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斎王からの伝言[創作] 3

3 栄養士 エマ

 朝から呻き声が聞こえてくる。認知症の人たちが叫び声をあげるのだ。食事の介助など身の周りの世話をする雇われた人達がいるが、通いだったし大抵掛け持ちで、患者2人位を担当する。

 集中治療室以外は、個室などなく皆が寝たきりの状態だ。お見舞いに来る人はいない閉鎖病棟の有り様だった。
 
 短大を卒業すると同時に学校から紹介された所に何も考えず下調べもせず就職した。何よりギリギリの単位取得だった私は、卒業すれば自動的に貰える栄養士の資格がとてもではないが荷が重すぎた。
 
 毎日が不安で仕方がなかった。患者が亡くなると、もしかしたら塩分濃度を間違えた流動食を出してしまったのではないかと考えて無駄に怯えた。

 いつもビクビクして、ミスも多く先輩栄養士に毎日怒鳴られていた。栄養士2人に、調理員が4人。調理員全員私よりずっと年上で、そしてそれぞれが反目しあっていた。

 皆が敵に思えた私の心は到底耐え切れず、思考も働かずボロボロになっていった。鬱状態だったと思う。仕事が遅くなった帰り道、夜空を見て「上を向いて歩こう」を歌いながら泣いた。

 献立作成も出来ず、春雨の発注量を大量に間違えたりした。料理作りから、材料の目安も分かっていない自分には、この仕事は無理だと感じ、それが分かった先輩からは「あなたこの仕事向いてないわ」と最終通告を突きつけられた。最初の就職は早くも幕を閉じた。

 学校を卒業してから料理教室に通っていたが、自然と自分は洗い物担当だった。その方が楽だったからだ。

 西洋、中華、日本料理で一番苦手だったのが和食。とにかく一品一品の作業が細かい。中華は豪快で比較的楽な気がした。西洋は馴染みがあり、食べるのが好きだった。

 栄養士の仕事は食事の献立作成だが、塩分、たんぱく質、脂質、カロリーなどを決められた枠内に納める為に調味料から食品成分表を使って全て計算する。患者によっては数値が変動するし、数量が先に決まるので、味は薄くなる。飲み込み易いように刻まれ、火傷しないよう汁物の温度も注意される。

 後は流動食を作ったり、調理場の衛生管理と水質のチェック。在庫管理に食材の発注と仕入れの確認。そして何より周りとのコミュニケーション能力が必要だった。
 
 病院の患者は、毎日食事を採る。することはそれだけだ。ベッドの上で薬と一緒に食べさせられて、眠る。少しずつ命が尽き果てるまで。

 自分がそうなったら何を思い過ごすのだろうか?諦めと苦しみの中で、時間が過ぎるのをただじっと待つのだろうか?100歳を生きた祖母は、話せた時に「ま~だ死なない。」「だ~れ~も来ない。」と言っていた。田舎の広く快適で清潔な老人ホームで晩年を過ごし、すごく恵まれていると思えたのにだ。

 私は焦りだした。死ぬまで、死後の後片付けも何と労力が掛かることか。産まれてから絶えず周りのエネルギーを必要とし、消費する。一番最悪だと感じたのは、私の中から大量に湧き出る嫌悪感だった。

 私の現実逃避は、漫画を読むことだ。漫画を読んでいる時は、人に対する嫌悪感を一時だけ忘れる事が出来る。ネット上での交流も束縛がなく快適に思えた。

 男性とメールでやり取りをして、複数と直接会ってはみたが、やはり嫌悪感しか抱けなかった。結婚をしていく周りの人達が羨ましくも、自分には無理なのだとハッキリ分かった。

 「人間嫌い」これは、漫画の中に出てくるキャラだけのものかと思っていたが、自分がそうだと実感すると少し楽になった。周りから愛される必要はない。ただ、「人間嫌い」だと生活の維持が難しくなる。自殺は本能のブレーキがあるからするつもりはないが、問題は死までの過程だ。
 
 まず、理想的な死というものを思い描いてみると、手塚治虫先生のブッダが頭に浮かんだ。仏教について調べると、テーラワーダ仏教(上座仏教・原始仏教または小乗仏教)というのがあることを知った。

 次にヨガ教室に通ってみた。また菜食、マクロビオテックで、お釈迦様のような穏やかで自然な死が迎えられるような気がした。しかし、現実は本当に厳しい。オーガニック食材は、セレブが利用するものだと言わんばかりに日本ではやけに高い。大量調理で有機野菜を使用することなどまず無理な話だろう。実際、日本で有機栽培の畑の割合は約0.2%だ。韓国は1.0%もある。ますます「人間嫌い」いや、「日本人嫌い」に拍車がかかった。
 
 最初の職場を辞めてからは、飲食店や福祉施設の調理場、食品関連の工場で働いた。死ぬまでには、生活維持のためにお金が必要だったし、穏やかに死ぬためには食が絶対的な条件だと考え、社会的な食に関わる事を選んだ。

 そして、36才の時に2011年の東日本大震災、福島原子力発電所の放射能拡散で、日本は終わったと思った。終わったと思った途端、自分がどうやって死んでいくかということばかりだったのが、不思議にも日本の後片付けをしていかなければならないという考えが浮かんだ。何故か分からないがそう感じた。

 私には現実の友人はいないが、facebookで知り合ったネット上で交流している友達が二人、奇跡的に存在している。彼女達との交流は、浮き世離れしていて、少し漫画の世界のようで楽しい。二人とも仏教や神道に関心があり、能楽という世界を教えてくれた。
 
 三人でSkypeをしていた時、三重県に居たコウさんが「斎王」という存在を調べていると話した。660年間も続いたという祈りの姫巫女は、私が思う「後片付け」の鍵になるのではと思えて仕方がなかった。

その考えを上手く二人に伝えられずにいると、ミキさんが興奮気味に、
「これ、翁申楽みたいな究極の浄化組織じゃないかな。しかも仏教からの影響が少ない日本独自のものだよ。」とドンピシャな発言をしてくれたのだ。

思わず「私もそう思う!!これ、今日本に必要な組織なんだよ。」と叫んでしまった。

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