なのか、体調がすぐれず熱がある時にでもビールを飲んだりするのには驚いた。
体の声を無視して飲むようなことを続けていればいつか身体は壊れる。

数年後に、潰瘍性大腸炎を発症させた。 難病指定で完治が難しいと言われる病気だった。
通院しながら治療を続けていたが、それでもアルコールを控えようとはしなかった。
夫の母に「病気があるからアルコールは良くないですよね」と話したところ、「普段飲まないで急に飲むほうが急性アルコール中毒になって体に悪い」と言われ、驚きのあまり言葉が出なかった。

家では私が買わないのでほとんど飲まないが、外や実家などの飲み会があれば構わず飲んでいた。
いつかこの人は重篤な病気になるか、早く認知症などの介護の必要な状態になる……そう考え、気持ちが沈んだ。
正直、もう一緒に暮らしたくないと思っていた。

そして3年前の正月も実家や親戚との集まりで飲み続けていた。
そして正月明けに夫は倒れ、救急車で搬送された。
脳出血だった。

夫の入院先に面会に来た義母は 「大変だ、可哀そうに」 と言った。
私は淡々と今の症状とこれからの治療方針などわかる範囲で説明した。
「大変なのは夫ではなく私です。 夫はベッドに寝て自分のことだけしかしなくていいんです」 入院中、この言葉を何度飲み込んだか。

夫は半年間のリハビリ入院を終え自宅療養のあと、半身麻痺の症状が残った身体で元の職場に復帰した。
職場復帰したあとの休日は、長時間の外出は疲れるらしく、家族で出かけても以前のように気軽にどこにでも行くことはなくなった。
行ける外出先は主にレストランなどで、家族で出かけるのは外食だけになっていた。

昨年の夏に『トップガン・マーヴェリック』が観たいという話になり、久しぶりに二人で映画館に出かけた。
趣味の合わない二人が……と思ったが、夫の負担にならない外出先は映画館くらいしかなかった。

36年ぶりに公開された『トップガン』は大スクリーンで観るべき素晴らしい映画だった。
私も夫もスクリーンに見入っていた。
二人で久しぶりに並んでスクリーンを見つめながら、ふと自問した。
(36年前の中学生の私が、今の私の状況を知ったらなんと思うだろう?)
心に湧いてきた答えは意外にも肯定的なものだった。

中学生の頃の私は友人はいたけれど、家族には心を閉ざしていた。
幼少の頃から親に不信感を持ち続けており、中学生の頃も母は私が努力していい成績をとると、さも自分がやったかのように周りに吹聴してまわった。
それ以来、親を喜ばせるための勉強は一切しないと決めた。 それは私なりの自分を守る方法だった。
未来に希望を描けなかった。
大人になっても心にひずみを抱えたまま、孤独で無気力な自分の姿が見える気がした。

でも、36年後の私は二人の子どもの母親になって。ベストではないけれど毎日忙しく自分の人生を過ごしていた。
病気の夫と暮らし疲労感が常に溜まっていたけど無気力ではなかった。

13歳の私が今の私を知ったら、「面白い人生を過ごしている。 苦境に立たされてもよくがんばっている!」と思ったに違いない。
子どもの頃と違って今の私は、模索しながらも前を向いて行動していた。
夫が病気になった危機感から、資格試験の勉強をしたりいろんな知識を積極的に学ぼうとしていた。

穏やかで誠実な夫はいつしか節操のない厄介な人になっていたけれど、夫と結婚しなければあのまま心を閉ざしてまま過ごしていたかもしれない。
夫だって癖のある私の性格に、うんざりすることは多かったはずだ。

半身麻痺の障害を負った夫と並んでスクリーンを見つめながら、それぞれに積み重ねてきたものを思った。
36年後、私は85歳になっている。
9つ年上の夫は、もうその頃は隣にいないかもしれない。
もし85歳になった私が映画館に来ることができたら、どんな映画を観るのだろう。
スクリーンを前にして、夫と過ごした日々のことをどう思い返しているだろう。
「85歳になってこれまでいろいろあったけど、幸せな人生を過ごしたきた」
そう振り返ることができるようにと願い、49歳の私は未来に希望を抱き、夫と子どもたちと暮らしている。


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