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斎王からの伝言[創作] 1

1 漫画家 コウ
 
 私にとって人生の転機は34才、2011年の東日本大震災だ。福島では原子力発電所が崩壊し放射能が飛び散った。全ての日常が揺らいでしまった時、自分は何か重要な事を見落としているのかもしれない、その何かを知らないまま死んで逝きたくないと強烈に思えた。

 20代はフリーターをしながら漫画を描いていた。雑誌に投稿したり持ち込みをしたが全く相手にはされなかった。自分から沸き上がる怒りや失望を物語として昇華することが出来ず、絵の技術も何もかもが稚拙で取るに足らないものだった。

 持ち込みをした出版社の編集者には「人に自分のゲロを見せている。どの絵にも光る部分がない。次をめくるのも辛い。三回脱皮しないと無理だ」と吐き捨てられた。

 本意が、この社会を構成している人々に私のゲロを見せつけてやりたいのだから編集者の意見は的を射ている。このスタイルを変えたら漫画を描く原動力が無くなってしまい、ということは自分にとってもう漫画を描く必要が無くなるのだ。

 私の考え方は社会不適合だ。恨み妬む現代社会に迎合した時点で自分が無くなると思っていた。

 ネットで調べて境界性人格障害かもしれないと勝手に考えていた。この自分の偏った思考の癖をリアルに漫画で描けないものかと、あてどなく主人公となりうる人を現実で探した。自分を導いてくれる救世主、特殊能力者、仙人、魔女的な存在で尚且つ人間でなければならない。
 
 アルバイト先で知り合う人達は、過酷な環境に身を置いている人ほど魅力的に感じた。和食の居酒屋で働いていた時に、落語や将棋、囲碁、能楽が趣味という渋い女性と知り合った。バツイチで親姉弟、子供もいない天涯孤独な一人暮らしの40代だった。

 職場で周りから浮いていた者同士すぐ仲良くなれた。プライベートでも会うようになり、能楽がいかに素晴らしいか、いかに人生の慰めになるかを教えてくれた。

「能のお陰で全てを諦められて、そしてやっと自分を生きる事が出来たの。死も能を観て学んでいるから不安はないのよ。」

私は「能ってそんなに特別なのですか?なんか宗教みたいですね。見てると思考が停止しますけど。」と返した。

「私も実は全く興味が無かったの。NHKのニュースを見ていた流れで偶然。道成寺っていう作品で、お坊さんに恋をした女性が蛇に身を変え相手の男性を殺してしまうという伝説の後日のお話なの。離婚した直後だったからか、強く印象に残っちゃって興味を持って、調べだしたら止まらなくなったのよね。分かった事は謡を勉強しないと全く理解できないって事かな。能はね、観る人を選ぶの。」

観る人を選ぶ?私のセンサーが反応しだした。

 私は程なくして居酒屋を辞めた。店の親方とぶつかったからだ。
実家の自分の部屋に引きこもり、親の精神も貯蓄も食い潰した。ただ生きているだけで毎月7万円が無くなるなんてどうかしている。健康保険と国民年金、積み立て保険に携帯代。毎月のローンに住民税。

 将来を見越してせっせとお金を積み立てさせられ、働かなければマイナスになる一方。産まれ落ちた時から提供される沢山の資源を消費して、その分はきっちりと働いて返さなければならない。これが人間社会のルールだ。

 住む場所を借り、電気、ガス、水道、食材、サービス、あらゆることにお金が掛かる。もしこのルールが心底嫌なら、アマゾンの奥地に行けば解放されるが、そう長くは生きられない。一度文明に飼われたら、野生に戻ることは難しいのだ。しばらく親元でギリギリ生かさせて貰い突然横浜へ出て行った。

 横浜での生活は、惨めだった。メールで知り合った男性の家に転がり込み、仕事を探してコールセンターでアルバイトを始めた。相手の男性は好みでは無かったが部屋に住まわせて貰う代わりに体を提供した。最初の頃は物珍しさから何度も求められたが、半年ほど経つとお互いに愛情が湧かないと分かり態度が冷えていった。

「お前、俺の事好きじゃないだろ」

おもむろに言われたので誤魔化さず「うん。でも君もでしょ?」と返した。

「利用しただけか。今までの家賃払えよ。」

体で払っただろうがと言いかけて止めた。「いくら?」

「光熱費とか電気代含めて月5万だな。半年で30万だ。」

「そんなお金ないけど」あったらここには居ませんから。

「じゃあもっと働けばいいだろ。女だから働き方は色々あるしな。」

「水商売は出来ないよ。私がコミ障なのは知ってるでしょ。」二人の間で会話を楽しむ事など一度として無かった。

「体を売れよ。それくらい出来るだろうが。」

「普通のサラリーマンだと思っていたけど、考え方チンピラだわ。」こいつはゲロ作品の出演決定だ。

 メールでやり取りをしていた時は、自立していて知的な感じに好感が持てた。実際会ってみたらイメージとのギャップで違和感をおぼえ、自分がそうなのだから彼も同じだったろう。はじめからお互いが現実の相手を知ろうともしなかったから、好きとか嫌いとか感じる以前の問題だった。
 
 すぐにアルバイト先には辞める事を伝え、全く惜しまれる事なく手続きを行った。つくづく労働能力が低くどこに行っても期待に応えられない自分は要らない人間だと思えた。年齢は30才になっていた。

 実家にも帰れないし、これからどうしたものかとミスドに入って思案した。漫画を描きたい。この怒りを思いっきりぶつけたい。住み込みで漫画家さんのアシスタントになれないかと考えながらボロクソに言われた編集者の名刺を眺め電話を掛けた。

「えっアシスタント?東京に出てこられるの?」

「今、横浜に居るんです。それで出来ればアシスタント先に住み込みで働けないかと思って…。」

「コウさん、ハッキリ言ってまず君の画力ではアシスタントは到底無理だ。それに住み込みで働ける所なんて無いから。アシスタントをしたかったならもっと早い段階で決断するべきだったね。悪いけど紹介はできない。」

「そうですか、分かりました。ありがとうございました。」やはりダメか。
 彼の家に帰るのが嫌で仕方がない。荷物をまとめ始めたら急に優しくなり、体に触ってきたのだ。ゾッとして断固として逃げ回った。背に腹は代えられない、また実家仙台に戻ることにした。
  

 
  


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