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【舞台感想文】 ドクター皆川 ~手術成功5秒前~

もしもあの時。

2023/10/28(金)、東京都下北沢にある本多劇場で上演された「ドクター皆川 〜手術成功5秒前〜」を観劇してきました。

今回のnoteでは、その感想文をアウトプットします。

ちなみに、この作品の公演期間は2023/10/12(木)~2023/10/29(日)でした。僕が観劇した日は最終公演日の前日であり、翌日には全公演が終了する予定でした。

詳細は後述しますが、観劇後、僕はこの日のチケットを選定したことを後悔したのです。

最も都合の良い公演日を絞り込んでいったらこの日になったというだけの話なのですが、少し無理をしてでも公演期間前半のチケットを選定できなかったのかしら。

そして、この記事にアウトプットする感想をもっと早期に得ていたら、2回目以降の観劇をより楽しむ方法を見出し、別日に再度観劇していたかもしれません。

いやはや、悔しくてならない…。この感想文を通してその思いを詳細に語っていこうと思います。

なお、この感想文はネタバレを大いに含みます。

この作品を運営している大人計画のホームページやグッズ販売ページを参照すると、過去作品のDVD・Blu-rayが発売された形跡はありません。

そのため公演期間終了後にこの作品を観る方は少なく、ネタバレが成立しないかもしれません。しかし、WOWOWが今冬に配信することを発表しているので、それで初めて観劇する方はこれ以降を読まないことをおすすめします。



















前提

感想文を述べる前に、僕がこの舞台を観る上でどのような状況だったのかを記しておきます。

まず、僕がこの作品を知ったのは乃木坂46の告知でした。

僕は乃木坂46が大好きであり、乃木坂46やそのメンバーの情報は自然と耳に入ってきます。ある日、何気なく当時のTwitterを眺めていたら、乃木坂46の4期生である金川紗耶さんが舞台に出演することが決まったという告知が流れてきました。

僕にとってこの情報はかなり意外であり、告知を目にした瞬間に驚いたことを覚えています。

金川紗耶さんはこの舞台に関する取材で、自身が演技とは無縁なのかなと思っていたとを語っています。無縁とまでは言いませんが、僕も金川紗耶さんが女優として舞台でお芝居をする姿を簡単には想像できませんでした。

乃木坂46には、各メンバーを舞台や芝居の分野へ積極的に進出させる傾向があります。そのため乃木坂46に所属していれば、舞台や芝居に挑戦する機会を得やすく、金川紗耶さんも例外ではありません。

それでも、これまでに金川紗耶さんが舞台でお芝居をする機会はほとんどなかったのです。

金川紗耶さんを含む乃木坂46の4期生はデビューから間もなく、当時の乃木坂46の伝統行事である舞台「3人のプリンシパル」に出演しています。その裏側の様子が24thシングル「夜明けまで強がらなくてもいい」の特典映像に収録されています。

その中で金川紗耶さんは緊張で打ちのめされ、今すぐにでも逃げ出したいとでも言わんばかりの表情を浮かべていました。また、上演開始前には緊張のあまり化粧が崩れるほどに泣いていました。

デビュー直後、なおかつ今から4~5年前の映像ではあります。

とはいえ、そのような様子を知る僕は勝手ながら、金川紗耶さんは「3人のプリンシパル」によって舞台や芝居にどこか苦手意識をもつようになったのではないかと想像していました。

あるいは、乃木坂46の運営陣が金川紗耶さんの適性として芝居は不向きであると認定したのではないかとも思っていました。

4期生の中には単独で舞台やドラマに出演するメンバーが増えてきていました。しかし、金川紗耶さんにそのような活動がなかなか見受けられなかったのはそれ故なのかもしれません。

もちろん、単純に出演依頼が来なかったからとか、オーディションに合格しなかったからということもあり得ます。つまるところ真相は分かりません。

ただ、金川紗耶さんにこのような印象をもっていたため、僕にとって彼女が舞台へ出演することはあまりに意外だったのです。だからこそ、僕は彼女のお芝居を生で観てみたかった。

乃木坂46に加入してからこれまでの年月の間で、金川紗耶さんが舞台人としてどのような成長を遂げてきたのかを見届けたいと思った時には即チケットを購入していたのです。

そしてチケットが当選してからは、上演日が待ち遠しくて仕方ありませんでした。

次に、僕はこの作品の観劇にある種の懸念を抱いていました。

僕は観劇をするにあたり、可能な限りその作品の物語を事前に認知しないように心がけています。あらすじを知らない状態で観劇に臨むことによって、観劇時の感動や新鮮さを最大化するための施策です。

しかし、この作品の題名からは医療や病院が物語の主な題材になることは否が応でも想像できました。

その瞬間、僕の中に果たして作中で手術の場面は描かれるのだろうかという懸念が生まれたのです。

医療や病院が題材の物語であれば、たいていは手術の場面がひとつの見せ場になると思います。しかし、舞台上で手術の場面をそれなりの雰囲気で描くのは難しいと考えられます。

手術の場面とは多くの人にとって非日常的な描写です。しかも、手術室という特異な空間の特異な雰囲気は、登場人物達が会話をしているだけでは成立しないでしょう。

そのような場面を作り出すためには、手術室らしい医療器具や医療機材の舞台セット、手術着の衣装等が必要です。舞台制作の観点から言えば、なかなか手間や経費のかかる場面であることは容易に想像できます。

それを考慮しながら病院内で働く人達の人間模様を物語にするのであれば、もはや手術の場面は設けないという選択肢が検討されるかもしれません。

なぜこのような発想が出来たのかというと、個人的前例があるからです。

僕は以前に宝塚歌劇団の「ブラック・ジャック 危険な賭け」を観劇したことがあります。そして、この作品には手術の場面がありませんでした。

医療が題材で、ブラック・ジャックという天才外科医が主人公として登場し、しかも原作において手術の場面こそが最高の見せ場であるはずなのに、それが描かれていなかったのです。

確かに、この物語自体は手術の場面がなくとも成立するものでした。

しかし、僕にとっては最高の見せ場が描かれていないように思えたのです。宝塚歌劇団の歌やダンスは本当に素晴らしかったのですが、僕は観劇後にどうしても物足りなさを感じてしまいました。

作品の尺や物語の円滑さを考慮した結果なのかもしれません。そして恐らく、手術の場面を舞台上で描くのは難しいという事情もあったでしょう。

このような個人的前例があったからこそ、僕は「ドクター皆川 〜手術成功5秒前〜」で手術の場面は描かれるのかだろうかという懸念を抱いたのです。

そしてそれと同時に、手術の場面を描くならばどのように描くのだろうかというワクワク感を抱きながら劇場に足を運びました。


あらすじ

分かりやすい感想文をアウトプットするためにも、作品のあらすじを記しておきます。

皆川猿時さんが演じる皆川は、若かりし頃に独特な人工呼吸によって人命救助を果たします。それがきっかけで彼は医者を志しました。

数年後、皆川は見事に医者になっていました。しかし、彼が情熱を注いでいるのは夢の山総合病院内での権力闘争に勝って次期院長の座に就くことでした。

それを成し遂げるためには、病院内で働く人達の支持を勝ち取って皆川派の勢力を拡大する必要があります。

そのために皆川はあらゆる手段を講じます。上川周作さんが演じる上川という外科医の夜勤を交代してあげたり、池津祥子さん演じる池津という外科医に何度も告白したり、彼らの気持ちを繋ぎ止めるために苦労が耐えません。

また、皆川は金川紗耶さんが演じる金川という看護師、村杉蝉之介さんが演じる村杉という外科医、牧島輝さんが演じる牧島という外科医に皆川派へ加入してもらえるように媚を売って勧誘します。

それに加えて、現院長から次期院長の指名を得るために、院長の養子になろうと奔走しています。

そんなある日、荒川良々さん演じる荒川という、どことなくブラック・ジャックを連想させる服装の医師が夢の山総合病院に赴任してきます。彼の医療技術は凄まじく、急患の手術をあっという間に終わらせてしまうのでした。

赴任直後から荒川は高い評判を勝ち取りますが、それは長く続きません。荒川は医療技術こそ凄いものの、コミュニケーションの方法があまりにも独特な癖のある人物だったからです。

特に手術中、なぜか彼は言葉ではなくハンドサインで指示を出します。そのハンドサインは、それぞれが酷似していてほとんど見分けがつきません。その結果、誰も荒川の手術についていけないのです。

荒川が同じ職場で働く労働者として難ありという情報が病院内に知れ渡り、そこで働く人達は次第に荒川に対して辟易していきます。

皆川も最初こそ評判の良い荒川を嫌悪し、罠にはめて陥れようとします。しかし、荒川の医療技術の高さに目を付け、彼の功績を自らのものとすることで次期院長の座を射止めようと画策します。

こうして皆川は荒川の趣味に付き合ったり、荒川のハンドサインを正確に読み取れるように訓練したりして、荒川を手中に収めるための行動に出ます。

ところがある日、皆川の計画が暴露されてしまいます。挽回の機会を与えられても上手くそれを活用できず、皆川は夢の山総合病院を去ってしまいます。

皆川が去った夢の山総合病院で、荒川は院長の座に就きます。コミュニケーションの方法があまりに独特な人間がその地位に就き、それがまた新たな波紋を呼ぶのでした。


感想

この作品を観劇している間、僕の中には第一に安心感、第二に久しく感じていなかった満足感、そして観劇後に第三の何度も観たいという好奇心が生まれていました。

第一の安心感から詳しく述べていきましょう。

何よりもまず僕が安心したのは、金川紗耶さんのお芝居が非常に安定していたことです。

彼女は、おっちょこちょいな看護師を演じていました。

こればかりは実際に観劇してもらう他ないのですが、金川紗耶さんは本当に舞台への出演経験が少ないメンバーなのかどうか疑いたくなるくらいに自然なお芝居を披露していました。

金川という役は、金川紗耶さんが演じるために創造された登場人物であるかのような適役ぶりだったのです。お芝居というより、そこにいるのは金川紗耶さん本人なのではないかと思えるくらいでした。

ここで考えてみたいのは、なぜ金川紗耶さんはそのようなお芝居を披露できたのかということです。

本人の努力はもちろんですが、僕はこの作品の脚本を務めた細川徹さんの舞台制作の手法もその理由の一つではないかと考えています。

あらすじを読んで気づいた方がいるかもしれません。この作品の登場人物は基本的に出演者と同姓です。これが金川紗耶さんの自然なお芝居を引き出すことにとても効果的だったと思います。

僕も過去に小規模な劇団を編成してお芝居を披露した経験があります。その時の経験を振り返ったり、これまで観てきた舞台を思い返したりすると、基本的にお芝居とは自分を捨てて別人になることだと言えると思います。

出演者は登場人物の人格を自分自身に投影するために、台本を読み込んで登場人物の人格・思考・感情を理解することに取り組むものです。

しかし、この作品では役名=出演者名になっていたことで、作品の構造上むしろ登場人物へ出演者の人格を投影させるように仕向けられていたように思います。

僕は細川徹さんが手掛けた舞台を観るのはこれが初めてであるため、他の作品でも同様の施策が行われているかどうかは分かりません。そして細川徹さんにそのような意図があったのかどうかも分かりません。

ただ、もしもこの意図が実際に取り入れられていた場合、出演者にとって取り組みやすい脚本になっていると考えられます。

役に求められているのが出演者自身の人格であれば、もはや演じるという概念や役作りという工程すら無くなっていくように思います。

「自分はどんな人格の持ち主か」というような答えの出ない哲学問答をする必要はありません。出演者が思うまま台本を読み込み、出演者が思うまま素直に台本を表現すればそれが正解ということになります。

金川紗耶さんは、自分がおっちょこちょいな看護師だったらどう振る舞うだろうかということを考え、素直にそれを芝居に反映させていったのではないでしょうか。

だからこそ、あれほどまでに自然な芝居が出来上がっていたのだと思います。お芝居の経験が少ない彼女にとって、自分が思うままに芝居することが歓迎される環境は非常に易しいでしょう。

あくまで想定の話ですが、この作品は女優の道を歩み始めた今の金川紗耶さんが出演するのに最適な作品だったのだと思います。

こうやって独自の施策を導入できるのは、脚本家が原作者になっている作品の強みですね。

また、安心感で言えばもう一つ別の要素があります。それは手術の場面が作中で何度も描かれていたことです。

そうです、難しいと考えられる手術の場面が描かれていたのです。

舞台上に手術台やそれに横たわる患者、そして医療機材の舞台セットを配置し、登場人物達が手術着を着て芝居を繰り広げる場面を観た時、僕が抱いていた懸念は安心感によって払拭されました。

確かに、題名に「手術成功5秒前」という言葉が入っているくらいです。手術の場面を描くのは当然かもしれません。

しかし、僕には前提で述べた懸念がありました。しかも、この作品は笑いを追求した喜劇です。それとは反対の位置にあるような緊迫感がふさわしい手術の場面は採用されないこともあり得たはずです。

だからこそ、その反動で観劇中に手術の場面が始まった瞬間「コレだよ、コレ!」と心の中で叫んでしまいました。僕にとっては、求めていたものを想像通り得ることが出来た時の安心感を覚えるほどに有り難い演出でした。

たとえ医療ドラマに匹敵するほど本格的に描くことは出来なくても、劇団が手術の場面の制作に取り組んでくれたことを感謝しています。

次に、第二の久しく感じていなかった満足感について述べていきます。

この満足感とは笑いに対するものです。

喜劇と謳われる舞台を観たのは「たぶんこれ銀河鉄道の夜」以来だったのですが、僕の感性で笑いの度合いを比較すると明らかに「ドクター皆川 〜手術成功5秒前〜」の方が高かったです。

もちろん「たぶんこれ銀河鉄道の夜」も思わず笑ってしまう場面はたくさんありました。しかし、原作や出演者達の上品さを失わないために一歩手前で踏み留まっているような笑いの作り方だったと思います。

その程度は、笑いはするけど爆笑まではいかないという表現が適当です。

それに対して「ドクター皆川 〜手術成功5秒前〜」は、まるで芸人達が体を張って笑いを生み出していた古き良き時代のお笑い番組を再現しているような笑いの作り方でした。

劇中、出演者達は本当に痛みを伴うやり取りをして大げさに反応したり、皆川や荒川が満面の笑みを浮かべながら半裸で歌い踊ったりします。

それに加えて牧島や池津が突然歌い始めたり、金川が舞台セットを破壊したり、村杉がスケートボードに乗って登場したり、はたまた皆川がなぜか南極に行ったり、意味不明で予想外な展開に溢れています。

それらの様子はちょうどよく大衆化していて、僕にとって非常に馴染みのある平成時代の笑いを生み出していました。

例えるなら「熱湯風呂」や「熱々おでん」のような芸が生み出す笑いです。

なぜか3人のおじさんが半裸で登場して、なぜかそこには熱湯が溜まったお風呂が設置されていて、なぜかそれに3人のうちの誰かが入ることになって、終いにはなぜか3人ともそのお風呂に入って熱さに耐えきれずに脱出する。

意味不明で実にくだらない。でも、だからこそ面白い。

このような、今では様々な規制等の柵によって失われつつあるような笑いをこの作品は作り出していたと思います。

それを得た時、僕は久しぶりに満たされた感覚を覚えたのです。僕が無意識に欲していたものを事前に把握され提供してもらったような気持ちでした。要するに、嬉しかったのです。

舞台を観て嬉しいという感情を抱いたのは初めてかもしれません。この作品の制作に携わった全ての方々に、貴重な経験価値を与えていただいたことを感謝しています。

特に皆川猿時さんの痛みを伴う場面は比較的多かったです。体を張って観客の笑いを生み出している姿が勇ましく、尊敬を覚えました。

最後に、第三の何度も観たいという好奇心について述べていきましょう。

この作品では出演者のお芝居がステージ上に留まらず、客席にまで及びます。

そして、客席もステージの一部と化し、観客も出演者として作品に参加する演出になっていました。観客参加型とでも言うべき演出です。

例えば、皆川が客席の間を歩き回り、時には観客に問いかけをします。そして観客から無難な答えを引き出し、恐らくはそれに対してアドリブで応対していたと思います。

このような立体的な演出を取り入れた作品は何度か観劇したことがありますが、いざ振り返ってみると久しぶりに観る演出でした。もしかしたらコロナ禍が落ち着いたことでようやく解禁された演出なのかもしれません。

さて、僕が好奇心を抱いているのは、この観客への問いかけです。

僕が観た公演で皆川は観客の一人に「あなたはお医者さんですか?」というような問いを投げかけていました。そしてその観客は「いいえ」と答えていました。

他にも、荒川は観客全員に対して「この中に医者いるか」と問いかけていました。そして、僕の観た公演では誰も手を挙げませんでした。

これこそが僕の興味を引く点です。

もしもあの時、観客が皆川に「はい、医者です」と答えたり、荒川の問いかけに観客の誰かが挙手したりしたらどんな展開が待っていたのだろうと考えると、何度もこの作品を観て検証したくなるのです。

もしも観客が「はい、医者です」と答えていたら、皆川によって舞台上に連れて行かれて出演者と一緒に医療行為の芝居するような展開があったかもしれない。

もしも舞台上に連れて行かれた観客が実は隠れた出演者だったら、その人の登場によって僕が観た公演とは全く違う展開があったかもしれない。

もしも休暇で観劇に来ていた本物の医師が観客の中にいたら、荒川の問いかけに挙手していたかもしれない。

これらのように想像を膨らませると、もう一度劇場に足を運んでそれぞれの分岐を検証してみたくなるのです。

皆川に話しかけられる可能性は低いですが、少なくとも荒川の問いかけには挙手してみたい。

もちろん、皆川の問いかけに「いいえ」と答えたり、荒川の問いかけに挙手しないことが無難であることは理解しています。恐らく、脚本もそれを前提に書かれていることでしょう。

しかし、僕は違う世界線を観てみたいのです。

もしもあの時と考え始めると、どうしてもっと公演期間前半のチケットを選定してこの作品に対する好奇心を生み出しておかなかったのかと後悔せずにはいられません。

僕が臨んでいなかった公演では、誰かが「はい、医者です」と答えたり、荒川の問いかけに挙手していたかもしれない。その時どんな展開が始まるのか観てみたかった。

この経験を活かし、細川徹さんが手掛ける舞台を観る機会があった際には、可能な限り公演期間前半のチケットを選定することにします。


まとめ

これまで幾ばくかの舞台を観てきましたが、これほど観客参加型の度合いが高い作品は初めてだったと思います。

そして、舞台を観るたびに感じることであり、この作品を観てより強く感じました。やはり舞台は劇場で観るべきものです。

特にこの「ドクター皆川 〜手術成功5秒前〜」のように視聴者参加型の度合いが強い作品であれば、劇場で作品に参加することでその価値が最大化します。

配信や電子化された映像では劇場の様子を客観的に観る立場になり、出演者として作品に参加することは出来ません。これでは視聴者参加型の作品から享受する価値が低下してしまいます。

同じ作品を観て、同じ長さの時間を費やしているにも関わらず享受する価値が下がるというのははもったいないと思います。

しかも、この作品のように、どんなにふざけた内容であったとしても出演者達はその瞬間にしか披露できない芝居に本気で取り組んでいます。

同じ作品を観るのであれば、劇場という小宇宙で出演者が命を燃やす姿を目の当たりにして、その熱を受け取るべきです。

どうか多くの人が劇場で舞台を観ることの価値に気づき、もっと多くの人が劇場に足を運ぶようになってほしいと思います。観客参加型であるこの作品を観て、それをより強く思いました。

観客の立場でありながら作品の一部になれるだなんて、最高の経験価値だとは思いませんか。

以上、【舞台感想文】ドクター皆川 ~手術成功5秒前~でした!!

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