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【映画感想文】左様なら今晩は

知らない方が良いこともある。

2022/11/11(金)、乃木坂46の久保史緒里さんが出演する映画「左様なら今晩は」が公開されました。

久保史緒里さんがこの作品に出演することは2022年7月に情報解禁されていました。乃木坂46が大好きな僕は彼女が出演する映画と聞いた時からそれが公開されるのをずっと楽しみにしており、さっそく鑑賞してきました。

今回は映画「左様なら今晩は」の感想をアウトプットします。

なお、この感想文はネタバレを大いに含みます。これから鑑賞を予定されている方はこれ以降を読まないことをおすすめします。



















あらすじ

伝わりやすい感想文を書くためにも、全体のあらすじを簡単に書いておきます。

萩原利久さん演じる陽平は恋人と同棲していましたが反りが合わず、破局してしまいます。別れ際、元恋人から御札を部屋に置いておくよう渡されますが、陽平はそれを何の気なしに断ります。

そして元恋人は陽平が別れ際に放った何気ない言葉が気に障り、ついに怒りの本音を口にして去っていきました。

陽平が一人で晩酌していたところ、テレビが突然起動したり、冷蔵庫の扉が勝手に開いたり、不可解な現象が起こり始めます。暗闇の中振り向くと、そこには久保史緒里さんが演じる幽霊が立っていました。

どうやら彼女は、陽平と元恋人との同棲生活をずっと見ていたようです。しかし、元恋人の存在によって陽平の前に姿を現すことが出来なかったそうです。もしかしたら元恋人が部屋に設置していた御札の効果もあったのかもしれません。

幽霊とは普通の人間と同じように会話が成立するため、意思疎通が可能です。どうやら陽平に特段の危害を加えるつもりはないようです。とはいえ、女性の幽霊は元恋人の気持ちに共感し、元恋人に対する陽平の態度を批判しビンタを一発お見舞いします。

それによって陽平は気を失ってしまいます。翌日、目を覚ますと幽霊の姿がありません。しかし、仕事から帰宅するとやはり幽霊は部屋にいます。

どうやら彼女はこの部屋で死んだらしく、この部屋の地縛霊らしいです。地縛霊とはその場所に囚われた霊のことであり、幽霊はこの部屋から出ることが出来ません。

二人は共同生活を余儀なくされます。とはいえ、二人の決定的な違いは生きているか死んでいるかという点だけであり、その他は普通の男女が同棲している状況と変わりません。

二人は少しずつ距離を近づけていきます。陽平は幽霊に「愛助」という愛称を付けました。それに対して愛助は陽平のことを「ようさん」と呼ぶことにしました。

こうして二人の不思議な共同生活は進んでいきます。陽平は愛助のことを知ろうとし、なぜ愛助は死んでしまったのかという謎を追い求めるようになっていきます。

共同生活が進むに連れて、愛助はなんとか部屋から出られるようになります。陽平の馴染みの店や愛助の思い出の場所へ足を運び、素敵な思い出が出来ました。

そして陽平が目を覚ますと、愛助は部屋から消えてしまっていました。


感想

この作品を観終わった時、僕はこれまで経験したことのない納得感を抱いていました。どういうことなのか、詳しく述べていきましょう。

あらすじの通り、陽平と愛助の共同生活が主軸です。この時点ですでに僕にとっては特異な作品でした。

僕がこれまで観てきた映画は、たいていがアニメ、アクション、SF、ホラーに分類できます。誰かの生活を主軸に描いている作品が該当するジャンルはありませんね。

もちろん、僕がこれまで観てきた映画にも誰かの生活を描写している作品はたくさんありました。しかし、それはあくまで本筋のストーリーに入るための序章に過ぎないものが多く、やはり生活そのものを主軸にしている作品は少なかったように思います。

この作品は本当にただ単純に日常的な共同生活を映画化したようなもので、アクションもなければ大どんでん返しもありません。これまでの僕の鑑賞経験とはかけ離れた内容でした。

それ故に僕にとってこの作品はとても新鮮でした。鑑賞中、僕は「そっか、こういう作品もあるんだ!」という、新しい発見をしたような納得感がありました。なおかつ、自分が観てきた映画のジャンルが如何に少ないかを痛感していました。

そして、陽平と愛助の共同生活の描写は、これまで僕が観てきた作品のテンポの良さとは打って変わって、一秒一秒を噛みしめるような実にゆったりとした時間が流れていました。誰かの帰宅後の姿や休日の過ごし方等、生活そのものを描くとはこういうことなのだと思います。

そして幽霊とはいえ、外出を見送ってくれたり、「おかえり」を言ってくれたりする人がいることの有り難みや温もりが象徴的に描かれていました。ずっと観ていたいと思わされるほど、陽平と愛助の共同生活は和やかな雰囲気で満たされており、観ていてとてもほっこりしました。

さて、あらすじにあるように、共同生活とは別に陽平は愛助のことを知ろうとします。情報をもっているであろう不動産屋に問い詰めますが、なかなか口を開こうとしません。

その間に愛助は姿を消してしまいます。陽平は愛助について教えてほしいと不動産屋に嘆願し、陽平はようやく愛助の情報を得ます。

しかし、この作品で愛助の情報を得るのは陽平だけです。観客には愛助の情報は開示されないのです。

作品の構成上、観客は自ずと陽平と同じ立場になって愛助の情報を追い求めるようになります。しかし、なぜ愛助は死んでしまったのか、彼女の過去に何があったのか、作中では描かれていないので観客はその答えが分からないままです。

このような構成であれば、人によっては肝心な描写が不足しているという評価をすると思います。僕もエンドロールが始まった瞬間はそう思いました。しかし、エンドロールが終わる頃にはそれが野暮に思えたのです。

というのも、愛助の情報を観客に開示しなかったのは意図的な構成なのだと推測できるからです。

繰り返す通り、この作品は陽平と愛助の共同生活を主軸に描いているのです。もはやそれだけを描いていると言っても過言ではないほどです。もし愛助が抱える謎の正体を描くと、むしろそれが物語の主軸になってしまうでしょう。

そうなれば「愛助の秘密が明らかになった時、感動の結末が待っている」なんて聞き飽きたような謳い文句が聞こえてきそうですね。これでは、この作品が描いている陽平と愛助の共同生活という描写が色褪せてしまうと思います。

そして愛助が幽霊ですでに死んで姿を消してしまった以上、陽平と観客が愛助のことを知ったところでどうにもなりません。

愛助の情報を観客に開示しなかったのは、陽平と愛助の共同生活を主軸に置き続け、知らない方が良いことや知らなくても良いことはそのままにしておくという意図があったのではないでしょうか。

この作品の主題は愛助が抱える謎の正体を追い求めることではなく、陽平と愛助の共同生活です。この位置関係を反転させるわけにはいきません。

その対策を実施すると同時に、しっかりと味わっておかないといつの間にか消え去ってしまう日常という幸せを主軸に描く以上、このような構成になるのはもはや当然のことのように思えます。

エンドロール中にこのような考察をしており、エンドロールが終わるころには、愛助のことは知らないままで良いのだという納得感を得ていました。

この作品において肝心なのは愛助の謎の正体ではなく、陽平と愛助の共同生活なのですから。


まとめ

この作品は漫画が原作らしいのですが、僕はそれを読んでいません。

原作ではもしかしたら愛助の情報が読み手に開示されているかもしれません。しかし、たとえそうだとしても、やはり僕は愛助の謎の正体は分からないままにしておくのが良いと思います。

上述したように、そうでなければ陽平と愛助の共同生活が色褪せてしまいます。それはこの作品にとって不幸だと思います。

さて、考えてみると幽霊との共同生活という構成は、日常を主題にすることと非常に相性が良いと思います。

日常とは、意識的に味わなければすぐに過ぎ去ってしまうものです。幽霊という存在はその象徴になり得ます。

幽霊であればいつ消えてしまってもおかしくない、この場所にいたという形跡も全く残らない、唯一残るのは思い出だけという描写にうってつけではないでしょうか。あの幸せな日々は夢か幻だったのではないかという切なさを描くには、生きている人間では物足りないでしょう。

我々が何気なく生きている普段通りの日常は、実はとてもかけがえのないものである。

この作品を通して、そんなありきたりだけど忘れがちな事実を再認識させられたように思います。

繰り返す通り、この作品にはアクションもなければ大どんでん返しもありません。つい目を向けがちな秘密の正体も分かりません。このような作品、以前の僕であれば不満を抱くばかりだったと思います。

しかし、なぜこのような構成にしたのかということを考えることで、温かみのある満足感を得ています。この作品に常に漂うゆったりとした雰囲気はとても心地よかった。

監督の高橋名月さん、脚本家の穐山茉由さん、原作者の山本中学さんの意図を少しでも正しく汲み取れていたら嬉しく思います。

以上、映画「左様なら今晩は」の感想文でした!!

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